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越州動乱記(笑)  作者: 鹿島三塁手
第二章 謎の人物と、歴史から消えた一族 長尾政景編
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ー閑話ー不運の貴公子 大井田基政

 長尾政景の弟の大井田藤七郎景国の娘婿に大井田喜七郎基政はなった人物で、長尾政景の先妻の実子時宗であろうと言われる人物です。弟の喜平次が輝虎の養子となった事で、長尾家より大井田家に婿養子に行き、1590年、父景国の突然の切腹と、基政の発狂により家臣である石川家の預かりとなった人物です(私見)。どうもこの辺りにも、長尾家の闇が隠れていそうです。



 …やあこんにちは。え?名前?長尾時宗(ときむね)または大井田基政(おおいだもとまさ)です。で、なんかよう?二つ名前があるのは、長尾家から重臣の大井田家に養子に行ったから。


   「ところで今年は何年?」


元和(げんな)九年(1623年)?いつなんだろう。


 一応知ってるのは、慶長(けいちょう)三年(1598年)に会津に国替えになった事と、慶長五年(1600年)に上杉家が味方をした石田三成(いしだみつなり)軍が負けて、米沢に移ったことくらいかな。二回引っ越ししたから、それは知ってる。


 ところで今日は何の御用で?あ、喜平次(きへいじ)君亡くなったのか。ところで樋口与六(ひぐちよろく)君は?3年前に亡くなって直江家は断絶(だんぜつ)…へえ。じゃあ大井田(おおいだ)家は?俊継(としつぐ)くんが景能(かげよし)さんのとこに入って、その後はその子孫がいるのか。


 その後扉が閉じられ、基政は考える。喜平次も兼続(かねつぐ)()ったか。直江が断絶し、大井田が細々ながら残るとは、長生き勝負は勝ちかの。今更(いまさら)昔の話をしても時は戻らんしな。


 大井田基政が亡くなったのは寛永(かんえい)十一年 享年(きょうねん)八十八歳だった。


 ちなみに直江兼続の妻、(せん)が亡くなったのは。寛永十四年で、基政の死の三年後だった。

 長生きでも実は直江家に負けていた。


「不憫」これ以外の言葉が見つかりません。

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