第67話
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「ディツェンバー様!!」
ゼプテンバールは駆け出し、代わりにメルツがアルターに向かって深く踏み込む。
男に斬りかかるも手応えはなく、ぐにゃり、と男の姿が歪んだだけだった。
「これは、幻影魔術…………!?」
「えっ──」
幻影、魔術……?
幻影魔術とは、その名の通り幻覚を見せる魔術なのだが、そうなると男はこの場にはいないという事。
事実、彼目掛けて刀を振り下ろしても、彼の姿がぐにゃりと歪んだだけで手応えはなく、そのまま靄となって飛散したのだから。
しかし問題は、誰が幻影魔術を発動させたかではない。
──何故このタイミングで幻影魔術を発動させたか、である。
答えはただ一つしかない。
ディツェンバーを庇う為にやって来たゼプテンバールと、彼が抜けた穴を埋める為に前進したメルツが混乱した一瞬の隙に仕留める為である。
ザシュッ、と。
後ろの方で音がして。
アルターの気配が近くなった。慌ててゼプテンバールは体勢を変えてアルターに向き直る。
刀を振りかぶるも、刃先がアルターに届く寸前で──ゼプテンバールは倒れてしまった。
「あっ、ぐぅ……」
胸から腹部にかけて焼けるような痛みが走る。アルターに斬られたのだ。
「はははっ! 兄上にも内緒で習得した魔術だが……中々様になっていたようだな」
高らかに、アルターは笑って見せた。
「ゼプテンバール!! メルツ!!」
「魔王、サマ……、……逃げ、……」
「…………メルツ……」
ディツェンバーの声が若干遠く聞こえる。メルツの途切れ途切れになって紡がれる言葉は、最早ゼプテンバールの耳に届いてはいなかった。ぼやけてきた視界にメルツが黄色い靄に包まれているのが映る。
あぁ、魔石に変化しちゃうんだ……。
そんな事をぼんやりと考えながら、ゼプテンバールは刀を支えに立ち上がった。
「ディツェンバー、様…………逃げ、て……。僕がっ……時間を稼ぐ、から…………!」
「ゼプテンバール……無茶を言わないで!」
「……そうだゼプテンバール。貴様はコイツの部下なんだよなぁ」
ふと、アルターが問い掛ける。ゼプテンバールの首筋に、ひやりと冷たい物が当てがわれている。彼の武器だ。
ディツェンバーも刀を構えるが、アルターがゼプテンバールを人質に取っているようなものなので、その場から動けずにいる。
「貴様が自分で己の腹を切るならば、俺は奴を見逃してやってもいい」
「…………!」
「ふざけるな! ゼプテンバール! アルターの言っている事は嘘だ! 分かるね? 絶対に──」
──────。
ふっ、とゼプテンバールは頬を弛めた。
その穏やかな笑みに、ディツェンバーは言葉を止めてしまう。
「ゼプテンバール……?」
「…………。皆、ディツェンバー様の事……大好きだよ……。皆、ディツェンバー様の、為に……戦ったんだ……。僕も…………貴方様の部下になれて、……幸せだった……」
「……っ……やめておくれ……」
「ありがとう。ディツェンバー様。どうか……生きて」
ゼプテンバールは支えにしていた刀を自身の首筋に当てがう。このまま刃を沈めてしまえば、間違いなくゼプテンバールは死んでしまう。
それを阻止しようと、ディツェンバーが焦りを浮かべながらゼプテンバールの名を呼ぶ。
(……ごめんなさい、ディツェンバー様………………そして……アルター……)
ゼプテンバールは自身の首ではなく、後方へと刀を沈めた。
「っ!!?」
ゼプテンバールの後ろに立っていたアルターの胸に刃先が届いた。しかしそれはほんの先の部分だけだったので、振り返ってもう一度狙いを定める。
しかしタイミングが少し遅れてしまったらしい。アルターもまた剣を振るった。ゼプテンバールの振るった刀はアルターの腕を掠めたが、ゼプテンバールの身体には先程とはまた別に、深い傷が刻まれる。
傷口が熱くなるのを感じながら、ゼプテンバールは刀を手放した。
(これで、最後……かぁ……。やっぱり覚醒状態に……。うぅん、僕にはまだ早かったんだ……)
それよりも、自身の決意を貫き通す事が出来たのだ。
ディツェンバーの部下として、生きて死ぬ事が出来るのだ。
その喜びが、遠くなる意識に紛れて訪れてくる。
仲間と共に、過ごしてきた時間が脳裏を過る。
これが走馬灯か、なんて呑気な事を思いながら、ゼプテンバールは目を閉じた。
(もし次があるなら……皆一緒がいいな……)
大好きな仲間達の元へ、ゼプテンバールも一緒に。
魔石となるゼプテンバールに次はないのだが、そんな希望を抱いていた。
──ねぇ、皆。
そう呼び掛ければ、振り向いてくれる仲間達の元へ。
──最後の最後まで、僕は立っていたからさ。
──褒めて欲しいなぁ。
──よくやったな。って
──頑張ったわねぇ。って
──お前にしては中々じゃねぇの。って
──褒めて差上げてもいいですよ〜。って
──よく頑張りましたね。って
──あはは! ゼプテンバール凄いっ!! って
──ゆっくり休んで下さいね……。って
──流石、ゼプテンバール君です。って
──お、おおお疲れ様ですっ……。って
そう、言ってくれるよね。
「こちらこそありがとう。ゼプテンバール。お疲れ様……」
赤い靄に包まれ、魔石になるまで。
最後に聞こえた言葉は、敬愛する主から発せられたもの。
ゼプテンバールは最後まで、暖かな光に包まれているような感覚を覚えていた。