第132話
アーベントの剣を薙ぎ払い、キュステは果敢に踏み込んだ。長年戦闘から離れてはいたものの、危機を察知する能力と武術の腕はまだ確かに身体に染み付いている。
以前と変わらない女性らしい細腕で軽々と剣を振り下ろした。
──しかし、
「やっぱ衰えたな、キュステ!!」
白いインナーが赤く染る。
間一髪で躱せたものの、アーベントの剣先はキュステの腹部をしっかりと捉えていた。
致命傷、とまではいかなかったものの、突如襲われた痛みに顔を歪める。
(やっぱり二十年のブランクは厳しいわね……)
キュステはアーベントと直接対決した事も無ければ、顔を合わせて話した事も無い。お互い情報で知り合っていただけであり、今初めて相見えたのだ。
もう一度双剣を構え直し、迎撃に備える。猛スピードで繰り出される剣戟に耐え、隙を見て攻撃を入れる。
若干キュステが不利だが、何とかカバー出来ている状況が数分と続く。そこでキュステはふと、初めて出会った彼に疑問を抱いた。
(どうして……ナハト君と親子関係で間違いないなら彼はもう四十半ば……私と同じ位の筈なのに)
魔物は加齢速度が人間よりもはるかに遅い。しかし同族から見ればかなり分かるものなのだ。
キュステが見る限り、アーベントはようやっと二十を越えた位の若さに見受けられる。しかしそれだと時代が合わない。
ここで思い浮かんだのは『アーベントが一度死んで最近蘇った』という説だが──
(有り得ないわね。魔石になった魔物が蘇るなんて話、聞いた事──)
と、そこで。ハッ、とキュステが目を見開いた。
「────」
頭の中で、噛み合わなかった歯車が合致したかのように、音がした。
自分は何故、人間界にやって来たのか。いつも曖昧で靄がかかったように不鮮明だった記憶。
愛する夫と娘との生活が穏やかで、幸せで、思い出す努力すらしていなかった。
否、キュステ自身の頭が考える事を拒否していたのだ。
キュステはかつて宝物官として、殺し屋として、魔王城に務めていた。そして、仕えていた主の名は──。
二十年越しに、キュステは思い出したのだ。
「────ディツェンバー、様…………」
その隙を、アーベントは逃さなかった。
※※※※※※※※※※
フルスは戦闘が苦手だ。魔術も苦手。護身術を身につけている事も無い。
根っからの一般人なのだ。
そんな彼が何故無断で人間界へと渡航したのか。答えは誰もが呆れるようなくだらないものかもしれない。
しかしフルスは後悔していない。
何故なら、彼の当初の目的は既に達成されたからだ。
──愛する人を、見つけたから。
フルスは立ち上がり、駆け出した。
※※※※※※※※※※
ザシュッ、とアーベントが突き出した剣はそれ等をしっかりと貫いていた。
操作され失っていた記憶を取り戻し、一瞬気を許してしまったキュステと。そんな彼女を庇うように飛び出してきたフルスを。
「あなた……どうして……!?」
「…………キュステ、」
共に心臓を貫かれた二人の身体が、靄に包まれ始める。傷を回復させる程の魔力量を持ち合わせていない彼女達は、もう為す術なく消滅するのを待つばかりだ。
途切れ途切れになりながら、フルスは眼鏡越しにふっ、と穏やかに目元を弛めて
「俺も、愛してる……」
「…………えぇ……」
フルスが最後に紡いだ言葉に、キュステは頷くだけだった。
「えぇ……」
嬉しそうに微笑んで、胸から止めどなく溢れる血をものともしない柔らかな笑みを貼り付ける。
その笑みを瞳に焼きつけるように見つめて、フルスは魔石へと変化した。
コツン、と床に魔石が落ちたと同時に、キュステは動いた。
最後の力を振り絞り、手にしていた双剣をアーベントの首目掛けて振るう。攻撃に備えるべく、アーベントはキュステの胸に突き刺したままだった剣を勢いよく引き抜いて、血に塗れた剣で双剣を防ぐ。
「まだ動けたとはな。最後に胸糞悪いもの見せやがって」
「ふ、ふふっ……哀れな人……」
アーベントの夫婦仲が良くないのはキュステでも知っている。
剣の達人として名を馳せていた彼は、年端もいかない少年に敗退した。その結果妻に愛想を尽かされ、事ある毎に嫌味を言われているらしい。
キュステでも知っている、という事はそれ程までに有名な話であるという事。
有名になるまでにアーベントにとっての屈辱が広められているという事だ。
「死ね」
トドメの一撃、というに相応しい荒々しい剣筋でキュステの首を跳ねたアーベント。最後まで、キュステは笑みを貼り付けたままだった。
最中にあったのは幾つかの後悔。
娘の成長を見守れなかった事。そして、ディツェンバーの事を思い出すのを遅れてしまった事。
あと少し早く、ディツェンバーの事を思い出していたならば。また違った結果になったのだろうか。
そんな遅すぎる後悔を飲み込んで、キュステは魔石へと変化した。




