第58話
…………………………力を貸してよ…………?
「違う!! 違うよ僕の馬鹿!!!」
無理矢理でも、不完全でも、力を手にしなくちゃいけないんだ。
誰かを守る為に、僕は……
「僕は皆を守りたいんだ……! 力不足でも! 無意味でも!!不完全でも!!」
その為ならば……
「その為なら……立ちはだかる敵全部! 全部! 僕が倒す!! アーベントでも……アルターでも……!!!」
主《ディツェンバー様》や仲間を傷付ける者達全てを……
「僕が!! 僕がやる!! 起きろ!! 起きろよ僕!! 諦める前に目を開けろ!! 刀を握って目の前の敵を倒せ!!」
暗闇の中、叫び続ける。己を鼓舞して。
まだ意識があるという事は生きているという事。
起きろ。
起きろ。
起きてくれよ!!
己を呼び起こしていた、その時。
遠くの方から眩い光が差し込んできた。
宛もなく彷徨っていたゼプテンバールは、それに向かって駆け出した。あの光を追えば、きっと何とかなる。
そんな思いを抱きながら、ゼプテンバールはもう一度叫んだ。
「寝てる暇があったらさっさと起きろ僕!!!」
光に手を伸ばす。
段々とハッキリしていく意識に少しの安堵感を覚え、身体の内側から溢れ出る熱を感じていた。
──己を鼓舞して無理矢理得た力は、完全な覚醒とは言えないが、ゼプテンバールにはそれでも良かった。
しかし完全な覚醒でないという事は、心からの決断ではない事を指していると気付かずに……。
※※※※※
熱い。
身体の奥底から溢れ出る熱に支配されながらも、ゼプテンバールの意識はハッキリとしていた。
その場を去ろうと踵を返していたアーベントの背後から、刀を手にして斬り掛かる。
一切音を立てずに、そして殺気を漏らす事なく。ゼプテンバールは淡々と作業をするかのように、無心で斬り掛かっていたのだ。
「!」
避けられた一撃にも動じない。むしろアーベントの実力を考えれば避けられて当然なのだ。
すぐさま体勢を立て直し、振り被る。先程とは別人のような動きに一番驚いていたのはゼプテンバール自身であった。
負傷しているにも関わらず、身体は先程よりも軽い。それに追えなかったアーベントの剣撃が、まるで止まっているかのように見えるのだから。
先程と状況が反転。ゼプテンバールは常に攻めの姿勢で。アーベントは攻撃を躱すので手一杯のようだ。
そんな彼の目には焦りの色が浮かんでいる。否、それは恐怖に近い。
まるで、内々に秘めていたトラウマが蘇ったかのように。
「お前っ……その姿はっ……!!」
何か呟いているアーベントの胸を刀で貫く。その動きに一切の無駄はなく、淡々と斬り捨てていた。
地に伏してからもまだ何か呟いている。それに耳を貸す事なく、ゼプテンバールはアーベントから背を向けた。
「…………行かないと……」
刀に付着した血を払い、ゼプテンバールは廊下を歩き始めた。
その姿は普段とはかけ離れたもので。
腰まである真っ白に染まった長い髪を揺らし、額から生えた赤いツノが照明に照らされて僅かに光を帯びている。
普段浮かべている年相応の無邪気な笑みを搔き消して、戦闘民族としての本領を発揮する。
──邪魔する者は、誰であろうと斬ってやる。
──全ては、仲間を守る為。
「…………近くにヤヌアールの気配がする……。まずはヤヌアールの所に行かないと……」
微かにだが血の匂いがする。もしかすると負傷しているのかもしれない。心に生まれた不安を表情には出さずに、ゼプテンバールは先を急いだ。
※※※※※
ヤヌアールは道中、ユーリと合流して廊下を駆け抜けていた。
次々と城の中にいる使用人の者達の魔力が消えていく。そしてディツェンバーの近くにはアルターの魔力も感じられる。
一刻も早く向かわないと。
しかし突如としてヤヌアールの腹部に焼けるような痛みが走った。
そこから流れ出てくる生温い赤い液体が、ヤヌアールのシャツを染めていく。
「ヤヌアールさん……!」
「ユーリ、下がれ!!」
剣を振りかぶるが遅かった。ヤヌアールの腹部を貫いた剣を引き抜いて、その人物は目にも止まらぬ早さでユーリの喉笛に剣先を滑り込ませる。
「ッッ!!!?」
声にならない音を漏らして、ユーリは目を見開いた。
「貴様ッ!!」
突然現れた黒いコートを羽織った人物に斬りかかるも、がくん、とヤヌアールの頭が揺れた。
「ナーちゃん参上っ!」
背後から現れたナトゥーアが、ヤヌアールの後頭部目掛けて踵落としを繰り出したのだ。衝撃に耐えられず、ヤヌアールは剣を落としてその場に膝を着いてしまう。
幸い意識を失う事は無かったが、目の前でユーリが魔石へと変化してしまい、ヤヌアールは悔しさと怒りで顔を歪めた。痛みなど、今はどうでもよかった。
そんなヤヌアールの心情を知ってか知らずか、ナトゥーアは軽やかに口を開く。
「弱ってる敵を倒す事程つまらないものはないわねぇ〜。ね? そう思わない?」
「………………」
ヤヌアールの腹部に空いた傷を踏み付け、更に踵で傷口を抉るナトゥーア。激痛に顔を歪めるヤヌアールを見ても、退屈そうに溜め息をつくばかりだ。
ナトゥーアとヤヌアールの視線の先にいる黒いコートを羽織った人物。足首まである黒いコートは、まるで正体がバレる事を恐れているかのように、その姿全てを隠しているのだ。
その魔物は先程からナトゥーアが話しかけているにも関わらず、返事は愚か頷く事すらしていない。
「ねぇねぇ〜メーちゃん。無視しないでよ〜」
「…………」
無視。
数秒経っても返事がなかったので、ナトゥーアはもう一度溜め息をついてヤヌアールを見下ろす。
「ねぇ〜本当に起き上がれないの? あとちょっとでいいから、ナーちゃんと遊びましょう……よっ」
ガッ、と横腹を蹴り上げられ、ヤヌアールの上体が浮いた。
「ぁぐっ!?」
「…………」
しかしナトゥーアは、されるがままになっていたヤヌアールを見て、興が冷めたかのように踵を返す。
「メーちゃん任せていい? もう飽きちゃった」
「…………役目は終えたのですよね」
それまで無視を貫いていた『メーちゃん』と呼ばれていた人物は、芯の通った凛とした声を響かせた。声から察するに女性らしい。
「ちゃんと二人殺したわ。それに、もう闘える人いないんだもん。十勇士は大半死んじゃっただろうし」
ナトゥーアはヤヌアールと違って気配を察知する能力に長けていない。だが直感というものは人一倍強いのだ。
現にフェブルアール、アプリル、ユーニ、ユーリ、オクトーバーと半数以上が魔石のみの存在となっているのだから。
改めて実感させられた事実に、ヤヌアールは唇を噛んだ。フェブルアールも、ユーリも決して弱くはない。
それなのに一瞬で、殺されてしまった。
いっそ、気絶してしまっていた方が良かったかもしれない、とヤヌアールはそんな事を考える。
だが彼女の思念は、目の前に立つ二人にとっては関係の無い事。ナトゥーアが一方的に話し掛けているだけの会話をしていた。
「そろそろラヴィちゃんお散歩させてあげないとだし」
「ラヴィちゃん……?」
「娘だよぉ。ラヴィーネちゃん。超可愛い天使なんだから!」
えへへ、と頬を弛ませて語るナトゥーアの表情には、戦闘狂の影は一切なかった。我が子を大切に思う、母親の顔だ。
「メーちゃんも分かるでしょ? 仮にもナーちゃんと同じお母さんなんだから」
「……そうですね」
「あー! さてはメーちゃん。このナーちゃんがちゃんと育児してるって思ってないでしょー?」
図星だったのか、はたまた返事をするのが面倒だったのか、無言を貫く『メーちゃん』をよそに、ナトゥーアはしみじみと語り出す。
「確かに初めは望まない妊娠だったけど、ナーちゃんのお腹に出来た以上、ラヴィちゃんはこのナーちゃんの子供なんだよ。戦闘を楽しみつつ子育てにも専念。それこそがこのナーちゃんの信条なのだー!」
「意味不明です」
メーちゃんと呼ばれている女性の冷めた返答にも動じず、ナトゥーアは笑みを深める。
「じゃっ、メーちゃんもお母さんなんだから。早く帰──」
ナトゥーアの口から、その続きが紡がれる事はなかった。
彼女の首に一直線に赤い線が引かれたかと思うと、ずるり、と滑るように首が離れた。
戦闘狂と呼ばれたナトゥーアにも、その光景を目の前で見ていた『メーちゃん』にも、魔力を感知する事に長けているヤヌアールでさえも。
ナトゥーアが姿を魔石に変えて初めて、その人物に気が付いたのだ。
腰まで伸びた白い髪に、額から赤いツノが生えている。刀にこべりついた血を払い、その青年は振り返り口を開いた。
「遅くなってごめんね。ヤヌアール」
「……その声……ゼプテンバールか…………?」
ゼプテンバールの姿も、彼からから溢れ出ている魔力も、ヤヌアールの知るものとは掛け離れていた。それでも向けられた視線はいつもの優しいものだった。
「必ず……助ける」
決意の籠った瞳と声で、ゼプテンバールは眼前の敵を見据えた。
先程まで喋りかけていたナトゥーアの死に動じる事なく、『メーちゃん』もヤヌアールの腹部を貫き、ユーリを一撃で葬った細剣を構えた。