第62話
遡る事数十分前。
城の中に侵入者が現れたとの事なので、その対処に向かうようディツェンバーに指示を出されたメルツとマイは、共に長い魔王城の廊下を駆けていた。
が、ふとマイが立ち止まる。
「おい何してんだペイント眼鏡! 早くしねぇと犠牲者が出るぞ」
「マイです。…………」
マイは得意とする探知能力で、ある魔力を感知した。表情に出す事なく、彼はメルツに視線を向ける。
「近くに敵がいます。僕が向かいますので、メルツさんは他を──」
「ふざけるな! 俺様も行く!」
今にもマイの胸倉を掴みかかりそうな剣幕を見せるメルツに、静かに首を横に振る。その動作に更に苛立ちを表すメルツだが、断固としてマイは譲らなかった。
「何でだよ!?」
「……貴方は……自分のトラウマの人物と真正面から向き合えますか?」
含みのある言い方に、メルツは目を見開いた。マイには自身の過去を話しているので、メルツの恐怖の対象──ベヴェルクトが近くにいると言いたいのだろう。
以前、ベヴェルクトが近くにいた事を知った際には、過呼吸を起こし嘔吐したメルツだ。
ましてや今回は様子見などではなく、城にいるのだから確実にメルツを殺す気でいるだろう。
──ベヴェルクトは、メルツを殺す為に長年その存在を追っているのだから。
マイと共に行くという事は、自分を殺そうと企んでいる相手の前に姿を現すという事。
メルツの為を思っての、マイの発言だった。
(メルツさんなら……一人でも城門の敵を蹴散らせます。その為には……僕がベヴェルクトの相手をしなければ……)
だがそうして一人で苦を請け負おうとするマイを、メルツは許さなかった。
「前にアイツ等に言われた事を忘れたか?」
「…………?」
「『頼れ。力になるから』」
マイはかつて、テロリストのボスとして暗躍していた事があった。その際一人で解決しようとしてゼプテンバールやユーニに諭された事があったのだ。
マイは驚く程に他人に頼るという事をしない。彼本来の性質なのだろうが、メルツにはそれが気に食わなかった。
まるで、自分を信じてもらえていないようだから。
「言え。俺様の力を借りたいと。仲間に言われたら……例え怖くても一緒に赴く。俺様の想像する仲間ってのはそういうもんなんだが……間違ってるか?」
「…………どんな理由でも……仲間のトラウマを抉るような事はしたくありません……」
「構わねぇ。一度位頼ってくれたって良いじゃねぇか……マイ……」
困ったように眉尻を下げるメルツ。不意に名を呼ばれたマイだが、やはり譲る気はない。
「どうして……僕は貴方を苦しませたくないんです……。それに……ベヴェルクトは貴方を殺す気なんですから……」
「…………かもな。でも、もう逃げねぇよ……。怖くねぇって言ったら嘘になるけど……お前と一緒なら……アイツに嫌いの一言位は言えるだろうよ」
冗談めかして言っているが、その恐怖は計り知れない。今すぐにでも逃げ出したいだろうに。
だが慰めは不要だと、メルツ自身が伝えている。
「……メルツさん……頼みがあるんですが…………」
不安げに問うマイに、メルツは力強く頷いた。
「なんでも言ってみろ、マイ」
「…………貴方の力を……貸して下さいませんか……?」
「……ふっ、及第点って所だな」
可笑しそうに笑った後は、自身の拳をマイに突き出す。
「任せろ」
その堂々とした姿に気圧されるも、安心感を抱いている自分がいる。
メルツの身を案じていた筈なのに、頼ってしまった。しかし自分を責めるよりも先に、マイは自身の拳をメルツの拳にこつん、と当てていた。
「……では──」
マイの頭に浮かんだ作戦を手短に伝えると、メルツは一瞬物凄く嫌そうな顔をした。
そして苦虫を噛み潰したような顔で頷いたかと思えばマイから背を向けて歩き出す。
それを引き止める事なく、マイも別方向に向かって歩き出した。
マイはある部屋の扉の前で止まり、ノックをせずに中へと足を踏み入れる。執事として、そして一紳士として絶対にやらない行為だが、平然としてマイは中にいる女性──否、半月のその人に話し掛けた。
「こんにちは、ベヴェルクトさん」
ベヴェルクトと呼ばれたその人は、さらりとした金髪を揺らして振り返る。所々に薄い桃色や水色のメッシュを入れていたが、嫌な派手さは感じない。
むしろ可憐さすら放っていた。
足元に広がっている血塗れの魔物達も、顔や服に付着している血液すら、ベヴェルクトの美貌を引き出しているように感じられるのだから。
「随分と……散らかしたようですね」
執事服にメイド服、そして大臣や官僚の服。顔の判別は薄らとしか出来ないが、それがマイの同僚、先輩、後輩である事に変わりはない。
静かな怒りを宿して、眼鏡越しに目を細めてマイは首を傾げた。
「貴君は確か、メルツとよく一緒にいる執事君だね。散らかしてはいないさ。ちゃんと片付ける気ではいるのだから」
「おや、言い訳ですか?」
「……はて、僕は何かおかしな事を言ったかね」
マイの挑発に、ベヴェルクトは少しだけ目を細めた。その僅かな変化を見逃さず、マイは着ていたスーツジャケットを脱ぎ捨てながら続ける。
「貴方は何か……勘違いをなさっているようですね」
「勘違い、だと?」
「えぇ。メルツさんが故郷を離れ、わざわざ遠い地で暮らしていたのは何故だと思いますか?」
メルツの話題がマイの口から出た途端、ベヴェルクトの機嫌が一層悪くなったのが分かる。顔には出ていないが、纏う雰囲気には殺気が交じっている。
「メルツには人間界へ行くという夢があるからな。金が必要なのだろう。しかし、僕は人間界へ渡航出来る資格を持っているので……そんなまどろっこしい事をしなくても良かったのだがね」
「おやおや、やはりお分かりではないようですね」
「…………」
汚れ一つない真っ白なシャツの袖を捲り、しっかりと留められていたボタンを二つ外す。青いネクタイを解き
「メルツさんは貴方には会いたくないそうです。貴方に会う位なら僕と寝た方がマシだと……そう仰ってましたよ」
にこり、と笑みを浮かべてみせた。
マイのその言葉に、ベヴェルクトは眉を動かして目元をひくつかせる。口元は笑んでいるのか怒っているのか歪んでおり、瞳孔を細めて肩を震わせていた。
「僕の……っ……僕のメルツが…………そんな、……そんな……嘘だな……メルツはそんな事を言わない……性の知識には疎い方なんだから……っメルツの口から……そんな言葉が出る筈がないのだよ……!?」
(予想以上に動揺してくれてますね……)
もう少し手こずると思っていたが、マイが部屋に入った時からの姿とは想像を絶するような動揺をベヴェルクトは顕にしている。
この調子でいけば、順調に仕留められるかもしれない。
そんな希望を抱きながらも油断はしない。マイは更に畳み掛ける。
「本当でしょうか。僕の知るメルツさんは……結構淫靡ですよ?」
「あぁぁっ!? ……あ、あああぁぁ…………貴様ぁぁ……貴様のような男に…………メルツの何が分かると言うのだね……? ハッタリなの、だろう……? 僕を排除する為のっ……なぁそうだろう…………? そうだよなぁ……?」
「…………さぁて、どうでしょうね」
含みのある笑みを浮かべ、マイは掛けていた眼鏡すらも外して適当に投げ捨ててしまった。
「まぁ僕から言いたいのはただ一つ。貴方が好いているメルツさんは、貴方の事を好いていない。それだけです」
事実ではあるが、ほぼ嘘に近い言葉を口にする。ベヴェルクトの顔は真っ青だが、まだ失墜するには至っていない。
やはり事はそう上手くは運ばないか、とマイは心の中で溜め息をついた。
「ははっ……あははっ…………嘘だよ……僕のメルツはいい子だから……。ルーク、って僕の事を見上げるあの目が物語っているんだ……やっぱり僕は君の事が好きなようだよ……邪魔する者は誰であろうと排除してやる……。僕の親でも……君の親でも……ふふふっ、あははははっ……」
独り言を続けるベヴェルクトを見据えつつ、マイはその場から動く様子を見せない。その表情はどこか怒っているようで……。
「そう……誰でも排除してやるさ……」
静かに剣を構えて、ベヴェルクトは駆け出した。