第11話
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「ヤヌアール、また土いじりしてんのか?」
突然声を掛けられ顔を上げると、腕を組んで自身を見下ろしている幼馴染の姿があった。
青紫色のボサついた髪をしているが、確かな品位を兼ね備えている。緑色の瞳にはヤヌアールの顔が映っていた。
名をシュトラント。
言い難い名前なので、ヤヌアールは彼の事を『シュウ』と呼んでいる。
「シュウ……土いじりじゃなくて、花の世話をしてるんだ」
「それを土いじりって言うんだよ。手が汚れるぞ」
「言い方の事を言ってるんだ。ガーデニングとか……オシャレな言い方の方がいいじゃないか。あと、手は汚れたら洗えばいいさ」
「ま、お前はそういう奴か」
ヤヌアールの隣にしゃがみ込み、その手元をじっと見つめる。彼の視線が妙にむず痒く感じられて、ヤヌアールは手を止めてシュトラントに顔を向けた。
「そ、そんなに見られるとやりにくいんだが……」
「そうか? そりゃお前集中力がねぇのさ。俺の視線なんか気にせず、花に向かって笑ってりゃいいのさ」
「馬鹿にしてるのか?」
「まさか。似合わねぇとは思うけどな」
「シュウ!」
からかうように笑うシュトラント。ヤヌアールは目を釣り上げて怒りを顕にしたが、シュトラントが止まる様子はない。
「はははっ。ま、お前が好きな事出来てんならそれでいいよ。土いじってる時のお前、超可愛いし」
「だから──」
言い方を変えてくれ、と言いかけて、ヤヌアールは後方から走ってきた子供にぶつかられて倒れかけてしまう。その際、シュトラントの胸に飛び込むような形に収まってしまい──
「大丈夫か?」
思考がショートした。
「あ……や、すまない……」
人通りの少ない場所でよかったな、と笑うシュトラントに顔を見られないようにして身体を離すので精一杯だった。
顔が熱くなるのを感じながら、ヤヌアールは再び花壇に向き合う。
「……なんだよ、怒ってんのか?」
「怒ってない。私はそこまで器の狭い魔物じゃないからな」
「じゃあなんでこっち見ねぇんだよ」
ずい、と顔を覗き込まれ、びくりと肩を揺らす。反射的に土の着いたままの手でシュトラントの顔を突き放してしまう。
「あ、すまない」
「ヤヌアールお前なぁ……」
服の袖で顔に着いた土を拭い終えるなり、きゅ、と頬を抓られる。痛みは感じないが否が応でも顔を合わせる羽目になって、ヤヌアールは目を閉じてしまった。
「謝ったじゃないか……」
「いい度胸してんじゃねぇか、おぉう?」
「器の狭い魔物は嫌われるぞ」
「んだとコラ」
他愛ない会話を、この先もずっとすると思っていた。
自分は両親が経営する花屋を継いで、シュトラントは夢であった軍に入隊する。
ずっと一緒にいれると思っていた。
成人を迎える前に、シュトラントはこの世を去っていった。軍の試験に合格した直後の事だった。今となっては特効薬も開発され、完治する確率も高まってきているが、その時はまだ不治の病とされていたのだ。
あと少し後だったら、シュトラントは死なずに済んだのだろうか。
どうして夢を叶える寸前で、死んでしまったのだろう。
ずっと。朝から晩まで。何ヶ月と。
シュトラントの死を受け入れられなかった。
彼が死んだというのは夢で、次に目が覚めた時には無邪気な笑みを浮かべて隣にいるのではないか。何度もそう思ったが、虚しくなる一方であった。
病や寿命以外の要因で死んだ魔物は、魔石と呼ばれる魂の結晶になるのが、この世界の理だ。
病で死んだシュトラントは、魔石にはならなかった。
青紫色の靄に包まれたかと思いきや、彼の姿は消え去って、彼を包み込んでいた靄も飛散してしまった。
病や寿命で死んだ魔物は、透明な魔力となって大地を巡る。それが澄んだ空気を生み、草木を育て、新たな命を育む糧となる。
そうして世界は巡っているのに、ヤヌアールは割り切れなかったのだ。
だが暫くして、シュトラントの両親が彼のコートをヤヌアールに渡しに来たのだ。なんでも、そのコートの中に、彼女宛の手紙が入っていたとかで。
落ち込んでいたヤヌアールに、彼の遺品である深みのある赤いコートを持って来てくれたのだ。
小さなメモに書かれていた言葉は
「頑張れよ」
と、一言だけ。
手紙でもなんでもないじゃないか。と小突いて言ってやりたい衝動に駆られた。
だがその一言で、ヤヌアールは思い出せた。
──シュトラントの夢を、私が受け継ごう。
一度だけ口にした、彼に向けた言葉。
もしも夢が叶わなかったら、というシュトラントの問いに返した、ヤヌアールの返答だ。
子供の頃の事で、頭の中になかったが、シュトラントは覚えていたのだ。自分が死んでも、ヤヌアールが受け継いでくれる。そう信じていたのだ。
ならばヤヌアールは、過去の自分の言葉を遂行しなければならない。自分を信じてくれた幼馴染の為に、前に進まねばならない。
──その為に俺は、剣を取る。
大切な幼馴染が守りたかったこの国を、俺が守ると誓って。
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城から離れた森の入口付近に、黒い毛並みをした小さな魔獣がいた。腕に抱えられそうな大きさの魔獣が加えている深い赤のコートを見て、ゼプテンバールは声を上げた。
「あった!」
「持って行ってしまったのか……駄目じゃないか。返してくれ」
そっと魔獣に歩み寄り、しゃがんで手を差し出す。しかし魔獣は反応を示す事無く、コートを捨てて走り去ってしまった。
「あ。……ま、取り返せたからいいか」
コートに着いた汚れを払って、ヤヌアールは小脇に抱えるとゼプテンバールに向き直った。
「改めて感謝しよう、ゼプテンバール」
「ううん。見つかってよかったね」
「何か礼をしたいんだが……要望はあるか?」
ヤヌアールの問いにゼプテンバールは少しだけ悩む素振りを見せる。そしていたずらっ子のような笑みで言った。
「今度手合わせする時、何かハンデちょうだい」
「! いいぞ。だが、君の成長が遅れる事も理解しておくんだ」
「一度位勝ちたいんだよ」
「そうか。それが強さに繋がるかもしれないし……いいぞ」
遅くなった昼食を食べに、城へと向かって歩き始める。
一度洗わなければ、とヤヌアールは幼馴染の形見を見て困ったように笑った。