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越州動乱記(笑)  作者: 鹿島三塁手
第二章 謎の人物と、歴史から消えた一族 長尾政景編
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長尾政景その2

 家族を愛した漢、長尾政景。彼の人生は謎に包まれている10代で綾の方と結婚したという説もあれば、1552年頃に婚約が行われたという説もある。後者なら政景26歳、綾24歳と当時では晩婚の部類に入る。謎の人物「時宗」彼は記録にほとんど名前が残っていないが、一時期確かに上田長尾家の当主格として存在した。そのあたりを、自分なりの想像で書いてみました。ちなみに最初の妻の名前は想像です。

 天文十九年(1550年)守護であった上杉定実(さだざね)様が亡くなった。守護様には世継ぎがいなかったので、守護代である景虎を守護と認めるって書状が、上方の幕府か朝廷あたりから来た。でだ、最後の試練(しれん)として俺が見極(みきわ)めてやるってことで兵をあげたんだが、やっぱあいつ人間じゃねえ。あっという間に負けて、長男義景と妻ゆきを人質として送ることになった。


 俺は馬鹿だが仁義(じんぎ)を通す男だから、了解し妻子を見送ったんだが、春日山には着かなかったらしい。何者かにやられた。景虎がそんな卑怯(ひきょう)なことをするとは思えねえ。

 その日は城で、だれの目をはばかることもなく、大泣きした。それと同時に妻の忘れ形見(わすれがたみ)である時宗を守ることを決意した。


 俺の下らねえ意地のせいで妻子を亡くしちまったが、そのおかげもあってか、国内の豪族は景虎に、内心は知らねえが、大人しく従ってるように見えた。俺も過去の遺恨(いこん)は水に流して景虎に従う。そうじゃなきゃあいつらが、死んだ妻子が浮かばれねえ。


 景虎は戦はつええが、どっか無理してるように見える。俺よりも四つも若けえ上に、親父並みの年の家臣を指図(さしず)し、やんなくちゃいけねえあいつが不憫(ふびん)だった。そして俺は意を決し


 「力になれるなら何でもするぜ」


って言ったら、直後に景虎の姉が(よめ)に来た。()()()()()()じゃなかったんだが、(あや)っていうんだが、話してみるといいやつだった。気も張らねえでいいし、裏表がなく一緒に居てて疲れねえ。ゆきとは違うが、いい嫁だと胸を張って言える。


 弘治(こうじ)二年(1556年)綾との間に子供ができた。俺ももう景虎にたてつく気はねえ。名前は爺さんの幼名の喜平次(きへいじ)にした。だかその後とんでもねえ事が起きた。春日山からの急使(きゅうし)があって行ってみると、直江や安田、本庄なんかが難しい顔をしていやがる。嫌な予感がしたんで真ん中に置いてある書き置き(かきおき)を見たら


  「疲れました。探さないでください。 へいぞう」


って書いてある。あいつバックレやがった、つれえ時には相談(そうだん)しろって言ったのに、俺がそれを見抜けてなかった。その上、伯父貴の頃からの重臣だった大熊(おおくま)が、一家そろって出奔(しゅっぽん)しやがった。大熊にはあとで三倍返しだな、とぶん殴ることを決めた。


 とにかく景虎を追わねえとならねえ。いつもはあんまり仲がよくねえが、目端の利く(めはしのきく)直江と一緒に越中方面に向かった。景虎の性格なら、越前の永平寺(えいへいじ)か紀州の高野山(こうやさん)だろう。ただ朝倉と縁の深い長尾家だから、永平寺じゃねえな、と高野山に目星(めぼし)をつけて追っかけたら、越中と加賀の国境位のところで景虎を見つけた。


 漢政景ここに参上!と言いたくなるほどの男っぷりです。

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