第42話
建物と建物の間の細い脇道に入った所で、マイはメルツの腕を掴んでいた手を離した。
開放されたと同時に、メルツはマイの胸倉を掴み上げる。
「テメェどういう了見だ、あぁ!?」
「むしろ今まで聞かないでいてあげたんです。貴方の方から話すべきではありませんか?」
「っ……! お互いに深く介入しないのが……暗黙の了解だろ……」
「なら、本当に貴方を口説き落とせば話してくれますか?」
「童貞インテリペイント眼鏡には無理だな」
「マイです。これまで彼女はいなかった僕ですが、童貞じゃありませんよ」
「チッ」
「そろそろいいですか。本題に移っても」
動じる様子もないマイにもう一度舌打ちしてから、メルツは手を離す。よれた服を軽く整え、マイは口を開いた。
「……貴方は、誰から逃げてるのですか?」
「………………」
沈黙。
否、答える気がないのではなくて、口にするのを恐れているかのようだった。
「はっきり申し上げて、貴方の怯え方は異常でした。勿論、嫌いな人や恐怖心を抱く相手がいるのは誰でもある事です。ですが……嘔吐するまでの恐怖を与えた人がいるのですか?」
「そ、れは……」
「あの時はすぐに仕事へ戻って行きましたが……今後、何かないとは言いきれません。その時に対策出来るように、教えては下さいませんか?」
マイもまた、仲間を失う事を恐れているのだろう。冷静でいて少し切羽詰まっているように思える。
万が一の事があって、後悔したくないという思いが伝わってくる。
「それとも僕では駄目ですか?」
「マジで口説きにかかってんじゃん」
マイの説得に押し負けた訳では無いが、先日介抱してくれたのは事実。そして彼に、これ以上心配をかけたくはなかった。
辺りに人がいない事を確認してから、メルツは恐る恐る話し始める。
「俺様の故郷に……ベヴェルクトという奴がいた」
「ベヴェルクト……先日の件で名前が上がっていた方、ですよね……」
呪いの館の主、アガルマトフィリアの大量虐殺者・ルフト。
宝物官であるキュステと交戦中に現れたという女性。彼女の名もそうだった。
「そうだ。容姿も記憶と一致しているし……珍しい名前だからまず間違いねぇ」
「そうですか……」
「俺様の姉貴分で、普通に良い奴なんだ。……けど……アイツは──────」
メルツの言葉に、マイは目を見開いた。
※※※※※※※※※※
悩みを聞こう、と言われたのはいいものの、ゼプテンバールは戸惑っていた。
(半月の同僚が同じく同僚の執事に口説かれているので待っている……とでも言えと……?)
初対面の人相手に説明するのが難しすぎる。そして何より、他言する内容でない気もする。
よって、ゼプテンバールは本当に小さな悩みを口にするだけに留めた。
「い、今はちょっといないんだけど……同僚の子が女子会に行く為の洋服を買いたいらしいんだ。でもどんなのがいいか分からないらしくて……。清楚系? らしいんだけど……」
同僚が死んだでもなく、口説かれている事でもなく、見ず知らずの人に話しても支障がない話。
これならば問題は無いだろう、と選んだのだ。
「ほう。それは確かに迷うかもしれないな」
「で、でしょ……」
「その子はどのような容姿なのだ?」
「えっと……。…………中性的な見た目、かな……」
目付きが悪くてチンピラみたいだ、とは言えず、ゼプテンバールは精一杯のフォローを混じえてそう言った。
「ふむ。身長は高い方かね?」
「ま、まぁ……170近い、かな」
「体の線は細いかね?」
「た、多分……」
「ならばスカートでも問題なかろう。中性的な容姿なのであれば白か黒の方が映えると思うがね。柄物は避けた方が良いかもな」
「そ、そう……詳しいんだね……」
「仕事柄、色々と知っておかねばならないのでな」
彼女の仕事が何なのか、少し気になる。しかしそれを口にする前に、女性がゼプテンバールに投げかけた。
「して少年。その女子とは恋仲かね」
「違う違う。ただの同僚」
「…………そうかい。ならばいいんだ……ならば、ね」
(な、なんか変な人だな……)
よく知りもしない相手にそんな事を思ってしまう。しかし満足気に頷く彼女を見れば、誰でもそう思ってしまうのではないだろうか。
「では少年。好きな女子はいるのかね」
「い、いない……かなぁ……」
「そうかい。恋はいいものだぞ。常に幸せで満足感に満たされているのだからね」
その口振りでは、この女性には好きな人がいるみたいだ。これは聞くように先導されているのだろうか。
生返事をして様子を見ていると、ゼプテンバールが問うまでもなく女性は言った。
「僕にはいるのだよ。大好きな子がね」
「そ、そうなんだ……」
「あぁ……。そう。──だから、早く殺してやらねばなるまいな……」
「!!?」
ゾッ、と背筋が凍った。
彼女の頬は紅潮し、恋心を抱く少女のような目をしていた。それなのに、口ではそんな物騒な事を言っているのだから。
「あは、あはは……冗談、にしては……ブラック過ぎない……?」
「……僕はそのままに言ったつもりなのだがね。ブラックジョークに聞こえたかい? なにか、おかしな所があったかね?」
若干詰め寄られて、思わず身を引いてしまう。この場合正しい判断なのかもしれないが。
女性からの圧をひしひしと感じながら、ゼプテンバールは首を横に振った。それを見た女性は、安心したように頬を弛め
「ならば良いのだよ」
と、立ち上がった。
「この辺で失礼するとするよ。あまり長居しては迷惑だろうからね」
「あ、あー……。……じゃあね……」
軽く手を振って、彼女は増えてきた人の波の中へと紛れていった。
それと入れ替わりになるように、メルツとマイが帰ってくる。
「あ、おかえり」
「お待たせしました。誰かとお話してたんですか?」
「あー……ちょっと……うん」
返事を濁したゼプテンバールを不審な目で見つめる二人だったが、特に気にすることなく服屋に向かって歩き始めた。