第49話
長かった。
ついにこの日がやって来たのだ。
代替として存在し続けて十七年。
ここからが始まりなのだ。
ここで裁かれるにしても
ここでまた罪を重ねたとしても
────アルターという存在は今日、初めて生まれるのだ。
※※※※※※※※※※
──四年。
気が付けばあの事件から四年もの月日が経っていた。長い紫色の髪を風に揺らして、少年から青年へと成長したゼプテンバールはそこから見える景色を静観した。
魔王城最上階の小窓から、この国全体を見渡せる。
鮮やかな赤い空の元、活気ある人々の姿が視界に映った。この部屋からこの景色を見渡すのも、もう何百回としてきている。
それでもゼプテンバールがこの日課を欠かさないのは、一日の始まりに気を引き締める意味合いもあっての事だ。
「よいしょっ。いよいよ明日だ……」
明日、五年に一度だけ行われるとある試験がある。この日の為に日夜働き賃金を稼ぎ、書庫にある本を読み漁って備えてきた。
四年前に同僚であるメルツ、マイと結んだ約束。『三人で人間界へ行こう』、それを叶える為の一歩として、明日の試験に合格しなければならない。
「今日の内に色々と済ませておかなくちゃいけないんだよね……頑張ろ……!」
一人ベッドの上で拳を握って決意を固めていると、扉がノックされる。返事をすると扉が開かれ、一人の女性が入ってきた。
艶やかな金髪を一つに纏め上げた、メイド服を着た泣き黒子が特徴だ。彼女の名はノヴェンバー。去年辺りからこの城に仕えている使用人だ。
「失礼します、ゼプテンバール様。明日の試験について連絡があるそうで、その書類をお持ちしました」
「え、何だろ……変更点とか……?」
「申し訳ございません。そこまでは私にも分かりかねます」
「分かった。届けてくれてありがとう。ねぇ……ノヴェンバーは人間界に興味無いの?」
去ろうとした彼女を引き止め、ふとそんな事を聞いてみる。ノヴェンバーは一瞬目を見開いたが、すぐに無表情に戻って答えた。
「さぁ……仕事であれば赴きますが」
「プライベートで行ってみたいとかないの?」
「ありませんね。私はマイ様同様、仕事がないと生きていけない魔物ですから」
無表情だが冗談目化して言う彼女に「なにそれ〜」と返す。
「では、失礼します。これから私は出掛けなくてはなりませんので」
「うん。頑張ってね」
ノヴェンバーから書類を受け取り、扉が閉められたのを確認してから封を開ける。中に入っていた一枚の紙を取り出し、文に目を通す。
「時間変更のお知らせ、か……。メルツ達にも確認とっておこ」
もう一度文を読み直してから書類を封筒に仕舞い、自室を後にした。
※※※※※※※※※※
剣の稽古に励んでいるヤヌアールを見つけたフェブルアールは、彼女の名を呼んで手を振った。隣に並ぶユーリも、顔の横で小さく手を振る。
「ヤヌアールちゃ〜ん!」
「む、フェブルアールにユーリ。どうかしたか?」
変わらず軍隊長として活動している彼女だが、毎日別で訓練を積んでいる。それを知っていたフェブルアール達は、彼女に差し入れを準備したのだ。
「お疲れ様〜」
「差し入れです……。少し、休憩しませんか……?」
「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えるとしよう」
剣を鞘に収めるヤヌアールに、差し入れの入ったカゴを持ったフェブルアールがふわふわと宙に浮きながら近付く。
──瞬間、何かが破裂したような音がした。
「うん?」
「え……?」
「………………ぇ…………?」
ぐらり、とフェブルアールが地面に落ちた。その際に持っていたカゴを落としてしまい、ティーセットと出来たてのアップルパイも転がってしまう。
そして穏やかな緑の草木に、鉄の臭いのする液体が染み付いていく。
少しの間呆けていた三人だが、事態を一番に察したのは他でもないフェブルアールだった。
「二人共伏せなさい!!」
彼女が言い終わるより先に、銃声が鳴り響いた。ユーリはその場に伏せ、ヤヌアールは地面を這ってフェブルアールに覆い被さる。
「フェブルアール、これはっ……!?」
「分からないわ……でも……撃たれたのが足で良かった……。銃声が止んだら貴女は軍を動かしなさい。ユーリちゃんを連れてね」
「承知したが……フェブルアールはどうするつもりだ」
「こんなに派手に動いてるんだから、ディツェンバー様が気付いてない筈がないわ。城の中にいるゼプテンバール君達には、もう司令が下されていると思うから……」
「そんな事は分かっている! 魔力を探る限り、既に城は包囲されている! そしてこの銃撃……これが止めば城は戦場だ!」
切羽詰まったようにヤヌアールが声を張り上げる。そんな彼女に、フェブルアールは冷静に伝えた。
「ヤヌアールちゃん……私達が最優先すべき事は、ディツェンバー様をお守りする事。その次が国民の安全。こんなおばさん一人を助ける事じゃないわ」
「馬鹿なのか!? 俺はフェブルアールを犠牲にするつもりは──」
「私も、ここで死ぬつもりはないわよ。銃声が止んだ瞬間、結界を張るわ。被害を広げない為にもね。……ヤヌアールちゃん」
ふと、力強い声で名を呼ばれた。ヤヌアールの下で、フェブルアールがへにゃり、と頬を弛める。
「貴女は強い子だから、絶対に大丈夫だからねぇ。頑張ってこの危機を乗り越えましょう?」
こんな非常事態なのに、普段通りの調子で笑ってみせるフェブルアール。だが彼女の行動は気の緩みからなどではなく、ヤヌアールを落ち着かせる為の行為だという事は、堅物なヤヌアールにも感じ取れた。
「…………あぁ」
強く頷いて、ユーリにも目配せする。彼女もまたこの後の行動を悟ったのだろう。
やがて銃声が止むと、ヤヌアールとユーリは城の中に向かって駆け出した。
それと同時にフェブルアールは宙に浮かび上がって、城全体に結界を張り巡らせる。そしてどこからともなく弓を取り出し、構えた。
──が。
空高く浮かび上がったフェブルアールの眼前に、咆哮をあげる何かが迫った。
「──────、ッ、!?」
身体を動かす間もなく、声を発する間もなく、フェブルアールの身体が半分に切断された。正確には噛み砕かれた、のだが。
銃による狙撃によって穴が空けられた両足がぼとり、と地面に落ちる。それを見て甲高い笑い声をあげる女が一人。
「キャッハハハハハ! チョロいチョロい! 今のうちに侵入しちゃえ〜★ キャハハハハハッ!!」
真正面から登場した魔獣使いゾンネ。
耳障りな声で笑い、魔王城の柵を越えた。