第24話
「ゼプテンバールさん……どうかしたんですか?」
「……ちょっと……」
どう説明しようか迷っていると、アルターは軽く笑んでゼプテンバールの手を引っ張った。その勢いでゼプテンバールは立ち上がる。
「ここではなんですし、俺の部屋に行きましょう。紅茶を淹れさせますので」
「ぅえっ!? も、申し訳ないよ……!」
「構いません。それに……ここにいては誰かに見つかっちゃいます」
悪戯を仕掛けた子供のように、片目を閉じて笑ってみせるアルター。その様子に思わず吹き出してしまう。
少し歩いた所にある彼の部屋に入室するなり、部屋の掃除をしていたらしいメイドが頭を下げた。
そんなメイドに紅茶を用意するよう指示を出して、ゼプテンバールに椅子に座るように促す。
「あ、アルターって……ここで働いてるんじゃないの……?」
彼の口調は、まるで使用人を使う立場の者のようだ。この城の中でメイドや執事に指示を出せる者は限られているので……。
「俺は……。俺は……ディツェンバーの弟です……」
必然的に、ディツェンバーの身内の誰か、という事になる。
少しの沈黙の後、ゼプテンバールに押し寄せたのは"焦り"だった。
ゼプテンバールがディツェンバーに敬語を使っていないのは、主である彼が『敬語を使うな』と言ったからであり、彼の弟であるアルターにまで適応されるとは思えない。
ゼプテンバールが慌てて今までの非礼を詫びようと口を開いたが、それよりも早くにアルターが先に話し出す。
「でも……態度とか変えないで欲しいんです。……俺、勝手ながらゼプテンバールさんとは友達だと思ってます。だから……その……」
「……分かったよ。これまで通り、アルターって呼んでいいんだね?」
「! は、はい! それで、あの……俺もゼプテンバールって呼んでいいかな……? なんて……」
「勿論さ! 友達だろ?」
「う、うん!」
改めて、お互い一方的に感じていた友情を確認した所で、本題に入る事となった。
話始める前に、メイドが出してくれた紅茶を一口飲み込んで。
「アルターはさ……僕が剣の大会で優勝したって知ってる?」
「そりゃ……兄上と一緒に見に行ったからね……」
それもそうか、と心の中で呟きながら、ゼプテンバールは誰にも話していなかった真実を口にする。
「実は僕……あの大会の事、何も覚えてないんだ」
「えっ……!?」
アルターは当然、目を見開いて驚きを顕にした。驚きたいのはゼプテンバールも同じだ。
「対戦相手の人に殴られて頭を打ったんだ。そこから記憶がなくて……気が付けば優勝だなんだ、って騒がれてた……」
「それは……」
恐怖を感じた。
アウグスト達に聞かれた時は『無我夢中だった』と答えたが、直接見た者達にとっては異質に違いない。
ゼプテンバールが記憶にない部分を人に聞く限り、自分の姿が変化したというのだから。
アプリルが言っていた、白い髪に額からツノが生えた青年。そんな姿に変貌していた事も記憶にない。
気が付けば全てが終わっていた。夢だと思わせられるその日の事は、ゼプテンバールにとって名誉でも何でもない。
取材やスカウト等、沢山あった。だが、自分に記憶がない事を褒められても嬉しくもない。感じるのは本当にそれは自分だったのか、という恐怖。
それを隠す為に、ゼプテンバールは外に出る事を辞めたのだ。街を歩けば注目の的だったから。その視線が、声が、また恐怖心を駆り立てられたから。
『剣の大会に優勝したのは無我夢中だったから』
そう誤魔化す事にした。
しかし、アプリルは視線を合わせた者の事を多少読み取れる。先日、一度だけだが彼と視線を合わせられたので、その時既に探ろうとしていたのかもしれない。
よって、彼相手には嘘を付ける筈がなかったのだ。
「さっき、仲間の一人にその事について聞かれたんだ。……きっと、幻滅されちゃうんだろうなって思っちゃって……」
魔王の直属の部下、というのもあって精鋭揃いの十勇士だ。数々の武勇や栄光を手にしてきた者達の集まりに、『記憶は無いけど優勝しました』というのはあまりにも恥ずかしすぎる。
そしてそれは、主であるディツェンバーの質を落としてしまうのではないか。そんな思案が胸に深々と突き刺さった。
「ゼプテンバール……」
「本当は……優勝したのは僕じゃなかったのかもしれない……。何かの手違いで、その白髪の人と間違えられちゃったのかも……」
「それは無いよ。だって……その瞬間を確かに見たから……」
え、と首を傾げてアルターを見つめる。
彼は紅茶を嚥下してから、記憶を手繰り寄せて話した。
「ゼプテンバールは一度倒れたよ。でもすぐに立ち上がったんだ。その時には……もう姿は変化していたよ」
「…………」
「そして全員を倒した後……姿が戻った」
「…………それは……やっぱり……」
「圧巻だったよ。貴方は……誰にも触れさせずに試合を終わらせた。ゼプテンバールの姿が変化した件については、俺にもよく分からない。でも……貴方の力だということは確かだから。謙遜する事は無いんだよ」
「で、でも──」
「俺の兄さんは見る目があるんだ。だから、ゼプテンバールだけがはぐれ者、なんて事は絶対に無い」
そう言い切るアルターの目は、どこまでも澄み切っていて真っ直ぐだった。その目力はディツェンバーによく似ていて……。
「……大丈夫、なのかな……」
「姿が変化した、っというのは……もしかすると種族的なものかもしれないからね。御両親に聞いた事はあるの?」
「…………親は……死んじゃったよ。去年位に」
あっ、とアルターの顔が引き攣った。だが当のゼプテンバールはなんでもない事のように、一笑した。
「だから詳しい事は分からないんだ……聞いとけばよかった」
「……辛い、よね……。俺も……寂しいから……気持ちは分かるよ」
ディツェンバーに一度聞いた事がある。彼の両親は少し前に他界したと。その為成人していないディツェンバーが魔王の座に就いていると。
ゼプテンバールと一つしか年齢が違わないアルターだ。その悲しみはディツェンバーよりも重いものだろう。
「似てるね、僕達」
「ゼプテンバールは兄上の部下としての責務があるでしょ……。大切な……役割が……。俺は全然……」
彼にも悩みがあるのだろう。折角ゼプテンバールの悩みを聞き、励ましてくれたのだ。彼もまた、アルターの悩みに耳を傾けなくてはならない。
「良かったら教えてよ。気の利いた事言えないかもしれないけど……」
「……それじゃあ……。前々から……一つだけ撤廃したい制度があるんだ」
「うん……」
「この国は……貧しい者は五年間、必ず軍に所属しなければならない。それを終えればある程度生活出来るだけのお金は溜まるし、その後の生活もしやすくなる。でも軍に所属するって事は……いつ命を落としても可笑しくない事だ……」
アルターの言いたい事は、何となく分かった。だが彼の口から確かな意見を聞く為に、あえて気付いてない振りをする。
「俺はその制度を撤廃したい。軍を無くしたいって意味ではなくて……。有志による軍にすればいいんじゃないかな、って」
「……成る程ね……」
「あ、兄上に何度か話を持ちかけたんだけど……『お前はまだ仕組みを理解してない』って一蹴されちゃって……。だから今、俺なりに勉強して纏めてるんだ……」
テーブルの上には山積みになった分厚い本の数々があった。以前彼が読んでいた文学小説も含まれているのだろうが、背表紙を見ると、幾つか歴史書や過去の制度についての書物もあるらしい。
「凄い……」
「そ、そんな事は全然……! でも、もう少しで必ず……」
「頑張って。絶対になんとかなるからさ!」
「ありがとう、ゼプテンバール」
彼もまた、上に立つ者の表情をしていた。
後にこの会話を後悔する日が来ようとは、まだどちらの頭の中にも存在していない。