第134話
群青色の髪に翡翠色の瞳をした少年。大きい赤縁眼鏡とぶかぶかのコートを着用した彼は、アーベントに指示を下していたタールという男だった筈だ。
「見てたのォ?」
「腹心でも無い男が素直に命令に従うとは思わないでしょ。時間の無駄だけど当然の事さ」
「…………ふぅん。で、親父殺しちゃったけど、どうするつもり?」
ナハトは元より、父に頼まれたからここまでやって来ている。タールに一度会っているとはいえ、彼の命令に従う義理は無いのだ。
彼は興味無さ気にナハトの眼前までゆっくりと歩み寄る。
「あとシュテルンとグリーゼルが残ってるんだよね。君、殺戮は嫌いかい?」
「生憎と、オレは誰かに唆されて殺しはしないんだよなぁ。美人な女の子痛め付けるのは好きだけど、誰彼構わず殺すのはオレの主義に反する」
「…………ハッ、クズが」
嘲笑し、タールは上目遣いでナハトを見上げる。翡翠色の瞳に光は無く、奥までどんよりと濁っていた。
「主義とか信念とか、そんな無価値なものに縋って何になる。己の欲に従えばいいものを」
「自分の中に核を持っておかねぇと成り立たねぇよ。生きてる限りどこか譲歩しねぇとな」
「否。魔物に規律は必要無い」
断固として言い切るタールは、袖をひらひらと揺らす。服の袖から漆黒の鉄塊が姿を現し──
「僕が望むのは倫理も規律も無い地獄。お前のような魔物は邪魔でしかない」
──パァンッ。
突如発砲された弾丸はナハトの顔のすぐ横を通り、背後にあった店の扉に当たった。音を立てて崩れ始めるガラス製の扉を見て、周りにいた人々がざわめき始める。
ナハトとタールの姿は人間達には見えていないのが救いだっただろうか。とはいえ店内は血に塗れた無人の建物と貸しているので、治安組織が直にやって来るだろう。
その際、魔物殲滅隊がやって来たら厄介だ。そんな微かな焦りをナハトは感じていた。
「避け無かった事は褒めてやるよ。お前には何言っても無駄だろうし、それこそ時間の無駄だからね。好きにするといいよ」
タールはそう言い残して、姿を消してしまった。彼はこれからシュテルンとグリーゼルを処分しに行くのだろうか。
そんな疑問が頭に浮かんだが、すぐさまかき消して歩き始める。
(これでいい……)
ナハトは自分の意思を貫けた。それだけでも満足だった。
魔界に帰る気も起こらないので、暫くは人間界に滞在しようと決める。そして当ても無く、人の波に飲まれていったのだった。
※※※※※※※※※※
──余計な事をしないで頂戴、タール。
そんな声が、脳に届いた。聞きなれた声にタールは面倒臭そうに心の中で返事をする。
『良いじゃないか。僕の行動は君の行動なんだから』
──あの行動は無駄以外の何物でもないわ。どうも私の悪い所を集め過ぎたようね。
この声はタールの半身。否、タールの本体とも言える存在だ。
一人の魔物だった■■■■■■の悪の心。無駄を嫌い、殺戮を好む■■■■■■を一人の魔物として構築させた存在。それがタールだ。
そして現在、タールの脳に直接話し掛けてきている彼女こそが本体。■■■■■■の善の心だけで構築されているので、無駄を嫌う所は同じであれど殺戮は良しとしない。
──何の為に私と貴方を分離したと思っているの。
『…………』
──ディツェンバーを殺し、アルターを殺す。そして全てを破壊する。
揺るぎの無い、芯のある声色で彼女は述べる。
『そうだね。ずっとずっと前から変わってないよ』
──覚えているのならいいわ。今後は計画に無い行動はしないで頂戴。最低でも、アルターにはバレないようにね。
そこで、声は聞こえなくなってしまった。通話を切ったかのようにぷつりと、以降彼女は話し掛けては来なかった。
さすが自分の半身。無駄はとことん省きたいらしい。
「タールよ」
「あ、アルター様」
ふと、タールの背後からアルターが現れた。彼の表情はどこか嬉々としていて、これから起こる出来事に胸を躍らせているようだった。
「アーベントが死にました。息子にやられたみたいです」
「おいおい。まだ二人残っているではないか」
「うーん……ま、生かしといても問題は無いと思うけど……。今後の事を考えると少しリスクが高いかもね。それに、殺せる奴を殺さないのは無意味ですよね」
ニッコリ、とタールは笑う。しかしその目は死んでいて、口元が辛うじて弧を描いているだけであった。
「問題無いのであれば良い。行くぞ」
慎重なアルターだ。少しのリスクも回避するものだと思っていたが、今回は無視するようだ。不満を覚えつつも、彼がそう言うのであれば従うしかない。
「はーい」
タールも少し足を弾ませて、アルターの後ろを着いて行った。