第43話
「糞餓鬼、ペイント眼鏡」
「何?」「マイです」
「こっちかこっち、どっちがいい?」
「え、一緒じゃん……」
「胸元のレースがあるかないかですね」
「一緒じゃん」
「選ばないなら安い方買う」
「糞餓鬼、ペイント眼鏡」
「何?」「マイです」
「こっちとこっち、どっちがいい?」
「え、それもなんか違う?」
「裾がヒラヒラしてるかしてないかの違いですね」
「一緒じゃん」
「こっちの方が動きやすいかな」
「糞餓鬼、ペイント眼鏡」
「何?」「マイです」
「バナナカスタードホイップかベリーチョコホイップどっちがいい?」
「え、呪文?」
「要はバナナかベリーかですよね」
「僕はカスタードの方が好きだけど」
「じゃあ間をとってベリーチョコホイップ、カスタードトッピングだな」
服屋で買い物を済ませた後、出店として構えられていたクレープ屋に足を運び、呪文のような名前の品を注文する。
メルツはともかく、こういった事に関心がなさそうなマイがすらすらと言えたのが不思議だ。ゼプテンバールはというと終始噛んでしまって注文どころではなかったので、メルツにお願いした。
クレープを片手に街を歩き始めると、メルツが口火を切る。
「これ食ったらケーキ屋寄って行くぞ」
「何処に?」
というかまだ食べ物屋に行くのか、とツッコミたい衝動を堪えて聞き返す。
「まぁ……そこんとこ」
しかし答えを濁されてしまった。
何処? ともう一度問うが、今度は返事すら返ってこなかった。
不審に思いながらマイに視線を向けるも、すぐさま逸らされてしまう。
(な、なんなのさ一体……)
一抹の不安を抱きながらも、クレープを口に運びながらメルツの後を着いて行く。
ケーキ屋で買い物を済ませた後、街を出て小高い丘の上までやって来た。ゼプテンバールの視線の先には小さな一軒家が。
(え、誰の家……?)
メルツがインターホンへと手を伸ばしたと同時に、家の影から一人の女性が姿を現した。
紫色の少し癖のある髪を胸の下まで伸ばして、赤い瞳をしている。キリッとしたつり目の美人な顔立ちをしていた。
品のあるフリルのついたブラウス、しっかりとアイロンがかけられた紺色のスカート、踵の高いブーツ。
重そうな洗濯物を抱えていたが、背筋をぴんと伸ばして真っ直ぐにゼプテンバール達を見据えた。
「どちら様でしょうか」
此方の姿勢まで伸びてしまうような芯のある声だ。ヤヌアールのような強さとも、ユーリのような透き通る美しさとも違うが、何とも心惹かれる声だった。
そう、一言で言えば……。
(めっちゃ綺麗な人だ……)
「お初にお目にかかります。我々はディツェンバー様直属の部下です」
「…………」
素性を伝えたマイに、女性は怪訝そうに眉を顰めた。
「既に、御挨拶に来られましたが」
「本日は個人的な用で来させて頂きました。宜しければ、僕達とお話しませんか?」
「…………。畏まりました。散らかっていますが中へどうぞ」
扉を開けて家の中へと入って行く女性。その背を見つめながら、ゼプテンバールは小声でマイに声を掛ける。
「ね、ねぇ……あの人は? ここは?」
「……ここはアウグストさんの家。彼女は奥様です」
「……………………」
ゼプテンバールは暫くの間、固まってしまった。
え、どうして?
確かに奥さんは美人だと聞いていたけど、あそこまでとは思わなかったよ?
アウグストは貴族出身だって聞いてたから、てっきり屋敷に住んでるのかと思ったよ?
そもそもなんでここに来てるの?
え、僕はどうすればいいの?
そんな疑問がぐるぐると回り、口をぱくぱくさせるしかなかった。
「本来の目的は……此方だったんです。ゼプテンバール君、アウグストさんから伝言を頼まれてますね?」
「う、うん……」
「貴方から伝えてあげて下さい。ディツェンバー様からの命令です」
"命令"という言葉に身体が強ばるのが分かる。緊張が高まるゼプテンバールをよそにメルツは
「奥さん、よかったら召し上がって下さい」
と、ケーキを手渡している。
というかおにねぇさん敬語使えたんだね……。
そんなツッコミも声に出ず、ゼプテンバールは動悸を感じながらマイの後に続いて家の中へと足を踏み入れた。
普段は食事等に使っているであろうテーブルとセットの椅子に腰掛け、女性がやって来るのを待つ。
洗濯物を適当に置いて、紅茶を淹れる姿が見える。カップを温めて紅茶を蒸らしている間に、メルツが土産として持ってきたケーキを皿に移している。
そして準備を終え、ゼプテンバール達の前にそれ等を出してくれる。
湯気の立った心地よい香りの紅茶。そしてベリージャムののったチーズケーキ。
ゼプテンバール達の向かい側に腰掛けた女性は、背筋を伸ばして口火を切った。
「改めまして。アウグストの妻、メーアと申します」
「メルツ……です」
「マイです」
「ゼプテンバール……です」
「楽にして下さって構いません。私用で来られたのでしたら尚更」
どうぞ、と諭されてから、ゼプテンバールは紅茶を口に運んだ。
(めちゃくちゃ美味しい……)
緊張していた心を解きほぐしてくれるような温かさを感じながら、ゼプテンバールは静かにメーアを見つめたのだった。