第17話
ばしゃん、と音を立ててメルツとゼプテンバールは水に落下する。口に入ってきた水が、口内を刺激する。
(海か……!?)
特有の塩っぱさを感じながら何とか顔を上げて空気を確保する。目にも塩水が入って痛いが、弱音は吐いていられない。ゼプテンバールの姿が見えなくなっているのだから。
「おい! おい、ゼプテンバール! 返事しろ!!」
声を張り上げて呼び掛けるが返事はない。思いっきり息を吸い込んで海水に潜った。刺激を受けつつも目を開け、薄暗く汚れた海水の中、ゼプテンバールの姿を探す。
(クソッ、前に泳げねぇとか吐かしてやがったな……)
服が張り付いて重みと不快感を覚えるがゼプテンバールを見つけた今、その事は頭には無かった。沈みゆく一方の彼の手を掴み、引っ張って自身の方へ引き寄せる。
そのまま担ぐようにして海岸を目指す。最後は崖に掴まってよじ登るように海面から顔を出す。
「ぜぇ……はぁ……重っ」
息を切らして海岸にゼプテンバールを寝かせる。とはいえ疲労を感じていたので乱雑に捨て置いたみたいになったが。
「おい……、おい」
頬を叩いて何度か呼びかけるが意識はない。それ所か息をしていなかった。自身の荒い呼吸音で掻き消されて、ゼプテンバールの呼吸にまで意識が向いていなかった。
「嘘だろおい……!」
焦りを顕にしつつゼプテンバールの胸に耳をくっ付ける。心拍音はまだ聞こえている。
がしがし、と頭をかいてから、ゼプテンバールの鼻を塞いで躊躇う事無く口で口を塞いだ。
ゼプテンバールの胸の動きに注目して息を吹き込む。横たわっている彼の胸が上がったのを確認してから一度口を離す。
そして息が自然に吐き出されている間にメルツも呼吸を整える。それを数回繰り返した後、ゼプテンバールが噎せた。
「ごふっ、ぅ、げほっ……!?」
海水を吐き出したので顔を横に向けてやる。するとゼプテンバールは薄らと目を開けた。入った水の量は多くなかったらしい。
メルツは安心したように息をついて、目元を弛めた。
「良かった……意識、ハッキリしてるか?」
顔を覗き込んで問うが、まだ朦朧としているらしいゼプテンバールは、何かを口にしようとして再び目を閉じた。
それを見たメルツは呼吸と心拍音をもう一度確認する。異常は見られなかったので気を失っただけだろう、と深い溜め息をついた。
「落ち着いてられねぇな……。ペイント眼鏡が辿って来てくれるだろうし……先に火起こさねぇと」
濡れた上着を脱ぎ、近くにあった木に干す。その際、メルツは上半身裸になる──と思いきや、胸元にさらしが巻かれていた。
「あぁぁ寒ぃ……下も脱ごうかな……」
ズボンに手を掛けかけて、ピタリと思い留まった。
(目、覚めたら戸惑うか……)
濡れたズボンはそのままに、冷える身体を擦りながら落ちている枝を拾い集める。一応、ゼプテンバールの姿が見えるように気を付けながら。
ある程度木の枝と葉っぱを集めてゼプテンバールの元へ戻る。
何度か趣味でアウトドアを経験した事があるメルツの手際は良いものだった。摩擦で火を起こし、服を乾かすと同時に自身の冷えた身体を温める。
ふと、ゼプテンバールの持っていた刀が流れてきた。それを取りに行ったついでに、刀を借りて魚を獲る。銛代わりに刀を使った事を怒られても仕方ない……、と割り切る事にして。
魚を腹を割いて内臓を取り出した後、木の枝に突き刺して焼き始める。
「そうだ。コイツの服も脱がせとかねぇと」
それに腕も負傷していた筈だ、と思い出してポーチを漁る。しかし持ってきていた包帯は、先程ユーニに使った分で無くなってしまっていた。
「……………………。仕方ねぇか……」
嫌々、といった様子でメルツは胸に巻いていたさらしを外す。動き回っている間にそこそこ乾いてくれていたのが助かった。
右腕に刺さっている矢を慎重に抜き、傷口を消毒して今し方外したさらしを包帯代わりに巻き付ける。
消毒液をポーチに仕舞い、今度はナイフを取り出した。そして容赦無くゼプテンバールのシャツを切り裂く。『絶対安全』と書かれた文字が無残にも裂かれてしまう。
シャツを脱がせてズボンに手を掛ける。下着は流石に脱がせたく無かったので無視して。
魚も焼きあがってある程度服も乾いた頃、ゼプテンバールが薄らと目を開けた。
彼が完全に覚醒する前にと、生乾きの服を慌てて着てから瞬きを繰り返す彼の顔を覗き込んだ。
「おい、大丈夫か?」
「ぁれ……メルツ……? うぅっ、寒っ……。ん? …………………………えっ裸!?!?」
驚くのも無理はない。溺れて意識を失って、目が覚めたら下着以外ひん剥かれていたのだから。
「生乾きでいいならズボンだけ無事だぞ」
「Tシャツは無事じゃないの!?」
「悪い裂いた」
「裂いた!?!?」
まだ微かに湿っているズボンを投げ渡し、焚き火の前に座り直す。
ゼプテンバールもここが魔海である事は察しがついたらしい。ここは下手に動かずに、マイが見つけてくれるのを待つしかない。
「夢を、見た……」
ズボンを履いたゼプテンバールは、いそいそとメルツの隣に座る。どんな、とは聞かなかったが、ゼプテンバールは一人話し始める。
「お前が……切羽詰まったような表情で僕を見てるの……」
「…………夢だな……俺様がそんな顔する筈がねぇだろうよ……」
「……そうかもね。お前が……僕に人工呼吸なんてする筈ないもんね……」
「……………………」
それには答える事が出来なかった。恐る恐る視線だけをゼプテンバールに向けると、じっとりとした視線でメルツを見つめていた。
「………………」
「……僕、ファーストキスだったんですけど」
「命の場面にファーストもクソもあるか馬鹿野郎」
「返して僕のファーストキス」
「どうやって」
「時間戻すとか」
「無理」
「…………うわぁぁぁぁぁ初めてがおにねえさんなんて……泣きそう」
「泣いとけ」
ごろごろ、と転がって悶えているゼプテンバールに冷たく返すメルツ。やはりその目に感情は映っていない。
「わぁぁぁぁぁん…………ぶぇっくしっ」
メルツの周りをのたうちまわっていたゼプテンバールが突如、盛大にくしゃみをした。
「何してんのお前」
「寒いんだよ……」
「髪も長いしな、お前」
そう言うなり、メルツは自身の髪を結っていたヘアゴムを一つ外して、ゼプテンバールの長い髪を結い上げてやる。
そして少し躊躇ったが、意を決したように着たばかりの上着を脱いでゼプテンバールに被せた。
「わっ!?」
「寒いなら着とけ。だが俺様の方を見るんじゃねぇぞ」
あと飯食え、と付け足すように言って、ゼプテンバールから背を向けて腰を下ろした。