第93話
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ライターで煙草に火を付けて、宇宙は口の中に溜まった煙をゆっくりと吐き出した。
そして今度は肺に取り込むように深く吸い込んでいる。
「ディツェンバー君煙草嫌い?」
「煙草は嗜好品でしょ? 人から楽しみを奪いたくはない」
人に迷惑をかけないならね、と付け足しながら、ディツェンバーは脱ぎ捨てていた服を着直す。
「……言われるのよ。女が煙草吸うな、とか。副流煙撒き散らすな、とか」
「あはは。気にしなくていいよ」
「ありがとね……」
ストレス発散という名目の行為も終えて、服も着た。宇宙が煙草を吸い終わった後はどうするのだろう。
このままここで一夜過ごすのか。それとも落ち着いたから研究所へ帰るのか。
短くなった煙草を灰皿に押し付け、最後の煙を吐き出してから、宇宙はゆっくりと話し始めた。
「──私の家族は、政府のお偉いさんの父と主婦の母。弟妹の大地と夕凪。そして……血の繋がっていない兄の天月」
「……どうしてお兄さんだけ血が繋がってないの?」
「元々子供が出来なかったのよ、私の両親。不妊治療してもね。独り身だった天月兄さんを引き取ってすぐ、母さんは私を身篭った。でも、皆兄さんを家族として認識していたし……幸せだった」
そう語る彼女の声色は、懐かしむかのように優しく穏やかだった。
「でも数年前……突然天月兄さんの姿が消えたの」
「それは……失踪したの?」
「ううん。目の前にいた」
宇宙の言っている言葉の意味が分からず、ディツェンバーは彼女から紡がれる続きを待つ。
「……見えていたのは私と父さんだけ。…………天月兄さんは、魔物だったの」
静かに、ディツェンバーは息を飲んだ。
天月がそれまでどのようにして人間の姿で生活していたのかは分からない。
しかし突然魔物へと姿が変化して、一般人に認識される事がなくなった。
魔物である天月の姿を視認出来たのは宇宙と彼女の父親。それはつまり、師走家の中でその二人だけが魔力を持っていた──魔人だったのだ。
「当然、母さん達から白い目で見られたわ……。訳を話しても母さん達の目に天月兄さんは映っていなかったから。それに耐えられなかった天月兄さんは……本当に姿を消した。もう何処にいるのかも、生きているのかも分からない」
「……………」
種族が違えど、天月は宇宙の大切な家族の一人だった。その家族が認識されなくなって、姿を消して、辛くない筈がないだろう。
「私ね、嫌な奴なのよ。殲滅隊を設立した理由? 見えない敵から一般人を守る? そんな綺麗な理由じゃないわ。そんなものはただの建前。私は……母さん達を見返してやりたいのよ。私も父さんも間違ってない。頭が可笑しい訳じゃないって」
「………………」
「幼馴染の空君も見えてたけど、彼にも言ってない。これはね。彼は純粋に……人を救う為に頑張ってる子だから。それを潰したくないの」
「……君は、優しいね」
「どこがよ」
「君の目的が……最終的には自分の為だったとしても、空さん達の想いは尊重したいって思ってるんでしょ?」
「当たり前じゃない」
「だからだよ。君は、ずっと一人で頑張っていた」
父親以外の誰からも理解されず、「頭が可笑しい」と嘲笑われ嫌悪され続け。
幼馴染達を騙して、あくまで人の為と謳って人々を募った。
彼女の良心は、とっくに限界を迎えていたのだろう。人を騙し続ける事に罪悪感を抱かない訳がない。宇宙はずっと、誰かに聞いて欲しかったのだろう。
それはきっと、ディツェンバーがそこにいたからではない。
ディツェンバーはあくまで助けてくれた恩を返す為に宇宙達に協力している。いわば必要な事以外深く介入する事がない。
自分でそれを分かっていたから、ディツェンバーは彼女を受け入れたのだ。
「僕の前では、何も隠さなくていいんだよ」
宇宙は突然、沈黙した。
不審に思って彼女の顔を覗き見てみると、宇宙はどういう訳か顔を真っ赤にして唇を一の字に結んでいた。
「…………」
初めて見た表情に、ディツェンバーもまた黙り込んでしまう。
「…………ディツェンバー君……、君、天然タラシって言われない……?」
「……言われた事ないなぁ」
「嘘だ」
「本当だよ」
自身としてはそのような発言をした気はないのだが、心にもない事を述べたつもりもない。
両頬を挟んで赤くなった顔を隠した宇宙が怪訝そうに眉を顰めるのを見ながら、ディツェンバーは柔らかく微笑む。
「……辛いなら、逃げちゃおっか」
「はぁ……?」
「全部投げ出して……全部捨てて、まっさらになって生きてみないかい?」
「だ、ダメに決まってるでしょ!? まだ何も──」
「じゃあ。やる事やって、本格的に殲滅隊が動き出したら……逃げちゃおう。『私はやる事はやった』って言ってさ。一緒に天月さんを探しに行こうよ。僕も、探したい人がいるから。一緒にね」
天月はきっとどこかで生きている。
そう、ディツェンバーは告げた。
「…………ディツェンバー君は……それでいいの? 一緒にいてて楽しくないでしょ……。私は性格悪いし、また暴走するかもよ」
「僕は宇宙さんといて楽しいもん。どこまででも着いて行くよ。やる事もないしね」
「…………じゃあさ、聞いてくれる?」
静かに返事をすると、宇宙はディツェンバーに向き直り、ほんのりと赤くなった頬のまま
「あと少し頑張るからさ……終わったら逃げちゃいたい。その時、私の隣にいて欲しいの。ずっとずっと……私の傍にいて、着いてきて欲しいの」
告白のような言葉を紡いだ。しかし彼女は告白のつもりはないのかもしれない。
真意が読み取れずに、ディツェンバーは少しの間黙り込んでしまった。
「…………」
「へ、返事はっ!? こんな恥ずかしいの初めてなんだから! はいかいいえ! イエスオアノー! どっちよ!?」
「は、……はい。イエス、……。僕は、貴女の傍にいます。ずっとずっと、着いて行くって約束します……」
宇宙の気迫に押されたというのもあるが、心から彼女を支えてあげたいと願った。
そんな単純な思いでいいのかもしれない。
彼女の手を取って、ディツェンバーは笑みを浮かべる。
「僕でよければ。貴女と共に」
「うぅぅ……この天然タラシ……!」
視線を逸らしながら彼女は言う。そして聞こえるか聞こえない位静かに
「…………ありがとう……」
と、口にしたのだった。




