第99話
「貴様ッ……!!」
陸のインカムからベヴェルクトの声がした。それが指す事はただ一つ。陸の居場所がバレてしまい、その場にベヴェルクトがいるという事だ。
『あぁ、安心したまえ。彼女には少し聞きたい事があるだけなのだよ。傷を回復させるにも丁度いいからね』
一方的にそう告げて、パキンッと音がした。陸のインカムが破壊されたのだろう。
舌打ちしながら耳に装着していたインカムを地面に叩き付けるようにして捨て、海は空に視線を向けた。
「陸の元へ行くぞ、空」
「あぁ勿論さ……所で君、顎大丈夫?」
「外れてもいない。痛いがな。お前も腹は大丈夫か?」
「何とかね……」
互いの安否を確認してから、陸がいる少し離れた建物へと向かう。
(陸……どうか無事であってくれ……!)
訓練を積んできたとはいえ、彼女は遠距離専門だ。ましてや海と空二人がかりで手一杯だったベヴェルクトに対応出来るとは思えない。
胸の奥に込み上げる不安と焦りを感じながら、海は刀の柄を握り締めた。
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「さて」
魔力は傷を癒すよりも格段に使用されるが、切り落とされた両腕を再生する位の魔力は持ち合わせているベヴェルクトだ。
腕が完全に再生し、動きを確認してから気絶している陸を抱えて建物の屋上を歩いて移動する。
(まさか狙撃手がいるとは思わなかった……サポーターがいる事は悪い事ではない。やはり人間は以前よりも進化しているのだな……)
人間界への渡航許可証を持ち、仕事柄人間界に赴く事も多かったベヴェルクトは、当然人間の暮らしぶりや性質も知識として備えている。
しかし海や空は明らかにそれを凌駕していた。純粋に驚いていたし、心から認める気でいる。
「しかし、あの距離から狙撃するとはね。相当視力が良いのだろうか。羨ましい位だな」
腕の中で眠っている陸を見下ろし、ベヴェルクトは笑みを浮かべた。
ふと、ある人物が頭の奥に浮かんだ。それは靄がかかったかのように不明瞭だったので、すぐさま不必要な情報と判断してかき消したのだが、どうも心が晴れなかった。
大切な何かを忘れてしまっている気がする。
そもそも自分の行動基準は、魔王アルターへの忠誠心からなるものだったか。魔王という理由で従ってはいるが、元々は違った筈だ。
しかしその大元が分からない。
「…………これは、無意味なのだろうか……」
ふと、呟く。
自身を蘇らせた男は言っていた。
『愛を捨てた君は、間違いなく最強なんだよ』
自分は"愛"というものを捨てたのだろうか。
覚えのない感情に違和感を抱く。
「これが……僕なのだろうか……」
「──何を迷っているのかな、ベヴェルクト」
と、ベヴェルクトの行く手を阻むかのように、一人の少年の姿が現れた。
毛先まで手入れの行き届いた群青色の髪に、翡翠の瞳。赤縁の大きな眼鏡が印象的な、サイズの合っていないコートを身に纏った少年が真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「タール……」
「そう。僕はタール。偉大なる魔王アルター様に選ばれし学者様である」
無駄をこよなく嫌う男・タール。魔石になった魔物を再び甦らせる研究に携わっていた一人であり、アルターに選ばれた側近の一人だ。
と、ベヴェルクトはそこで疑問を抱く。
無駄を嫌う彼が、まるで誰かに紹介するかのように言葉を紡いだ事。ベヴェルクトは当然彼の事を知っているので、今更聞かされた所で頷くしか反応を示せないのだが。
「時間が惜しい。寝てる振りは辞めにしたらどうだい」
寝てる振り、という事はベヴェルクトの腕の中で眠っている陸に告げていたのか。
恐る恐る目を開けた彼女は、ベヴェルクトとタールを交互に見つめる。
「………………」
「そう警戒しないでくれたまえ。抵抗しなければ手出しはしないと約束しよう」
陸をそっとその場に下ろしてやる。不信そうに目を細めていたが、抵抗するだけ無駄だと判断したらしい。
「いい子だ。それでタール、何の用だ」
「ディツェンバー様の魔力を感知した。この辺にはいないから、今すぐこの場所に向かえ」
陸が静かに息を飲む。しかし構わずにベヴェルクトはタールにじっとりとした視線を向けた。
「何故貴君が行かんのだ。わざわざ僕に知らせる事こそが無駄な時間だと思うがね」
「僕は戦闘には不向きなのさ。僕だって自分で戦えるのならその方が効率的だと思うさ。だが出来ないものは出来ない。割り切るしかないさ。ほら、早く行ってよ」
ディツェンバーの居場所が書かれているらしい地図を無造作に投げ、タールは姿を消した。地図を確認し、ベヴェルクトは溜め息をつく。
「よりによってホテルか……最中だったら気まずいのだが……」
「えっ」
ベヴェルクトの独り言に、陸は反応してしまった。不思議そうに彼女に視線を送り、問い掛ける。
「何か気になる事でもあるのかね?」
「い、いえ……」
──内心陸は、宇宙の事を任せていた彼がホテル街にいる事に驚いたのだが、それはベヴェルクトの知った事ではない。
「では道すがら、君に聞くとしよう。着いてきたまえ」
「拒否権は……?」
「逃げたければ逃げればいいさ。その時は首を跳ねるだけだからな」
実質拒否権はないのだ。死にたくなければ着いてこい、と言っているのだから。
渋々、陸は彼女の後を着いて行く事にした。