第59話
お互い、同時に駆け出した。
ゼプテンバールは覚醒状態に入っているので、その一撃は軽いものではない。加えて言うならば覚醒状態の間、どんな傷を受けても修復される。首と胴が別れるまで死ぬ事は無い。
今やヤヌアール以上の力を備えているかもしれないのだ。
しかし、そんなゼプテンバールの一撃を流し、軽い身のこなしで剣撃を繰り出す『メーちゃん』。ゼプテンバールより華奢なように見受けられるが、攻撃の重みはヤヌアール以上であった。
先程交戦したアーベントよりも強い。
そう感じるのに時間はかからなかった。
まるでワルツを踊るかのように軽やかに足を運び、細剣で攻撃を続ける。刀を握る腕が痺れるのを感じながら、ゼプテンバールは防ぎ、躱し、流してみせた。
それでも『メーちゃん』は動じない。それ所か徐々に殺気が強まる一方だ。
目的の為に"覚醒"という力を得た今のゼプテンバールに、恐怖心などないのであまり意味を成さないが。
たとえ攻撃を受けようとも、ゼプテンバールは一歩も怯むつもりはない。攻撃を受けたのであれば更に踏み込んで倍のダメージを負わせればいいだけの事。
単純という言葉に収まらない、無謀な思考しか出来なかった。
止まっている暇などないのだから。
コンマ一秒でも時間は無駄に出来ない。目の前の敵を倒して、ヤヌアールを助けなければならないのだ。
そして他の皆も……
「邪魔、だぁあ!!」
──立ちはだかる敵は──
ビリッ、と黒いコートが割かれる。と、『メーちゃん』が戸惑ったかのように一瞬動きが鈍った。
その寸分の隙を逃さずに、ゼプテンバールは刀を『メーちゃん』の胸に突き刺した。
ざくり、と。
手に伝わる鈍い感触と、赤黒く染まる視界。
──例え知っている者でも──
苦しげに吐き出された血液を顔に浴びながらも、ゼプテンバールは淡々とした表情のままだった。だからこそ、気が付けなかったのかもしれない。
「ごほっ、ぅ……、ゅるさ、ない……ゼプテンバール……!!」
──皆を守る為に、立ちはだかる敵は斬り捨てる──
その声に、単純な思考しか出来なかったゼプテンバールの頭が、真っ白になった。
恐る恐る、『メーちゃん』を見上げる。
「アウグスト様を……返してっ、……返、せぇっ……!!」
──。
────。
──────。
────────は。
「……メーア…………さん……?」
紫色の髪に、怒りに染まった真っ赤な瞳。端正な顔は憎悪に歪んでいても、本来の美しさを保っている。
彼女は、今は亡き十勇士のメンバー、アウグストの妻だ。アウグストから頼まれた伝言を伝えた日以来会っていなかったのだが、何故今この場に彼女は立っているのだろうか。
彼女の胸には、ゼプテンバールの刀が刺さっていて。
彼女の口からは、吐き出された血が垂れていて。
──守る為ならば、誰であろうと斬ってやる。
先刻胸にした決意を、早くも打ち砕かれたらしい。
確たる決断には、小さな穴すら残してはいけない。不完全な器に出来た穴は、認識した瞬間に大きくなってしまう。
だが力を失われた焦りよりも、仲間の最愛の人を傷付けた事への焦りが一気に押し寄せてくる。
いざ知人を刺してしまえば、みるみる内にゼプテンバールの姿は戻っていってしまう。
覚醒状態が解けたのだ。
顔を青くして身体を震わせるゼプテンバールの肩を掴み、メーアは胸に刀が突き刺さったまま詰め寄る。
「貴方のせいで……っ、貴方達の、せいで……!! どうしてっ……どうして、私の……大切な人を!!」
「違っ……」
「返してぇ……っ」
メーアもまた、震えていた。大粒の涙を零して悲しみを漏らす。
「返し、て下さいぃ……! 私のっ……大切なひと、を…………」
悲しみに噎せるメーアを、ゼプテンバールはただ見上げる事しか出来なかった。半ば放心状態になっていたので、メーアが細剣を振るっていた事に気が付けずに……
「ゼプテンバール!!」
襟首を掴まれて、ゼプテンバールはその場に尻餅をついた。その反動でゼプテンバールの前へと出てしまったヤヌアールには武器もなく、もう抵抗する力すら残っていない。
よって、肩口から腰にかけて深々と斬り付けられる他なかった。
「いっ、っあぁ……!!」
痛みに悶えながら、ヤヌアールはその場に倒れ込んだ。メーアもまた力尽きたらしく、ふらりと仰向けになって倒れる。
紫色の靄に包まれ始める彼女を呆然と見つめながら、ゼプテンバールは頬を伝う熱い何かに触れた。
それは間違いなく、自分の目から溢れ出ていて。
「あ、あぁぁ……僕、ぼくが……」
仲間を、守る……?
守れたか……?
なら何故、仲間が倒れている……?
なら何故、仲間の最愛の人が消え掛かっている……?
──僕の、せいじゃないか。
そう理解して、ゼプテンバールの中で何かが千切れた。
「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!!!」
自分は戻ってくるべきではなかったと。
力を求めるべきではなかったと。
そもそも、ディツェンバー様の部下になるべきではなかったと。
──ゼプテンバールは初めて、あの日の事を後悔した。