第32話
ぷらぷら、と足を揺らして。
呪いの館と呼ばれている建物の屋上に、一人の少年がいた。
被っているシルクハットには不気味な骸骨の飾りがあしらわれているが、皺一つない漆黒のコート、胸元のリボンから高貴な身分である事が窺える。
そんな少年の背中には、彼の身長よりも大きい黒い棺桶が背負われていた。三つの鍵で施錠されているおかげか、激しく動いても蓋が開くことはない。
「ねぇねぇクノッヘン。また侵入者だよ」
少年の呼び掛けに、返事はない。しかし少年には返事が聞こえているらしく、続けて言う。
「そうだねぇ。ここはオイラとクノッヘンのお家だもんねぇ」
じゃあ、と少年が立ち上がる。その際にシルクハットを目深に被って。
「『発動・回転』」
少年がそう呟くと、館の中からゴゴゴ、と物音が響く。
丁度現在、侵入者達がいる部屋が回転した音だ。
「『停止・転送』」
続け様に呟くと、館の入口付近に三つの影が突如として現れた。それを確認しつつ、少年は最後の詠唱を唱える。
「『発現・牽引』」
少年がこれを唱えた直後、ゼプテンバール達の前に扉が現れ、引きずり込まれる事となる。状況はある程度理解しているらしい少年は、クスクスと笑みを浮かべながら館全体を見渡した。
「弱そうなのは人形達が殺してくれるだろうし……裏門に回った侵入者はオイラが──」
「──あら待って。その前に私とお喋りしましょう?」
突如として、少年の左腕が宙を舞った。その断面から血が吹き出る──と思いきや、断面は艶のある肌色のままだ。少年の顔にも苦痛の表情はない。
「有名人とお話する機会は中々ないもの、いいでしょう? 魔界全土で指名手配中の大量殺人鬼・ルフト君?」
少年──ルフトは、キュステに反応する事なく、飛ばされた左腕を拾い上げる。
「被害者の数は把握している分で五十を越える。内臓を取り出して闇市場で売っているとかなんとか。現場に残されたのは大量の血溜まりと貴方の名刺」
つらつらと語り掛けるキュステの言葉を聞き流して、ルフトは左腕を戻そうと切断面と合わせ、縫い合わせていた。
「でも不思議な事に、現場には魔石は残されていないのよね。あれは魂の結晶だから、ない事はないと思うのだけれど」
どこにあるの? と首を傾げたキュステに、ルフトはようやく返事をした。
「内臓はお金が欲しいから盗っただけ。必要なら身体の一部を貰う事もあるよ。でも……それはあくまで必要なだけ」
「質問に答えて下さる?」
「オイラが心から必要としているのは魔石そのものさ。いや、正確には魔力、かな。アガルマトフィリアのオイラには必要不可欠なものだからね」
「アガルマトフィリア……人形偏愛症なのね」
「そ。整った造形に職人の拘りが垣間見える繊細な作り。オイラ達とは違う……日によるコンディションに左右されない……。艶やかな髪も、宝石のような瞳も、すべすべした肌も、なんか……最高にゾクゾクしないぃ?」
頬を紅潮させるルフトに冷めた視線を送りつつ、キュステは双剣を構え直す。
「性的嗜好に口を出す権利は基本無いのだけれど、他人に迷惑をかけるものは例外です。そういった害悪な存在が目立つから、他の真っ当な方々が被害を被るのですよ」
「人形はそうやって説教じみた事も言わないしね。オイラの言葉に頷いて、同意して、従ってくれる。凄く凄く素敵でしょぉ? それが分からないお姉さんは人生損してるよ。だからさ……」
気が付けば、離れ離れになった筈の左腕が元通りになっていた。
そしてルフトの手元が紅色の靄に包まれる。それが形を成した頃には、一つの大きな斧が握られていた。装飾としてあしらわれている骸骨が、不気味に此方を見据えているような気がした。
「お姉さんもオイラの人形になってよ」
「ごめんなさいね。私、奴隷になるつもりはないの」
「人形だって言ってるでしょ!」
含み笑いながら、ルフトは駆け出す。小柄な体躯で大きな斧を持ち、黒い棺を背負っている。キュステも両手に双剣を握っているが、それとは比べ物にならない筈だ。
それを軽やかに後退して躱したキュステは、ふわりと微笑む。
「さて。久々の有益な殺生だわ……頑張らなくっちゃね」
宝物官という皮を被った殺し屋・キュステ。
彼女の正体を知る者は数少なく、また、その残虐さを知る者もまた少ない。
ディツェンバーが直々に選んだ一部の部下には、彼女のような者が多い。そしてそれは、直属の部下になった者達にも同じ事がいえる。
その中でもディツェンバーが必ず呼び出すように、といって選別したのは三人。
ヴェルメ族の末裔、ゼプテンバール。
萬屋で幅広い仕事が出来るメルツ。
そして────。
「館の方には、あの子がいるから大丈夫でしょうし、集中しましょうね、私」
鼓舞するように一人小さく呟き、キュステは双剣を振るった。