第139話
黒煙が、宇宙の髪とスカートを揺らす。
腕で目を覆いながら、二人の姿を探す。
──が。
「──あ、…………そんな。……ごふっ!」
胸が、赤く染っていた。
込み上げてきた血液を吐き出し、宇宙その場に膝をつく。
「おのれ……ディツェンバーも貴様も……俺をここまで追い詰めた事は褒めてやろう」
「ははっ、……もっと、備えときゃ……良かった、かな……」
トドメを刺す攻撃が来るだろう。そう感じて宇宙は目を閉じた。しかし聞こえてきたのはアルターの呻き声で、宇宙に彼の剣戟が降り掛かる事は無かった。
「クソッ……まだ、息があったか……」
「お前もな……とはいえ、お前も瀕死だろう、がな……」
右半身が焼け爛れてしまっているディツェンバーは、刀でアルターの胸を貫いていた。心臓をしっかりと貫かれ、アルターも意識を失う寸前であった。
ここで刀を引き抜き、彼の首を跳ねればディツェンバーの勝利だろう。しかしもう、手に力が入らなかった。
がくん、とその場に顔から倒れ込んでしまう。
「ははっ……貴様のそのような姿が見れるとは……幸運、だな……俺も」
瞬間、アルターが倒れた。しかし彼が地面に倒れる前に、それを支えた人物がいた。
「ター、ル……」
「無様だね、ディツェンバー様」
ディツェンバーを見下ろし、タールは心底愉快そうに口元を歪めた。アルターはとうに気を絶っているらしいが、魔石に変化する様子も無いのでトドメは刺せなかった、と察してしまう。
「せめて最後まで見届けてあげるよ。無駄な時間だけど」
「相変わらず……、性格悪い、ね……姉上……」
ピタッ、とタールの動きが止まった。まるで時が止まったかのように、動かなくなってしまった。
そして、それと同時に事は起こった。
ディツェンバーの血に触れた茶色の魔石が、突如光を帯び出した。靄が広がり、人の形を形成していく。やがて茶色の靄は、輝かしい金髪をした泣き黒子が特徴の女性の姿に変化した。
「──ここは、……!? ディツェンバー様! 宇宙様! それに……アルター様……!?」
それは十七年前、ベヴェルクトとの交戦の果てに魔石へと変化したディツェンバーの部下・ノヴェンバーだった。
彼女は慌てふためきながらも状況を察したらしく、ナイフを構えてタールを睨み付ける。
「待って、……ノヴェンバー……」
しかし以外にも、ノヴェンバーの行動を静止したのはディツェンバーだった。ディツェンバーは彼女が動きを止めたのを確認してから、アルターを抱えたまま停止しているタールに視線を向ける。
「お願いが、あるんだ……姉上……」
「…………」
タールが目を閉じる。次に目を開いた時には、煌びやかなエメラルドのような瞳にディツェンバーを映していた。
「──お願い、ねえ。聞くだけ聞いてあげましょうか。最も、私にとっては無意味なのでしょうけれど」
艶やかな女の声が、タールの口から発せられた。ディツェンバーはその事を知っていたように、触れずに続ける。
「ノヴェンバーを……見逃して、欲しい」
「……ふぅん」
ディツェンバーが死ねば、現在発動させている時を止める能力は解除される。それでなくとも、タールが彼女を逃すとは思えなかった。
最後のお願いを、タールが聞き届けてくれるとも思ってはいなかったが、僅かな希望を信じてそう懇願してみる。
タールは可笑しそうに一笑し、目を細めた。
「まぁ、血塗れの弟の頼みなら……聞いてあげなくもないわ。構わないわよ」
「……ありがとう……姉上……。……ノヴェンバー、君にも、頼みがある」
「……はい。何なりと」
ディツェンバーの傍らに跪き、ノヴェンバーは静かに耳を傾ける。途切れ途切れになりながら、ディツェンバーは告げた。
「僕が、魔石になったら……陽羽……娘に、渡して……。それと……」
ディツェンバーが残りの魔力を、手の平に集中させる。菱形の透明の石に変化したそれを、ノヴェンバーに手渡す。
魔石、とまではいかないが、ディツェンバーの魔力を微力ながら込めた結晶だ。
「これは……陸さんに……」
「……承りました」
ノヴェンバーは何も言わずに、承諾してくれた。彼女なりの優しさなのだろう。魔石から解放されて早々にこんな事を頼むのはお門違いだったかもしれない。
しかしディツェンバーは最後まで、娘の事が気掛かりで仕方が無かったのだ。
そしてディツェンバーの身体が、淡い靄に包まれ始める。
「…………」
力を振り絞って、すぐ隣で眠っている宇宙を抱き締めるように腕を回した。彼女からはもう鼓動も感じられないし、呼吸もしていない。
「…………ありがとう……そら、さん…………」
──貴女がいなければ、僕は今ここにいないかもしれない。
貴女の隣で笑えた事が、何よりも幸せだった。
貴女との間に生まれた娘の成長を見守りたかったけれど。貴女と一緒に、長い時間を過ごしたかったけれど。
僕は魔物だから、死ぬと魔石になってしまう。
死んでからは、貴女の隣にはいれない。けれどせめて消えるその時までは、貴女の傍にいたい。
力無く宇宙を抱き締め、ディツェンバーは右目から一筋の雫を零した。やがてその姿は、透明の魔石へと変化する。
ディツェンバーが魔石へと変化する間際、彼は確かに見たのだ。
──微笑む、最愛の妻の顔を。




