第133話
「終わったか、親父」
静けさが戻った店内に、赤髪の青年が現れた。左側の額から角が生えた、前髪で右目を隠した青年は、先程キュステにナンパしていたナハトだ。
キュステが悟っていた通り、ナハトはアーベントの息子。此度、アーベントはアルターに命じられディツェンバーの味方となりうる魔物、キュステとフルスの始末を請け負っていた。
キュステやフルスとは会った事が無かったとはいえ、アーベントは魔界では有名人の一人だ。
その為接触が難しいと考えた彼は、まず息子であるナハトに彼等の動向を大まかに調べるよう頼んだ。
魔物であるが故、月に一度行われる集会に参加してから関わりを持つ事は簡単だったようで、テンポよく任務を終える事が出来たアーベントだった。
しかし、アーベントは苛立った様子で剣を仕舞っている。分かりやすいまでに怒りを顕にしている父に、ナハトは問い掛ける。
「どしたよ」
「あぁムカつく……クソッ!!」
パキンッ、と床に落ちていたキュステの魔石を踏み付け粉砕してしまった。魔石を破壊するという行為は死者を冒涜するのと同じ。
軽々とそのような行為に踏み込んだ父親に、ナハトは若干の軽蔑を覚えた。
「おいおい。そこまで怒る事かよ」
「うるさい!」
父が何に苛立っているのか。ナハトは大体の察しが着いていた。
アーベントはその昔、剣の大会でとある少年に負かされた。その頃から母との仲が悪くなってしまったと、幼いながらに感じていたから。
フルスが愛する妻・キュステを庇った事。死の間際でアーベントに放ったキュステの哀れみの一言が、父を苛立たせているのだろう。
ナハトは溜め息をついて、粉々になってしまったキュステの魔石を見下ろした。
「まだ次が残ってんだろ? さっさと行こうぜ」
「…………待て、ナハト」
アーベントは何か思い付いたらしく、愉快そうに口の端を上げている。
ナハトとしてはやりたくもない仕事を手伝わされ、父の見たくもない一面を見せられたので、これ以上この場にいたくなかったのだが。
「何だよ」
「ついでだ。奴等の娘も殺す」
奴等の娘──キュステとフルスの娘は処罰対象外だ。突然発せられた父の言葉に、ナハトは静かに目を見開く。
「は?」
「孤独に生きる位なら、親と共に殺してやればいいじゃねぇか」
ナハトは見抜いていた。それは優しさ等では無い、と。自身の苛立ちを解消させる為に、当て付けとして彼女等の娘を手に掛けようとしている、と。
「いやいや。んな面倒な事しなくてもいいじゃんか。娘の事なんざ知らねぇし」
「じゃあ帰れよ。御苦労だったな」
父はあんな人だっただろうか。
ナハトの中でそんな疑問が渦巻いた。二十年近く父の顔を見ていなかったが、記憶の断片にある父はもっと優しく真っ当な人だったと思う。
少なくとも今のように、感情のまま動く魔物では無かった筈だ。
(オレには関係ねぇしな……アイツ等の娘が死のうが──)
踵を返して帰ろうとしたが、ナハトは足を止めてしまった。
キュステとフルスの娘を、ナハトは知らない。自身にとってどうでもいい事の筈だ。
それなのに、キュステの言葉が頭から離れなかった。
『一人でいたら話し相手になってあげて欲しいの。何かあったら守ってあげて』
店の扉から背を向けて、ナハトは父の背を見つめた。
※※※※※
──気紛れだったのかもしれない。
少なくとも、手にしていた鎌を振り下ろす事に戸惑いは無かった。
感情に身を任せる父を、見たくなかったのかもしれない。
父の仕事の為に接近したキュステの言葉が、呪縛のように頭の中に響いていたから。
それか、やはり気紛れだったのか。
「いくら魔物が自由奔放だからってよ……自分の中で決めた線引きを守れねぇ奴は以下の存在だぜ、親父」
朱色の靄に包まれて、ナハトを睨みながら消え掛かっている父を見下ろして、一笑する。
「残念だったな。オレは自分一番な魔物だからやりたいようにやらせて貰ったけど……親父は違ったろ? 信念を持って、規律を守り、真っ直ぐに生きてたろ? ま、簡単に折れちまう程には弱かったんだろうけど」
尊敬していた父はもういない。誰かに操られているかのようなアーベントに抱く感情など、何も無かった。
ナハトは鎌を仕舞って、続ける。
「選択を間違えたな、父さん」
アーベントは最後までナハトを睨み付けたままで、やがて朱色の魔石へと変化した。それをすぐさま踏みつけ粉砕したナハトは、何事も無かったかのようにその場を後にする。
「驚いた。まさか彼が息子に殺されるなんてね」
店を出てすぐ、そんな声が聞こえてきた。