第44話
「ねぇ、メーアさん。……えっと……」
声をかけたはいいものの、どう言って切り出そうか迷ってしまう。メーアは表情に何も映さず、ただじっとゼプテンバールから紡がれる言葉を待っていた。
「その…………」
ゼプテンバールが口篭ったまま視線を彷徨わせていると、メーアが話し始める。
「…………。私の両親が亡くなった後、アウグスト様は此方に家を建てて下さいました」
「え、」
「それより以前に私が『貴族という家柄に縛られずに、普通の民衆のように家事に没頭して夫の帰りを待ってみたい。私が成した仕事を褒めて欲しい』と言っていたのです。婚約を断る為の口実でもあったのですけれど……」
「…………」
メーアは、初めはアウグストとの婚約を断ろうとしていたのか。相手を傷つけない為に相手から断ってもらおうと、あえて普通の貴族であれば不可能であろう難題を突き付けたのだ。
口実"でもあった"という事は、彼女は本心からそう思っていたのかもしれないが。
「両親の死を受け入れられなかった私に、あの人は言って下さいました。『俺が貴女の家族になりますから、貴女は一人ではありませんよ』と」
恥ずかしそうにそう告げるアウグストの姿が目に浮かぶ。メーアも懐かしそうに頬を弛めていた。
「仕事場での彼はどのような方でしたか? 私は夫としての彼の事しか分からないので、宜しければ教えて頂きたいです」
もしかしたら彼女は、ゼプテンバールの言いたかった内容について察しが着いたのかもしれない。だから言いやすくなるように話を振ってくれたのだろう。
それに答える為に、ゼプテンバールは緊張を押し殺して口を開いた。
「…………アウグストは……忠誠心が強くて、真面目な奴だったよ」
「そうですか」
「僕にも色んな事教えてくれたし、沢山話しかけてくれた。……でね……、言ってたの。奥さんは凄く美人で、家事も立派に出来て、優しい人だって。息子さんの事も、沢山話してくれた……。最後にね……伝言を頼まれてたんだ」
「…………はい、彼は何と」
「『愛してる』。そう……メーアさんと、息子さんに伝えるように言われたよ」
一瞬驚いたかのように目を見開いたメーア。だがその表情はゼプテンバールには正確に読み取れなかった。
まるでその言葉が来る事を分かっていたかのようで。それでいてその言葉を噛み締めるように。そして暫くしてから
「伝言、ありがとうございます」
と、立ち上がって一礼した。
紅茶を飲み、ケーキを食べ終えた頃。あまり長居をしては申し訳ないので帰る事にしたゼプテンバール一行。
最後に、アウグストとメーアの息子の顔を見ていく事にして。
玄関先で待っていると、小さな子を抱いてメーアがやって来た。
「わぁ〜可愛い! 名前は?」
「ヴェッターです。抱っこされますか?」
「え、いいの!?」
兄弟もおらず、近くに小さい子と触れ合う機会等ないに等しかったゼプテンバールにとって、初めての経験である。
よって少し緊張するのだが、彼女の好意も受け取っておきたい。
「……わ、重い……」
落とさないように気をつけなければ、と注意しつつ、腕の中にいる赤子を見下ろした。
すやすやと眠っていて、起きる気配はない。
「…………丸いな」
つんつん、とヴェッターの頬をつつくメルツ。その反対側からマイもゼプテンバールの腕の中を覗き込んだ。
「可愛いですね。お母様似でしょうか」
「そのようですね。成長が楽しみです」
最後にヴェッターの寝顔を見つめてから、メーアの腕の元へと返してやる。知らない人に抱かれているのも不安だろう。
「それじゃあメーアさん。困った事があったらいつでも言ってよ……力になりたいからさ……」
「……ありがとうございます」
「失礼しました。また、お会いしましょう」
マイの挨拶を最後に、ゼプテンバール達はその場を去る。彼等の姿が見えなくなるまで、メーアは玄関先で見送ってくれていた。
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ゼプテンバール達の姿が見えなくなった頃、メーアはヴェッターを抱いたまま、その場に膝を着いた。
力が抜けたかのように、ふらりと。
「…………アウグスト様……」
ゼプテンバールが伝えてくれた彼からの伝言。
『愛してる』
それがメーアの頭の中でぐるぐると回っていた。アウグストは元より恥ずかしがり屋なので、普段からそういった言葉を言ってくれる人ではなかった。
だからこそ、最後の最後にその言葉を紡いでくれて嬉しかった。欲を言えば直接耳にしたかったが、それだけでも十分満たされた気がする。
メーアの頬に、一筋の雫が伝った。そんな母を慰める為か、腕の中で眠っていた筈の赤子が喃語を発しながら手を伸ばす。
「……大丈夫……ありがとう……」
その手にそっと触れる。
両親に続いて夫も亡くしてしまった彼女だが、今は息子がいる。最愛の夫との子供が。
「アウグスト様……私も、……お慕い申し上げております……」
静かに、それでいて力の籠った声。最後に残してくれた彼の言葉への返事。
恥ずかしげに、そして嬉しそうに微笑んでいる夫の姿が見えた気がした。




