ー閑話ー長尾晴景
長尾晴景の一生は時代に流されるままに生きたように見えます。思考停止とも取れますが、諦めや絶望をあえて見せないで生きた人物だったのかもしれません。
しかし父上にも困ったものだ。いくら守護代になってから、いやその前の祖父が亡くなった時から上杉という名に縛られすぎた。おかげで最後は自分の子供まで信用できなくなってしまってはのう。
僕の名は長尾弥六郎晴景。実の父は六郎為景で、妻の父は守護である上杉定実様だ。一応、上杉と長尾どちら血も受け継いでいるが、どちらの肩を持つ気もない。平和に暮らせるのが一番だと思っている。
しかし父為景が先日亡くなったので、喪主はどうしようと思う。僕や弟の景康では父が化けて出そうだし、本人も喜ばないだろうな。そう思って末子で出家していた平三を還俗させて喪主にした。
しかし、いきなり父が引き立てた胎田常陸に平三を襲われている。胎田も義理堅いのは良いのだが、主君の息子を狙っている時点でおかしいとは思わないのかなあ。そもそも父上の遺言あれなに?
「守護代は今のままで、長尾宗家を上田長尾家にする」
正直上田家が一番困ってる様に思う。何せ今の当主房長殿は父の弟だけど、その先代の頃は山内上杉家の被官だったのだから、上田長尾家も、越後の国人衆も困っているのが見える。
そうこうしているうちに天文十二年(1542年)になって、義父である定実様に養子の問題が起こった。これも父の家臣であった中条与次郎が縁のある伊達家からという話で持ってきたらしい。義父定実様も乗り気であったらしいが、正直僕はどっちでもいい。平穏無事が一番と思い。還俗させた弟を元服させ平三景虎とし杤尾に置いた。
天文十三年(1544年)、栃尾の平三を越後の国人衆が攻めたらしいが、軽く打ち破ったらしい。なんでも恵林寺にいた時に、合戦遊戯をやらせたところ天才的に上手かったらしい。まあそのあたりは父の息子らしい。
そう思っていたら、翌十四年(1545年)、胎田の息子で黒田家に婿養子として入っていた和泉秀忠に弟の景康を亡き者とされる。胎田常陸も黒田和泉も頭が固いというか、なぜ自分の主君が実子を殺せという命令に疑問を持たないのだろう。どう考えてもおかしいと思う。
平三景虎の実力を知って国人から、守護代に弟が推されているらしい。正直それでもいいかなと僕は思うのだが、父から宗家の指名を受けた上田の六郎政景が、なぜか僕の所に来て、平三と対立し始めた。正直迷惑なんだけどな。
もう勝手にやっておいてくれと、静観を決め込んでいたら平三景虎が勝った。やはりあいつは戦に強いなと思いつつ、養子という形にして守護代の立場を譲る。
後はのんびり隠居するつもりだったのだが、天文十九年義父である上杉定実様が亡くなり、景虎が国主として認められた。正直無難な対応だと思う。
案の定上田長尾家の政景が兵をあげるが惨敗し、妻子を人質に降伏したらしい。その妻子がどうなったかは良くは知ないけど、春日山には来てないなあ。
平三はそういう騙すような行為が好きでないのは知っているから、家臣の本庄か安田、直江あたりがやったのだろうなと思う。
天文二十一年(1552年)上田長尾家の叔父房長がなくなり、これを好機と思ったのか平三の家臣が進言し、能登畠山からの、出戻りの妹の綾を政景の妻とした。これで平和になると思っていたら、どうやら最近は信濃を制した武田大膳と、景虎はやりあっているらしい。
また誰かに頼まれたのか、あいつは根が優しいのから心配なのだがなあ。
天文二十二年死去 享年四十二歳
今作における長尾晴景は「考えることを放棄した人物としました」自らの殻にこもり、自らの世界で生きている人としました。
後思ったことは、なぜ「末子」の景虎を「養子」にしたのでしょう?兄弟であれば、養子にする必要がないような?あれれ?