第102話
「仕方無いね。ほら」
ぱっ、と足を離すタール。彼の右足のブーツにはべっとりと血がこべり着いていた。
「……ベヴェルクト」
ディツェンバーは今にも気絶しそうなベヴェルクトに話し掛ける。
「また、メルツを追いに来たのかい?」
メルツ、というとディツェンバーの部下の名前だった筈だ。確か役職は宰相で、何でもそつなくこなせたという……。
「…………メルツ……とは、……誰だ……?」
「………………」
オレンジ色の靄がベヴェルクトを包み込む。ディツェンバーは悲しげに眉根を寄せて、
「忘れているのならいい。気にしないでおくれ」
と、口にした。
「…………メルツ、か……その名、胸が……痛く、な……────」
柔らかに、少女のような微笑みを浮かべて、ベヴェルクトはオレンジ色の魔石へと変化した。
静かに、ベヴェルクトは消滅したが、タールとディツェンバーの間に流れる空気は穏やかでは無かった。
「ベヴェルクトの記憶を消したのかい?」
「愛なんて無意味だからね。ディツェンバー様を捕まえる役を担っている彼女だ。愛する人への愛情が残ったままじゃ、仕事に集中出来ないでしょ?」
失敗したから結局無意味だったけどね、と呆れたように続けるタール。その様子を見たディツェンバーが、静かに怒りを募らせるのが分かった。
「タール。アルターはどうしてる」
「……元気にやってるよ。ディツェンバー様も元気そうで良かった。魔物殲滅隊、ね……」
チラッ、と海達を順番に見渡してから、タールは踵を返した。
「それじゃあ、もう一度作戦を練り直す事にするよ。それまで死なないでよね、ディツェンバー様」
最後に淀んだ翡翠色の瞳を細めて、タールは音も無く姿を消してしまう。辺りにも気配が無くなった事を確認してから、海はベヴェルクトの魔石を拾い上げた。
「まずは三人共お疲れ様。遅くなってごめんなさいね」
空気を切り替えるかのように、宇宙は手を叩いた。
「それと陸ちゃん、お昼はごめんね。理由は話せないけど……ちゃんとやるべき事はやるから」
「いえ! むしろこちらこそすみませんでした……」
陸から事の顛末は軽く聞いている。陸に質問するように頼んだのは海なので、自身にも責任が無いとは言いきれないが、女子二人で仲睦まじげに言葉を交わしている所に入っていくのも気が引ける。
後で宇宙個人にも謝りに行く事にして、海は刀を魔石に戻す。
「海さん、空さんお疲れ様。大きな怪我も無いようで安心したよ」
「数の利があったからな」
「でも何とかなったし……良かったって事で」
肩を竦めて空は眉尻を下げた。それに頷きを返し、皆に屋敷に帰るように声を掛ける。
人気も少なくなり、暗闇に包まれた道を歩き屋敷へと戻ったのだった。
※※※※※※※※※※
魔物殲滅隊。
夜鳥海。四季空。緋月陸。
そして、創設者・師走宇宙に第74代目魔王ディツェンバー。
正直言って、厄介なメンバーが揃ってしまった。ディツェンバーが手にしていた十勇士の魔石も既に何らかの形で利用されている筈だ。
彼等もまた厄介な存在だから、破壊するか手に入れておくかしておきたかったのだが……。
出来ないのであれば仕方が無い。其方に労力や時間を費やすよりも、新たに二手三手を詰める方が効率的だ。
まだ駒は沢山ある。
ディツェンバー様の性格上、アウグストが確立した魔物を甦らせる事は絶対にしない。部下を裏切る行為に当たるからだ。
つまり彼の味方は人間と、ひっそりと暮らしている魔物に限られてくる。
まず潰すのであれば──殲滅隊では無くディツェンバーの味方にあたる魔物。
ディツェンバーに接触した魔物や、彼に忠誠を誓った臣下がいないか調べないとね。そして、着実に彼を追い詰めて……
「殺さないと。意味が無いもんね」
準備に時間が掛かるだろう。魔界の情勢もまだ安定していない。でも、その時は絶対に訪れる事となる。
「末代まで呪ってやるよ……ディツェンバー……」
その為に僕は、全てを削ぎ落として進み続ける──。