第69話
建物の揺れも収まり、ディツェンバーの私室には静けさが訪れていた。
アルターはその部屋の窓から一望出来る景色を目に焼き付ける。
(手に入った……これからは……皆が俺を見てくれるのだな……)
そう思うと、心の奥底から歓喜が湧き上がってきた。一人笑みを浮かべていると、扉からその者達が入って来た。
「アルター様……見つけましたです……!」
「お怪我を……すぐに治療致します!」
「全く……心配かけるんじゃないよ……」
「あれ、ディツェンバー様は……?」
フリューリング、ゾンマー、ヘルプスト、ヴィンター。
アルターの身の回りを任されていた部下達である。彼等にはアルターの企みは一切話していないので、アルターがこの場にいる理由すら知らないのだろう。
アルターは元より、この四人の事を部下としても使用人としても見ていなかった。
「仕上げ、だな……」
ぽつりと呟いたアルターの言葉の意図が読み取れず、聞き返そうとしたフリューリングが始めに倒れた。
アルターの剣によって胸を貫かれ、そこから大量の血が吹き出ている。
「ふ、フリューリング!!」
「アルター様何をっ──」
次いでゾンマー。喉を一突きだった。
「クソっ、まさかこの反乱もアンタが……」
銃を構えたヘルプストに向けて魔弾を放ち、それを躱した所を攻撃する。ディツェンバーとの戦いで蓄積された筈の疲労を感じさせない、圧倒的な実力で葬ってみせた。
「あっ、……あぁ…………」
一瞬にして三人の同僚が殺されてしまった。その恐怖から完全に腰を抜かしたヴィンターは、引き攣った表情でアルターを見上げる。
「嘘っ、だよ……なぁ……アルターさま…………」
「嘘なものか。貴様等には……俺の力となってもらう」
「ぁぐっ……!!」
心臓を一突き。最後に残ったヴィンターが魔石に変化した所で、アルターは四つの魔石を拾い上げる。
そして、それ等を飲み込んだ。
身体が焼けるように熱くなる。
全身の骨が砕かれるように痛む。
何かに貫かれたような、何かに焼かれているような、何かに殴られているような。
痛み、熱、痛み。痛み。激痛が走る。
頭の揺れを感じる。全身の痛みを感じる。目眩も、吐き気も、不快感も。
「──ふっ、こんなものか」
これまで受けてきた屈辱に比べれば、瑣末なものだった。
魔石とは魔物の魂の結晶。それを体内に取り込んだとなれば、自我が崩壊しかねない。最悪の場合死に至るだろう。
しかしアルターは、一笑して終わらせた。
それは既に、彼の自我が壊れてしまっていたからか。はたまた受け付けられる特異的な何かがあったのか。
だがそれは、これから魔王の座につくアルターの魔力として存在する事となるのだ。初めからあった、膨大な魔力として。
「くっくくく……ははっあはははははははっ!!」
──謀反を起こし、新たに魔王の座に就いたアルター。
彼は前魔王の私室の中央で、一人高らかに笑い声をあげていた。
※※※※※※※※※※
ディツェンバーに命じられて人間界へとやって来たキュステは、一人街を彷徨っていた。共に来た筈のシュテルンは、待てども待てども姿を表さなかった。
諦めて一人、見知らぬ街を歩き続け、どの位の時が経っただろうか。
やがてぽつ、ぽつ、と雨が降り始めた。
「…………皆……どうなったのかしら……」
これまで振り返った人間達に、キュステの姿が見えているらしい者はいなかった。
もしかしたら自分の存在を見る事が出来る人間なんていなかったんじゃないだろうか。
そんな疑問が頭に浮かぶが、すぐに掻き消して歩みを進める。
と。
「お風邪を召しますよ」
一人の男性が、後ろから傘を差し出してきた。
「! 貴方……私が見えるのですね」
少しだけ声が弾んでしまう。キュステの背後に立っていた人間の姿をした男性は、にこりと微笑んで
「僕も魔物ですからね」
と、口にした。
※※※※※※※※※※
シュテルンもまた、街を彷徨い歩いていた。
数時間待ってもキュステの姿が現れなかったからだ。
魔界と人間界を渡航する際、時間差が生まれる事があるのだが、キュステもシュテルンもその話を耳にしていなかったのだ。
その為シュテルンは「キュステは此方に来ていない」という結論を下す事にして、一人歩き始めていた。
首が痛くなる程に高い建物が建つ街並みは、シュテルンが見た事ないものばかりだった。
そしてふと、シュテルンは足を止める。
「月下……高校……?」
そう書かれた建物が目に映った。そこから同じ服を着た人達が沢山出てくるが、誰もシュテルンの事は見えていないらしく、素通りしていく。
(そういえば……あの子もこんな服を着ていたっけ……)
数年前に魔界に連れ去られてやって来た少女・町田夜。あの子も青色のブレザーに白いスカートを穿いていたな、と思い出しながら、スーツの胸ポケットに付けているピンクのヘアピンにそっと触れた。
「…………シュテルン、さん……?」
「!」
黒いスーツに身を包んだ、緑がかった黒髪の少女──女性は、確かにそう言った。
まだ幼さが残りながらも、大人びた雰囲気を纏った夜は
「あぁ……本当に会えるなんて……」
声を弾ませて、目を細める。
──再会を果たしたシュテルンと夜は、互いに微笑み合った。
魔界で起こった反乱は、ディツェンバーの失踪により終結した。殺される直前で人間界へ逃亡したと噂が流れたが、それが真実と知る者は少ない。
忠誠を果たし命を落とした者。
命令に従う為に。そして生きる為に人間界へ逃げた者。
確実にその時は近付いているのだと、まだ誰も知らない。
─第2部《魔界》・完─