第50話
ゾンネのすぐ耳元で、風切り音が聞こえた。危機を察知して後退すると、そこには城の中へ入っていった筈のヤヌアールの姿があった。
既に臨戦態勢に入っている彼女を見る限り、ゾンネの魔獣がフェブルアールを喰った所も見ていたらしい。
「あらあらぁもう戻っちゃったと思ったわぁ。キャハッ」
「……ここら一体に軍の者達の魔力が感じられない」
「キャハハッ気配を読み取るのが得意なのかしら! そうよそうよぉ。アタシはゾンネ。魔獣使いでもあるけれど、何より空間魔術が得意なの!」
高らかに名乗るなり、ゾンネは着ていたコートを脱ぎ捨てた。胸元の空いたボンテージ衣装が顕になり、どこからともなく鞭を取り出す。
「魔王軍はねぇ……ちょっと飛ばしちゃった。ごめんなさいね。キャハッ」
「空間魔術……厄介だな……」
先程、フェブルアールを喰った魔獣は、ずっとゾンネの傍らにいたのだ。しかし首だけが、フェブルアールの眼前に現れた。
遠目で見ていたヤヌアールも不審に思っていたのだが、空間魔術で無理矢理繋げていたとなれば筋は通っている。
ここでフェブルアールの死を無駄にしてはいけない。彼女が折角ヤヌアールを落ち着かせてくれたのだ。
ぐっ、と剣を握り深呼吸を繰り返す。
そんなヤヌアールを見据えながら、ゾンネは魔獣の歯にこべり着いたフェブルアールの血を舐める。
「ま、ここでアンタを始末すれば、モーマンタイってね★ アタシと遊ぼうよ、オネーチャン」
「魔王軍軍隊長をナメるなよ……!!」
「キャハハッそれはそれは楽しみねぇ! 行きなさい!」
ゾンネが地面を鞭で叩くと、魔獣が駆け出す。数十といる魔獣達を薙ぎ払い、ヤヌアールはそのままゾンネ目掛けて剣を振り下ろした。
またしてもヤヌアールの剣撃は避けられてしまったが、距離を離されないように地を蹴る。
振るわれた鞭を手掴みで阻止し、ゾンネの顎目掛けて蹴りを繰り出す。
「キャハハッ、下着見えちゃうわよ〜?」
ヤヌアールの動きに合わせて攻撃を躱したゾンネは笑う。
「貴様と違って対策はしている!」
「あらあら、それじゃあまるでアタシが下着履いてないヤバい女みたいじゃない〜! キャハハハハッ」
ま、そうなんだけど。とヤヌアールの鳩尾目掛けて膝蹴りを繰り出すゾンネ。剣の柄頭でそれを防ぎ、後退する。
「キャハハッ。やっぱ軍隊長は違うわねぇ。潰し甲斐があるってもんよ」
「ほざけ。俺はこの程度では決して倒れない」
「ま、そんな程度で倒れられちゃ、アタシが不満だもの。可愛い魔獣の餌になってもらうんだから。キャハハハン!」
ぐにゃり、とゾンネの背後が歪んだかと思うと、またしても魔獣が姿を現す。魔獣使いとしての名は伊達ではないようだ。
剣を構え直し、攻撃に備える。
歪んだ空間から這い出た黒い毛並みをした魔獣達を一閃し、もう一度ゾンネに接近しようと駆け出した。
──と、ヤヌアールを取り囲むようにして、無数の銃口が現れた。
「────っ!!?」
「はい、ドーン★」
土埃を巻き上げて、ヤヌアール一人を撃ち殺さんとばかりに銃弾が発砲される。
咄嗟に地面を蹴って上空へ回避し、体勢を立て直す為門の柵の上へと着地する。
幸いと言うべきか、銃弾は身体を掠った程度で、致命傷には至っていない。
「キャハハハン、避けた避けた! 流石よぉ褒めてあげる!」
「チッ……その様子だと、ただの暴徒ではないようだな」
現在この場にいるのはヤヌアールとゾンネのみ。しかしゾンネの空間魔術で、別の所から狙撃している者が何十人もいるらしい。
ゾンネはそれに同意するかのように笑う。
「キャハハッ、ハハハハハッ」
「何が可笑しい……!」
「アタシねぇ……ナトゥーア程じゃないけどそこそこ戦いが好きなの。だって楽しいじゃない! 相手の恐怖に慄く引き攣った顔が! この上なく好きだわ!」
ゾンネの背後が歪む。またしても魔獣がヤヌアール目掛けて牙を剥く。それを躱し、後退しながら迎え撃つ。
「それがなんだ!」
「でもアタシはナトゥーアと違って、対の戦闘よりも──」
空間が歪む。また魔獣か、と身構えるも、ヤヌアールの目の前に現れたのは武器を構えた魔物だった。
前に、右も、左も。
後ろは城の入口なので、ヤヌアールがここを退けば魔物達……反乱軍が城の中へと攻め入ってしまう。
「リンチの方が好きだわ! キャハハハッ!」
目視しただけでも軽く三十は越えるだろう。ヤヌアールは一瞬驚きを顕にしたが、それ以上は口を噤んで気を引き締めた。
「アンタはここでお終い。アタシの仕事もここで終わり! フェブルアールを殺して、反乱軍を空間魔法で大移動ってね★」
ゾンネが人差し指を揺らす。その後すぐ、城の中に知らない魔力の気配がいくつも感じられた。
「まさか……!!」
「よそ見しちゃってていいの〜? アンタここで、これから百人以上を相手にするって事……覚えといた方がいいわよ? キャハッ」
反乱軍の者達が一斉に襲い掛かる。微かな焦りを覚えつつ、ヤヌアールは剣を振るった。




