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越州動乱記(笑)  作者: 鹿島三塁手
第二章 謎の人物と、歴史から消えた一族 長尾政景編
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長尾政景その3

 政景と綾は政略結婚でした。問題は十代で結婚したのなら、計算御合わない人物が出て来るのです。長尾時宗という政景の実子と言われる人物です。彼の記録は手紙などに残っており一時期上田長尾を率いていた痕跡もあります。

 そして1551年婚約説をとると計算の合わない人物が多くみられてきます。ですので、初婚の先はその当時の為景の力関係から予測して能登畠山氏との娘の交換とさせてもらいました。

 俺はすぐさまあいつの前に出て


「つらかったら言えっていったじゃねか、()()()()()()()()()()()()()()()()


と言い、泣きながらあいつをぶん殴った。景虎はよけもしなかった、だがあいつも泣いていたんで、気持ちは伝わったみてえだ。後は直江に任せたら、国人衆(こくじんしゅう)から、景虎に従うという誓紙(せいし)を取りましょうって言うんで、持ってた紙に俺の名を書いて血判(けっぱん)を押してやった。


 その後、景虎は越後に戻り国主(こくしゅ)の座に戻った。俺はあいつのことは手のかかる兄弟だと思うことにした。それを綾に言ったら、


   「あたしと結婚した時点で、()()()だろうがー。」


って、腹に一発いいのをもらった。ああそうだったなと思い返し、俺はあいつのために、一緒に越後を支える覚悟(かくご)を決めた。


  あの景虎の家出から数年たった、永禄七年七月(1564年)に枇杷島(びわじま)宇佐美(うさみ)が遊びに来た。あんまり話したことはねえが、いい機会と思って、近くの湖に釣りと称して涼みにいった。宇佐美は話してみると、物をよく知ってる。今後もちょくちょく来て、色々教えてくれって言ったら、何故か悲しい顔をしやがる。


 理由を聞こうと、話しかけようとしたところ、背中に痛みが走った。()()()()()()()()()()。そうして宇佐美の方を見ると、(のど)を一突きして自害してやがった。ああそうか、俺はここで死ぬのかと思ったら、景虎があの優しい男が、不憫(ふびん)に思えてきた。


「…と、()()()()()()()…。」


これが俺の最期の言葉になった。


永禄(えいろく)七年七月五日(1564年8月21日)上田長尾越前守(えちぜんのかみ)政景死亡 享年(きょうねん)三十八歳 死因(しいん)は水死とも暗殺とも言われている。


漢政景ここに終了。彼が今後も輝虎に仕えていたなら、歴史も多く変わったことでしょう。

実は、政景の死の前に越後の国で大きく変わったものがあります。長尾景虎が上杉政虎になった事により、越後の正統な支配者が「坂東八平家の庶流であった長尾家」から「京都上杉の荘の名前を冠した平氏の子孫の上杉家」に変更になっています。つまり血統図が変更になっているのです。家系図が変わっているのです。このことは、謙信の名前の変更の多さ、やたらに『血統の良い人物にこだわる癖』に影響があるのでしょうか。


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