第10話
ピリピリと。
身体の芯から震えが起こりそうになる。
目の前に対峙しているグレーの髪をした高身長の女性は、悠然とその場に剣を構えて立っていた。
反して刀を構えるゼプテンバールは、ごくりと生唾を飲んで刀を握る手に力を込める。目の前に立っているヤヌアールを見つめながら、じりじりと距離を詰める。
だがヤヌアールも警戒しているのか、ゼプテンバールが詰めた距離を後方に退く。一定の距離を保ちながら緊迫した空気は続く。
そして、ヤヌアールが地を蹴った。
ぐん、と一気に詰められた距離に戸惑う事無く、ゼプテンバールは振り下ろされた剣を避ける。だがヤヌアールもそれに動揺などしない。そのまま一歩深く踏み込んで二撃目を繰り出す。
これは流石に避けきれない、と刀でそれを防ぐ。研ぎ澄まされた刃物同士がぶつかり合い、耳の奥底を突くような甲高い音が響き渡る。
「もっと踏み込め! ゼプテンバール少年!」
「そんな事言われても……!」
ゼプテンバールにはほぼ剣の訓練を行った経験がない。剣の大会で優勝したのだって、そこにあった武器を手に取って、怪我をしないように避け続けただけなのだから。
だがヤヌアールは違う。
彼女は魔王軍の軍隊長という地位に就いている。今なお磨かれている彼女の剣撃を潜り抜けて攻撃をしろ、というのは無茶だ。
「保身に徹底するのもいいが、相手は手加減してくれないぞ!」
「それは今身をもって知ってるよ!」
ヤヌアールから繰り出される攻撃を避け、たまに刀で防ぐ。こうして会話出来ているのは、彼女が手加減してくれているからに過ぎない。
彼女が少しでも本気を出せば、ゼプテンバールは為す術なく地に伏している事だろう。
そして、その予想は的中した。
「わっ!?」
刀を飛ばされ、ゼプテンバールはその場に尻餅を着いた。その瞬間、首筋に剣が沿えられる。ひやり、と冷たい感覚が脳に届いた所で、ヤヌアールは溜め息をついた。
「全く……本当にどうやって大会を優勝したのか疑いたくなるな……」
やれやれ、とヤヌアールは剣を鞘に収める。彼女の手を借りて立ち上がり、ゼプテンバールもまた飛ばされた刀を鞘に収めた。
「僕にもよく分からないんだ。どうやって勝ったのかも覚えてない」
「ふむ……それはある種の才能かもしれないな。まぁいいだろう。癖は矯正出来るし、武器を触れるだけの筋肉はついている。また手合わせしよう」
「忙しいのにありがとう」
「いや、教えるのもまた学べる機会だ。君も、気がついた事があればなんでも言ってくれ」
素直に礼を言うと、ヤヌアールはそう返した。一見厳しそうに見える彼女だが、この半年接してきて分かった事は『意外といい人だし可愛い』という事だった。
身長170をゆうに超える彼女に見下ろされてるゼプテンバールだが、それを鼻にかけたりしないのがヤヌアールだ。
また、なよなよしいオクトーバーにも「男らしくしろ」とか言って責めないのである。
いわばリーダーシップに優れた魔物なのだ。彼女を軍隊長に推薦した前軍隊長も見る目がある、と納得出来る程に。
しかしそんな彼女は、軍人になる前は実家の花屋を手伝っていたらしい。なんでも花冠を作るのが得意だとか。
また、先日開いた茶会で知った事なのだが、甘い物が好物だという。
そして生粋の子供好きだ。
数々の武勇で名を馳せた彼女も、年頃の乙女だったという訳だ。
だがそんな年頃の乙女に負かされているというのも事実。そこはゼプテンバールも悔しいというもの。
城に戻ったら対策を考えよう、と意気込んでいた所、ヤヌアールが困ったようにきょろきょろと辺りを見渡していた。
「おかしいな……ここにあった筈なのだが……」
「ん、どうかしたの?」
「いや……その……上着が無くなってる……」
ヤヌアールは普段、深みのある赤いコートを羽織っている。身長の高い彼女でも少し大きいサイズなので、ゼプテンバールも印象に残っている。
手合わせの際、邪魔になると脱いでベンチに置いていたのはゼプテンバールも見ていた。が、その場所には何もなかった。
「風で飛ばされたのかな」
「そうかもな……その辺探してくる。昼食には遅れると伝えてくれ」
「いや、僕も手伝うよ」
「しかし……」
申し訳ない、といった様子で眉尻を下げるヤヌアール。そんな彼女を後目に、ゼプテンバールは言った。
「二人で探した方が早いでしょ。ほら、早く見つけてご飯食べに行こ」
「……すまない。ありがとう」
ヤヌアールのコートを探して早数時間。一向に見つかる気配はなく、空腹も相まってゼプテンバールの疲労は限界を迎えかけていた。
「やはり一度戻ろう。飯を食ってからでも遅くはない」
「僕の心配ならいらないよ。あれ……大切な物なんでしょ?」
ゼプテンバールがそう聞くと、ヤヌアールは静かに頷いた。
「……幼馴染の物なんだ」
「幼馴染?」
「もうこの世にはいない。形見だ」
「!」
「幼い頃から言っていたんだ。軍に入って、この国の平和の為に剣を取るんだって」
その声色は、酷く悲しそうだった。木の幹にもたれ掛かって、ヤヌアールはその幼馴染の姿を思い出しているのか、そっと目を伏せた。
「体格も良かったし、剣の腕も俺より上だった。だが……病であっさり死んでしまったよ」
「…………」
「魔石にもならずにさ……消えちゃった……初めからいなかったみたいに……なんにも残らなかった……」
幼馴染が消えるその瞬間を目の当たりにしてしまったのだろう。拳をきつく握り締めて、ヤヌアールは悲痛そうに顔を歪めた。
「だから……あのコートを?」
「あぁ。俺も、元々武道を嗜んでいたから、軍に入る事に抵抗も無かったし……不安も無かった。でも、辛い事もあるんだ。男に比べれば貧相なのには代わりないし……自分の行いが間違ってるんじゃないかとも、思う時がある」
「……その幼馴染のコートが、君に勇気を与えてくれるんだね」
「……あぁ。そうだ。勇気づけられる。安心するんだ……彼に支えられているようで……凄く」
悲痛そうながらも、穏やかに微笑む彼女の顔に、勇ましい軍隊長の面影は無かった。大切な幼馴染を想う、一人の乙女だった。
「…………は、恥ずかしい事言ったな……。忘れてくれ……」
だが自分の発言に羞恥を覚えたのか、頬を少しだけ赤くして顔を上げた。
「じゃあ、尚更早く見つけないとね」
ゼプテンバールも空腹と疲労を誤魔化して、ヤヌアールに笑みを向ける。
「ありがとう、ゼプテンバール」
『少年』と付けられなかったことに一瞬驚きつつ、ゼプテンバールは頷いて歩き始めた。