第26話
駆け足で部屋に戻る。
アプリルとて、責めている訳では無いと言っていた。話を最後まで聞かずに飛び出したゼプテンバールの事を探しているだろうか。
もしかすると彼は自責の念に囚われているかもしれない。
そう思うと一秒でも早く戻らねば、という焦燥に駆られる。
扉の前で一度深呼吸してから、ゆっくりとドアノブに手をかける。恐る恐る扉を押し開けて早々にゼプテンバールの耳に入ってきたのは、アプリルが啜り泣く声だった。
「うぇっ……ひっく……ボクのせいれすぅ〜……素直になれないボクが悪いんですぅ〜……」
「アプリル!! お酒飲んじゃダメって言ったのに!! 何で飲むの!!?」
「ほっといてくらはい〜! ボクがお友達を作るらんて無理な話らったんれすぅ……!」
「お酒飲むなら包帯外せ!?!? ドッボドボでお酒くせぇから!!」
地獄絵図。
まさかここまで追い込まれてるとは思わなかった。
アプリルは酒が強くない。一口飲めばフラフラになって呂律が回らなくなる有様である。ユーニに酒を取り上げられてもまだ飲む気らしく、ヒラヒラと袖を揺らしてグラスに手を伸ばしていた。
「まぁまぁ……ゼプテンバール君もちょっと驚いただけよぉ〜」
「そうだぞ。気に病む必要は無いだろう……俺が言うのもなんだがな」
フェブルアール、ヤヌアールが慰めるかのように、それぞれアプリルの肩に手を置く。それでも彼は聞く耳を持たずに駄々をこねる子供のように足を揺らした。
「ぅわぁぁぁあんもういやだぁぁあ」
「完全に子供になってるぞアプリル!!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ──。…………………………」
「…………………………」
身体を反らしたアプリルと完全に目が合った気がした。その瞬間それまでの行動が嘘のように、コホン、と咳払いして立ち上がる。
「…………随分と長い便所でしたね???」
「馬鹿なのお前」
恥ずかしさを誤魔化す為に嫌味な言い回しをしようとしたが、妙な方向へと空振ってしまっている。そんな彼にツッコミを入れつつ、彼の前まで歩み寄る。
「その……さっきは、ごめん……。実は…………」
訳を話そうとアプリルを見上げた瞬間、彼が力を失ったかのようにゼプテンバールに倒れかかった。慌てて彼の身体を支えるも、その重みに耐えられる気がしない。
「どうしたのアプリル!?」
「………………すぅ……」
聞こえてきたのは穏やかな寝息。つん、と彼の包帯から鼻の奥を刺激する酒の匂いで酔いそうだ。そんな彼をひょい、と担ぎ上げたユーニがぺこり、と頭を下げた。
「水ぶっかけて来る!!」
「かけないであげて」
ユーニがアプリルをソファーに寝かせて戻ってくるのを待ってから、ゼプテンバールは先程の事を話した。
大会の時の記憶が無い事、その件に関して劣等感を抱いている事。
ゼプテンバールが語り終えると、真っ先に口を開いたのはマイだった。
「それは大変でしたね。確かに、話しにくい内容ですね……」
「ごめん……隠すつもりは無かったんだ……」
「…………別に、いいんじゃねぇの?」
そうぶっきらぼうに口にしたのはメルツだ。視線はそのままに、グラスを回しながら続ける。
「誰にだって隠し事の一つや二つはあるだろ。俺様がそうだったように。影武者でも使ってた、ってんなら話は別だろうがな」
「メルツさんの言う通りですわ……ゼプテンバールさん、話して下さってありがとうございます……」
にこり、と花のような笑みを浮かべたユーリ。彼女からほんのりと漂う発泡酒の香りですら、彼女が秘める甘美な魅力に思えてしまう。
「メルツ……ユーリ……」
「ぅ、あ、ああああの!」
仲間二人の励ましに心打たれていると、おずおずとオクトーバーが手を挙げる。先程と変わらない様子で指を組んだりして、視線を彷徨わせた後
「ぼ、ぼぼぼ僕っ……その事についてしっ、しし知ってる事が……あ、あります……」
そう言った。
「ど、どういう事……?」
「し、しし白い髪に……ぁ、あ赤い瞳、そそっ、それとツノ……ま、ままま魔界でもめ、珍しい一族……と、聞いてま……すぅ……」
「! ヴェルメ族ですか!」
アウグストが口にしたヴェルメ族という言葉。それに聞き覚えがあるらしいのは、マイとオクトーバーだけのようだった。
「おばさんも知らないわねぇ〜」
「その昔、魔王軍の半数以上を占めていた戦闘民族です」
「!?」
この中で一番驚きを顕にしたのは、当の本人であるゼプテンバールだ。
────ヴェルメ族。戦闘以外の場面においては他の魔物と何ら変わりない、温厚な者達が多い一族。
しかし戦場での彼等は狂気に満ち満ちている。
毛先まで白く染まった髪、血のように赤い瞳、膨大な魔力が漏れ出し結晶と化したツノ。
その姿を見た者は殆どいない。
ヴェルメ族が戦闘態勢に入る、という事は、それ即ち死を意味するのだから。対象を跡形もなく消し去る、それがヴェルメ族の本能であり信条。
文献に触れる機会が多いアウグストやオクトーバー、博識なマイしか知らなかったのもそのせいだろう。
「しかし驚きですね。ヴェルメ族はもう存在しないものと思っていました……」
「ゼプテンバール君、以前剣の大会は『親に無理矢理出された』と言っていましたね?」
「う、うん……」
アウグストの問いに頷きを返す。
二年前。
普通に学生の少年として生活していたゼプテンバールは、突如として連れて行かれたのは大会が催されていた会場。
「勝ってこい」、「死ぬなよ」と無責任にも思える励ましをするだけして、ゼプテンバールに武器を持たせ大会に出場させた両親。
ある種、生き残る為に勝った、というのは間違いではなかったのかもしれない。
「……覚醒、ではないでしょうか」
ぽつり、とマイが呟く。
「かくせー?!」
「特殊な血を持つ一族にはよく見られるものです。ゼプテンバール君の場合、戦闘の場面で箍が外れた……そう考えるのが一番無難かと思われますね」
「となると……お前の親はどうしてもお前を覚醒させておきたかったみたいだな」
まるで自身等の死期を悟っていたかのようだ、とでも言いたげなメルツを後目に、ヤヌアールが興味深そうに身を乗り出した。
「その覚醒とやらは起こったのだろう? それはコントロール出来るものなのか?」
「……分からない……。少なくとも僕の意思では……」
周りに知らされてからというもの、自分の力であの姿に慣れないものか、と駆使し続けた。しかしそれらしい変化は微塵も感じられなかったので、とうに諦めてしまっている。
ゼプテンバールの答えを聞いたヤヌアールは、少し残念そうにしていたが、少ししてからよし、と立ち上がった。
「ならば引き続き、俺が貴様の稽古をつけてやろう。命の危機ともなれば、再び覚醒とやらが起こるかもしれないからな」
「…………と、いう事は……」
ヤヌアールがニッ、と笑みを貼り付ける。それは言葉にされずともしかと伝わった。
『明日からより厳しい訓練になるぞ』と。