第25話
以前借りた本が中盤に差し掛かった事を伝えた後に、アルターに礼を言って彼の部屋の扉を開く。と、すぐ目の前にディツェンバーの姿があった。
アルターに用事があったらしく、ノックしようとしてたらしいそのままの姿勢でゼプテンバールを見下ろした。
「ゼプテンバール……どうして君がアルターの部屋に?」
「ちょっと……お話してたんだ」
「…………そうかい。──────」
ゼプテンバールにしか聞こえないような小さな声で、ディツェンバーは一言。
その言葉に呆然としていると、ディツェンバーがアルターの部屋に入り、扉を閉める。
パタンッ、と響いたその音が、妙に虚しく感じられた。
『アルターには気をつけるんだよ』
(どういう意味だろう……)
アルターは人当たりのいい優しい少年だ。ゼプテンバールと一個上だとは到底思えない程、落ち着きがあって大人びている。
それなのに、アルターの何に気をつけるというのだろうか。
訳が分からないまま、落ち着きを取り戻したゼプテンバールはアプリル達のいる飲み会が催されている部屋へと足を進めた。
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扉を閉めて、ディツェンバーはゼプテンバールが部屋から遠ざかるのを待った。パタパタ、と軽い足音が完全に聞こえなくなってから、アルターに微笑みを向ける。
「随分と楽しんでいたようだね」
「年齢も近いので……楽しませて頂いております」
「…………以前、僕の事を『相変わらず人を騙すのがお好きなようですね』と皮肉を込めて言ってくれたよね。その言葉、今改めて返してあげる。
──相変わらず、嘘をつくのが好きなようだね」
「……盗み聞きですか。やはり趣味の悪い」
くつくつと喉で笑うアルターに、ディツェンバーは嘲笑混じりに続ける。
「ゼプテンバールは僕の部下だ。僕の評判を下げたいのなら、他の者にしてくれないかな」
「あくまで俺の行動はお見通し、そう言いたいのですね。そんなつもりはないんですがね」
「それに何だって? 両親が死んで寂しい? お前がそれを言う資格はないよ。父上と母上を殺した張本人であるお前だけにはね」
「…………………………ふ、っ」
ディツェンバーが口にした真実に、アルターは一笑しただけだった。
「冗談はよして下さい、兄上。俺にそんな事をする度量が無いのは御存知でしょう? 憶測でものを言うのは兄上の悪い癖です」
「御託はいらないよ、アルター。何が目的か。僕が聞きたいのはそれだけ」
「…………。そうですか。はい」
瞬間。黒い魔弾が放たれた。
だがそれはディツェンバーの目前でピタリと動きを止める。
ディツェンバーの持ち合わせる能力は『時間操作』。張り巡らせた魔力の範囲内では身動きが取れるが、その範囲外の時間は止まるというもの。
現在、ディツェンバーが能力を発動させ、魔力を張り巡らせている範囲は自身の周りのみ。視線の先にいるアルターの動きは止まったまま、微動打にしない。
その間にアルターによって放たれた魔弾を、自身の魔弾で相殺する。その際に起こる爆発から身を守る為に、防御魔術も発動させて。
それから能力を解除して、即座に再び能力を発動させる。
今回彼が魔力を張り巡らせているのはアルターの私室のみ。即ち、ディツェンバーが解除するまでは、行動も発言も外の誰にも聞かれる事はない。
扉を開ければ、そこは時の止まった世界なのだから。
爆風がアルターの私室にある家具を揺らしていく。本棚が倒れ、テーブルの上に山積みにされていた本を巻き上げて床に散乱する。
だが、ディツェンバーもアルターもその位置から一歩も動かなかった。まるで、どちらもそこまで予知していたかのように。
ディツェンバーは兎も角、アルターには何が起こったのか理解出来ていない筈。それなのに彼の表情は先程と同様、落ち着きを兼ね備えていた。
「…………」
「…………」
長い沈黙の末、先に口を開いたのはアルターだった。
「兄上には俺の気持ちなんて分からないでしょうね……生まれた時から全てを持ち合わせていた貴方と、生まれる前から二番手以下だと決めつけられていた俺。世間に必要なのは前者。後者は付属品でしかない。前者にもしもの事があった時の為の予備品なのだから」
「………………」
ディツェンバーが「そんな事ない」と言わなかったのには理由があった。アルターの感じている劣等感は、既に取り返しがつかない所まで来てしまっている。
齢十三である彼に強いられてきたのは『ディツェンバーに次ぐ魔王の器』であり、アルターという自己ではない。それも、自ら魔王の座を目指す事は許されない。
万が一。魔王の座が空席になった場合のみ、それが適応されるだけ。それが世の仕組みだ。
ディツェンバーは先代魔王の長子としての教育を受けてきた。そしてそれが適応出来る精神力を持ち合わせている。
アルターは知らないが、ディツェンバーもまた魔王になるべくして厳しい指導を受けた。ディツェンバー自身、アルターの思いも分かっているつもりである。それでも口にしないのは……。
「どうせ君は、僕の話を聞いていない。言葉にするだけ無駄だよ」
両親を殺めた目の前の弟を、心から信用出来ないからだった。
ギリッ、とアルターの方から歯軋りする音が聞こえてくる。悔しそうに顔を歪める彼の瞳には、激しい憎悪が宿っていた。
「どうして……俺は兄上を…………」
「お前の言い訳は聞き飽きたよ。自覚していないみたいだけど、お前は内々に残虐性を秘めている。いずれそれは、誰かを不幸に陥れるだろう。僕はそれを阻止する為に──」
「黙れ!!」
「黙らない。僕とお前が違うのは当たり前だ。僕は僕でお前はお前だから。血を分けた兄弟を助けたい。それが僕の気持ちだ」
「嘘だ……兄上の言っている事は矛盾している……。兄上はあの時、あの場にいなかった!! 俺が両親を殺したなんて……、直接目で見てないじゃないか!!」
「見たよ。この目でハッキリと見た。僕が初めに感じたのはお前に対する殺意。しっかりと覚えているよ」
「なら何故俺を殺さなかった!!」
「弟だからだよ」
その一言で、それまで激昂した様子で肩を震わせていたアルターがピタリと押し黙った。
戸惑うような、それでいて憐れむように、複雑な色を映したエメラルドのような双眸を兄に向ける。
「…………そうですか……。お気遣い、痛み入ります」
ほらね、とディツェンバーは自身の心の中で溜め息をつく。先程までの言い争いが無かったかのように、アルターは微笑んだ。
にこり、と。兄と談笑を楽しんでいただけのように。
「ところで、こんな夜更けに何の御用件でしょうか?」
首を傾げて聞く弟。数分前にはその瞳に怒りを宿して、ディツェンバーに攻撃を仕掛けてきたというのに。
彼の中で何が起こっているのか。ディツェンバーには理解出来る筈がない。
能力を解除し、止めていた時間を進める。
「──弟と会話するのに、用事がないといけないのかい?」
そしてディツェンバーもまた、何事も無かったかのように微笑んだ。