第3話
暫く歩いていると突然、ゼプテンバールの鼻に独特の鉄の臭いが掠めた。それは他の者達も同様だったらしい。
「血の臭い……だな」
「あらあら物騒ね〜。でもこれ、魔物の臭いじゃないわね。魔獣じゃないかしら」
魔獣狩りのスペシャリストが言うのだから確かなのだろう。
すんすん、と鼻を鳴らしてアプリルも頷いた。彼に至っては鼻すらも包帯に巻かれているので、本当に臭いを認識しているのかは分からない。
「しかもこれは亜種のようですねぇ。本来の魔獣に比べれば質も劣りますが、亜種には亜種なりの価値があります。ま、見てみないと流石のボクでも分からないので早く先を急ぎますよ」
「そうですね、行きましょう」
早口でそう言うなり、アプリルはすたすたと歩き始めてしまった。アウグストも興味があるのか、歩くペースが少し早い。
歩き始める面々の背を見つめていたが、ハッとしてゼプテンバールは駆け足でフェブルアールに追いつき、話しかけた。彼女に聞きたい事があったのだ。
「ねぇねぇお姉さん。お姉さんはどうして宙に浮いているの?」
「ん〜私身長低いのね〜。子どもと間違えられるから恥ずかしいのよぉ。私おばさんだから……あと飛んでた方が楽でしょ」
「魔王様の前では飛ばなかったよね」
「…………そうねぇ」
「お前なぁ……当たり前だろうが」
ゼプテンバール達の会話を聞いていたのか、前を歩いていた筈のメルツが振り向いていた。腕を組んで、ゼプテンバールを見下ろしている。
「魔王様の前じゃ絶対平伏。乳飲み子でも分かるような常識だぜ」
「僕が乳飲み子以下だとでも言いたいの……?」
ジトッ、とした視線をメルツに送るが、気にする様子もない。
「その婆が四六時中ふわふわ飛んでようが、魔王様の前じゃそれも崩れるさ」
「おや、そんな常識も知らないとは……教養がない子は好きじゃありませんよ、ボク」
アプリルに横槍をさされ、今すぐにでも掴みかかりたかったがぐっと堪えたゼプテンバールは、顔を逸らすしかなかった。
彼は引きこもりなのだが、ただの引きこもりではない。
そうせざるを得なかった理由があるのだ。
とはいえ自分について話したい訳でも無い。ゼプテンバールは誤魔化すかのように拳を握り締めた。
「貴様等、早くするんだ」
ヤヌアールの凛とした声に諭され、ゼプテンバール以外の者達が再び歩き始める。だがどういう訳か諭した張本人であるヤヌアールは、ゼプテンバールの元までやって来て
「気にするな。貴様の考察は間違ってはいない」
と、肩に手を置いて言った。
「……お姉さんも気付いたんだ」
「あぁ。少年、貴様は見所があるな」
ヤヌアールがよしよし、とゼプテンバールの頭を撫でる。
ゼプテンバールとしてはもう頭を撫でられるような年齢でもないし、恥ずかしいので振り払いたかったが、認められて悪い気はしない、というのが事実だ。
視線だけ逸らしていると、一行の耳に一発の銃声が聞こえてきた。
「!」
「他の者達だろうか」
「……急いだ方が良さそうだな……」
ダッ、と走り出したメルツに続いて、残された一行も駆け出す。
暫くして見えてきたのは、一人の青年が銃を構えている所だった。銃口が向けられているのは眼鏡を掛けた青年だ。
「貴様等は……!」
「……マイ、ユーニ、ユーリ、オクトーバー……ですね」
確認するかのように順に名を述べたアウグスト。名を呼ばれたにも関わらず、誰一人として反応は示さなかった。
「仲間割れか?」
「あははっ! 全員集合だな!!」
マイに銃口を向けているユーニは、笑いながらそう言った。確かにディツェンバーに呼び出された全員がこの場に集結している。
本来ならば、それは好都合なのかもしれない。
ゼプテンバール達は地下に落とされた。正確な場所も分からないし、何故このような目に遭っているのかも分からない。
だからこそ協力して出口を探すべきだと、ゼプテンバールは思った。
だが現状はそれ所ではないらしい。
このままユーニがマイに向けて発砲したとしよう。闘いが巻き起こるのは回避出来ない。
そうなればゼプテンバールが無傷で外に出る事は叶わない。どうするべきか迷っていると、ヤヌアールが一歩踏み出した。
「まずは銃を下ろせ。折角全員集まったんだ……俺と少年の話を聞いてもらおうじゃないか」
「少年……?」
「ゼプテンバール少年、言ってやれ」
「………………」
突然話を振られて呆けるゼプテンバール。数秒の沈黙の後、彼女が言った言葉の意味を理解した。
「なんで僕!?」
「名誉挽回するならばここしかないぞ」
「なんでもいい。話す事があるならさっさと話せ糞餓鬼」
全員の視線がゼプテンバールに注目する。話さざるを得ない状況に追い込まれ、不本意ながらもゆっくりと口を開いた。
「ま、魔王様に呼び出された時……僕疑問に思ったんだ。フェブルアールのお姉さんと、アウグストのお兄さん……あとマイのお兄さんの動きが可笑しいな……って」
「「「………………」」」
沈黙。
名を挙げられた三人は、何も言わずに静かにゼプテンバールの言葉を待った。その視線が怖い。
だがここで怯んでは男が廃るというもの。恐怖を堪えてゼプテンバールは再度口を開く。
「フェブルアールのお姉さんは……普段宙に浮いてるし、いくら跪いてたとはいえそのまま落下するとは思えない。床が閉まったのは落ち始めてから数秒後。その間に浮遊するのは造作もない筈」
「……ふふっ、確かにそうねぇ」
「マイのお兄さんは……魔王様が現れた所にそれまで立ってたよね。まるで……そこに魔王様が現れる事を知ってたみたいに動いた……」
「おや、君にはそう見えたのですね」
「アウグストのお兄さんは……初めヤヌアールのお姉さんの隣に立っていた。でも、魔王様が現れて整列した時には……ヤヌアールのお姉さんから離れて僕の隣にやって来た。わざわざ自分が立っていた場所から離れた……僕の隣に」
「…………そう、ですね……」
「メンバーの職業や年齢もバラバラ。でも魔王様が僕達を呼び出したのには何かしらの理由がある。きっと何かを確かめたかったんだ。でも──」
「内々で殺し合いされては困る、という事か?」
「……恐らく……」
元々、好戦的な者が多い魔物だ。殺す事において罪悪感を抱く者の方が少ないくらいに。
しかしそれはディツェンバーにとって都合が悪い。
だがディツェンバーは何かを企んでいた。その為にはゼプテンバール達を一箇所、もしくは数人ずつに分けて集めなくてはならない。
その際にある程度統率をとらせる者が必要となる。それがフェブルアール達だとゼプテンバールは踏んだのだ。
その事を聞く前にメルツ達に邪魔されたのだが、ヤヌアールも同様に気付いていたらしい。その証拠にゼプテンバールの考察を聞き終えた彼女は満足気に頷いている。
「完璧だ、少年」
「あはははっ! おれもそう思ってた!」
ヤヌアール以外にユーニも気が付いていたらしい。まさか聞き出す為にマイに銃口を向けていたのだろうか。
「で、ででですが……本当に……?」
「それは御本人に聞いた方が早そうですね……。どうなのですか。真実なのですか?」
静かに、それでいて芯の通った声でユーリが問う。それに応えたのはフェブルアールでもマイでも、アウグストでもなかった。
「真実だよ」
瞬間、景色が変わっていた。
赤い絨毯が敷かれた広い空間だ。黒い壁に沿って鎧を着た者達が立っている。
「!!」
ゼプテンバールはハッとして顔を上げた。目の前にある階段の上……そこにはディツェンバーが椅子に腰かけていた。
ひと目で分かる。ここは魔王城で、魔王と謁見する厳かな場所であると。
今度はメルツに押さえ付けられる前に跪く。他の者達も同様に膝をつき、頭を垂れた。