第39話
「魔王様……ゼプテンバール君……」
ふと、アウグストが呼び掛ける。
未だにこの場の空気は張り詰めたものだが、ディツェンバーも殺気を消してアウグストに歩み寄った。
「なんだい?」
「アルター様の事、責めないであげて下さいね」
驚いた。彼に攻撃を受けたアウグストがそれを言うのか、と。
言葉の真意が読み取れずにいると、アウグストが続けた。
「今のは……魔王様も悪いです。彼に、……貴方の代わりとして育てられた彼に……"受けた教育の違い"を説いてはいけませんよ……」
アウグストは分かっていたのだ。アルターが何に苛立ち、失望したのかを。
──第一王子であったディツェンバーは、常に優れた教官に教えを受けた。国民と触れ合う機会も多く、また様々な者達と関わりを持っていた。
反してアルターはディツェンバーの代用品として、いざとなった時対処出来る程の教育しか受けられなかったのだ。
そして他にディツェンバー意外にも魔王になれる存在がいる事を悟られない為に、常に外界との関わりを絶たれてきた。
本で目にするのと、実際に感じるのとでは埋められない大きな差がある。
それを分かっていたからこそ、ディツェンバーはその言葉を口にしたのだ。
今からでも学ぶ機会を与えようと。
「……彼は……僕と違って外に出る事が少なかったから……。今からでも留学なりするべきだと……」
「ふふっ、それは魔王様の言葉足らずです」
彼の言う通りだ。なお出血が治まらないらしいアウグストは、手当てを施していたメイドに手を止めるように言った。
「折角俺が痛いの我慢して冷静でいたんですから……その言葉は素直に受け取って下さいね……」
「我慢って……お前……」
腹部に穴が空いているのに我慢?
冗談か何か言っているのだろうか。
呆れを通り越して掴みかかってやりたかったが、アウグストがゆっくりと身体を起こしたので、それをぐっと堪えてその身体を支えてやる。
「……一つだけ、お願いがあります。これだけは絶対に守って下さい……」
「先に傷塞いでからにしてよ!! お願いなんていくらでも聞くから!!」
「もう無理でしょうよ……こんな風穴空いて生きていけると思いますか……?」
もう諦めはついている、といったふうに笑ってみせるアウグスト。それが我慢ならなくて、ゼプテンバールは声を荒らげた。
「それでも生きてよ!! お前には……奥さんや息子もいるんだろ!? 僕だって……、僕だってお前が死んだら悲しいよ!! だから最後みたいに言わないでよ!!」
「ゼプテンバール君……。そう言って頂けて嬉しいですよ。……君はやはり、優しい子ですね……」
そう言ってゼプテンバールの頭を撫でてくれる手は、微かに震えている。それに少し、冷たく感じられた。
「お願いというのは、俺の研究……魔物を蘇らせる物について。あれは全部……処分して下さい」
「!?」
アウグストの研究、それは魔石と化した魔物を復活させるという物だ。ゼプテンバール自身、その方法は聞かされていないが、論文として保存はされているだろう。
それを処分しろと、彼は言うのだ。
そしてそれは、魔石となった自分を蘇らせないでくれ、と言っている事と同義。
「……理由を聞かせてくれるかい……?」
「研究しておいてなんですが……あれは発表するべきではありません……。悪用される可能性の方が高い……」
「でも……喜ぶ人だっているよ……」
「それでもです。俺は……俺の研究が悪用されて誰かが不幸になるのを見たくありません……」
彼の声色は、弱々しくも確固としたものだった。仲間内にも方法について話さなかったのは、どこかで迷いがあったからなのだろう。
「…………分かった」
彼の意志を受け取って、聞き入れたディツェンバー。同意の言葉を聞いたアウグストは、嬉しそうに微笑んだ。
その瞬間、彼の身体が黄緑色の靄に包まれ始める。
「メーアさんとヴェッター……妻と息子に……伝言を頼めますか……?」
「うん……なんて言えばいい……?」
「………………愛してる、と。お伝え下さい。そして……魔王様……ゼプテンバール君……楽しかった……。ありがとうございます……」
伸ばされた手を掴む寸前で、アウグストの姿が消えた。床には黄緑色の魔石が落ちていたが、ゼプテンバールの視界は霞む一方でそれを捉える事は出来なかった。
「アウグスト……うっ……」
涙ぐんだゼプテンバールをそっと抱き締めるディツェンバー。それを機に、歯止めが聞かなくなって。
ポロポロと零れ落ちる涙と、仲間の死を悲しむ嗚咽。部屋の中に他の同僚達が入って来たが、お構い無しにゼプテンバールは泣き叫び続けた。