第20話
すぅ、と息を吸ってから、ユーリはその透き通るような美しい声を響かせた。
鈴のように可愛らしく、川のせせらぎのように穏やかで、胸の底にすとん、と落ちるような誰が聞いても魅了されるような美声。
ゼプテンバールとメルツの魔力が感じられる魔海に入る為には、まず魔海に続く森の呪いを解かなければならない。
確かに彼女の歌声ならば呪いも解けそうだ、とアウグストは一人納得していた。実際は声に魔力を乗せているのだが、それを抜きにしてもそう感じさせられる美しさだった。
「素敵な歌声ですね」
「心が浄化されそうだわ……」
隣にいるマイとフェブルアールも小声で言う。
ディツェンバーも彼女のファンだと言っていたので、やはり嬉しそうに微笑んでいた。
暫くして、森一面を覆っていた黒い靄が飛散し、禍々しさを放っていた景色が一転した。
「……終わりました」
ドレスの裾を摘み上げ、優雅に一礼するユーリ。コンサートを終えたような所作に見とれながら、自然と拍手を送っていた。
「こんな間近で聴けるなんて嬉しいわぁ」
「恐縮ですわ、フェブルアールさん……」
「流石、魔界きっての歌姫だ。さて、彼女への賛辞もそこそこに……本来の目的を成そうか」
パン、と大きめに手を叩いて区切りをつけるディツェンバーに頷きを返す。
「ユーリはもう城へ戻るかい?」
「お邪魔でなければご一緒しても宜しいでしょうか……? 私もゼプテンバールさん達の事が心配で……」
長い睫毛を伏せながらそう口にしたユーリも一緒に、アウグストの転送魔術でゼプテンバール達のいる場所まで移動する。
──が。
ドシャンッ、と腰に強い衝撃が訪れた。続いて腹部に痛みと圧力がかかる。
アウグストは魔術の使い手だが、転送魔術は苦手なのだ。遅れてしまった茶会に向かう際にもゼプテンバールと共に上空に投げ出されてしまった。
そして今回も、失敗してしまったらしい。
「いだぁっ!?」
「ぎゃっ!?」
「わぁ!」
「ぴゃっ!?」
「ひゃっ」
地面にアウグスト、次いでマイ、ディツェンバー、フェブルアール、ユーリ、と積み重なるようにして落下する。
「で、ディツェンバー様!?」
「ペイント眼鏡達も……こんなとこで何してやがる」
すぐ目の前に、ゼプテンバールとメルツの姿があった。普段おさげに結んでいるメルツだが、どういう訳か一つに纏めている。
そしてゼプテンバールも同様だった。伸ばしっぱなしにしているサラサラとした髪を高い位置で結い上げ、何故か上半身裸だったのである。
焚き火にあたっていた二人は、アウグスト達の姿を目指するなり小走りで駆け寄った。
「迎えに来たよ……メルツ。ゼプテンバール」
「それはありがとうございます……だけど」
チラッ、とゼプテンバールがユーリに目を向ける。その視線に気付いた彼女はハッとして立ち上がった。
「み、皆さん、申し訳ございません……!」
「ふにゃぁ〜……ユーリちゃんお胸大きいし窒息するかと思ったわぁ〜」
「うっ……すみません……」
「褒め言葉よぉ〜私は小さいから羨ましいなぁ〜って思っただけ」
「そりゃ小さいよりかデカい方が……。……うん……」
ほのぼのとした女子同士の会話の隣で、メルツがぶつぶつと呟いている。胸の好みの話だろうか、と(間違った)解釈をしつつ、アウグストは彼等に話し掛ける。
「お怪我はありませんか?」
「どこか不調等もありましたら言って下さい。応急処置ならば可能ですからね」
アウグストに続いてマイも問う。
「ありがとう。僕は大丈夫だよ」
「俺様も。問題無い」
「そうですか? ゼプテンバール君は兎も角、メルツさんは目元が少し赤いような……」
「塩水が出入りしただけだ」
「出入りってどういう事ですか」
メルツとマイの会話に耳を傾けながら、羽織っていたマントを上半身裸のゼプテンバールに掛けてやる。
「ありがとう」
「いえいえ。そのままだと寒いでしょう。城までは我慢して下さい」
「あ、でしたら僕の上着も着て下さい。無いよりかはマシでしょう」
そう言ってマイもスーツの上着を脱いで、ゼプテンバールに手渡す。少し戸惑っていたようだが、寒いのも事実らしく小さく礼を言って袖を通した。
「……ゼプテンバール君、メルツさん。帰ったらお話があります……。とてもとても大切な話なので……聞いて下さいますか?」
言いにくそうにしながら、マイは二人を見つめた。その様子を見守りながらアウグストもまた、視線を向けた。
「それは勿論……」
「他の奴等は?」
「もう皆城に戻ってます。貴方達で最後ですからね」
よかった、とゼプテンバールが頬を弛める。自身も不安だっただろうに。
「ゼプテンバール、よく頑張ったね」
ディツェンバーもまた同じ気持ちだったらしい。よしよし、とゼプテンバールの頭を撫でてやっていた。
「メルツもよしよし」
空いている手でメルツの頭も撫でる。 普段ならば「魔王サマ辞めてくれ」とでも言いそうなメルツが、大人しくされるがままとなっていた。
するとそのタイミングを狙ってか、フェブルアールもメルツの肩をポンポン、と優しく叩く。
「頑張った頑張った。偉い偉い」
「………………ん」
恥ずかしそうに返事をするメルツに笑みを返して、ディツェンバーは両者から手を離す。ゼプテンバールは名残惜しそうにその手を見つめていた。
「それじゃあ、戻ろうか。帰って温かい飲み物でも飲みながら、マイの話を聞いてあげて」
「……はい」
後ろに広がる赤い海を見渡してから、アウグストはもう一度転送魔術を発動させる。今度は失敗する事無く、ちゃんと着地する事が出来たのだった。