第68話
ディツェンバーの足元に、九個の魔石が残されていた。悲しげに目を細め、懐から取り出した小さな袋に全てを収める。
元々、その袋の中にはアウグストの魔石が入っていた。妻であるメーアの元へ返してやろうと思ったのだが、他の者達が「ディツェンバーが持つべきだ」と言ったのでそうしていたのだ。
アルターは、戦意を喪失したディツェンバーをただ見下ろす。
「最後に、言い残す事はあるか?」
「…………僕は……諦めるつもりはないんだよ……」
口ではそう言っているものの、ディツェンバーが刀を構える素振りはない。
「ここで残りの魔力を使い果たして、お前を殺す事だって可能かもしれない。でも……それはお前にとって都合がいいだけ。お前の思う通りにはさせないよ」
「くくっ……流石は兄上だ。貴様のそういう所が嫌いなのだがな。まぁしかし、仮にも貴様は俺の兄だ。痛みなく殺してやるさ」
アルターが剣先をディツェンバーの首に向ける。
このまま大人しく殺される気は毛頭ないが、はっきり言って万策は尽きていた。
しかしゼプテンバールに「生きて」と言われた。だからディツェンバーは生きなければならない。
魔王という地位を捨ててでも、生き延びなければ。
そう強く思いを抱きながら、ディツェンバーは唇を噛んだ。この状況から抜け出す打開策を探す。
──と、突然。ぐらぐらと城が揺れ始めた。
突如不安定になった足場に、アルターは体制を崩しかける。ディツェンバーにとっても突然の事だったので、一瞬頭が追いつかなかった。
「何だっ……!?」
『──る────を繋げ──』
と、どこからともなく声が聞こえてきた。男と女の……重なったような。途切れ途切れになりながらも、それはディツェンバーとアルターの耳にしっかりと届いていた。
「何だこれ……誰の声……」
『──我等──応えよ────』
段々と鮮明になる言葉に、ディツェンバーは覚えがあった。昔、何かの書物で読んだ事がある。そう、これは……。
(召喚の儀式か……!)
人間界で誰かが、悪魔召喚をしようとしている。人間のいう悪魔とはディツェンバー達魔物の事を指すのだが、名前の指定がない限り召喚されるケースは少ない。
それは、呼ばれる側が返事をしなければならないからだ。
『我等が声に応えよ』
アルターは当然、返事はしないだろう。彼の目的はディツェンバーを殺す事で、その目的はもう叶う寸前だから。
しかしディツェンバーは、藁にもすがる思いで手を伸ばした。
もしかしたら、助かるかもしれない。生き延びれば何とかなるかもしれない。
既に仕えていた部下達の魔力はないに等しくなっている。
自身まで殺されてしまえば、魔界も人間界も終わってしまう。
ならば──
「『我が名はディツェンバー! その声に応えよう!!』」
すぐさま、召喚に応じる詠唱を告げた。
ディツェンバーの口から発せられたそれを聞いて、アルターもようやく理解したらしい。
そうはさせない、と剣を振り下ろすが、そこにはもうディツェンバーの姿はなかった。
魔力の反応もなくなっている。
「……チッ…………何時だって……兄上には味方がいるのだな……」
ディツェンバーがいなくなり、魔王の座はアルターに委託される。邪魔者が消え、最終目的を成し遂げた筈なのに。
アルターは晴れない表情のまま、そう呟いた。
※※※※※
目を開けると、見た事のない景色が広がっていた。
薄暗い倉庫のような室内に、自身の足元には白い何かで描かれた模様のようなもの。
ディツェンバーの目の前に立っているのは、四人の男女だった。
驚いた表情を浮かべている丸眼鏡を掛けた茶髪の青年。
腰を抜かしたらしい紫の髪をした少女。
その少女の身体を支え、真っ直ぐにディツェンバーを見据えている紫がかった黒髪の青年。
そして……
「凄い……成功した……!」
キラキラと目を輝かせる、桃色の髪をした女性。
ぐるぐるとディツェンバーの周りを歩いて、その姿を吟味する女性にどう声を掛けていいか分からず、黙っている事しか出来なかった。
茶髪の青年が彼女を静止した所で、少しの沈黙が訪れた。
どうやらこの四人の人間がディツェンバーを召喚したらしい。四人の顔を再度見渡して、ディツェンバーは口を開く。
「我が名はディツェンバー。魔界の王だ」
──これが、後に魔物殲滅隊なる組織のトップになる者達との出会いであった。