1週間目 奴隷の男と会話する悪役令嬢 Ⅲ
書けました。
§7
「……と言う事は、この文字は発音しないと?」
執事服を着た奴隷は前に座った私に本を差し出すと文字を指差しながら目を向ける。
「その通りよ。“シュバイン”。……ただ、昔は発音していたそうだけど。」
「……なるほど。ありがとう。エレオノール……お嬢様。」
彼は最後に付け足して軽く頷くとまた本に目を戻す。
最初の内は私の名前をそのまま教えたので、先程みたいにお嬢様と言い忘れる事がある。
……今は居ないけど、その度にミシェルに怒られているのよね。
その様子を思い出して内心くすくすと笑う。
彼の名前はシュバイン。
彼がこの屋敷に来てから一週間が過ぎていた。
食事は毎回一緒に取り、空いた時間には屋敷の中や敷地内の庭園を見て回った。
ミシェルには渋られたのだけど、“使用人”が使う道具などの名前を彼に教える為に地下室に行く時にも私は付いて行った。
その際に私は“初めて”使用人の挨拶を受けたのだけど、ここに来てから一か月も“放置”していた事に心が傷んだ。
下級の使用人は主人に直答が許されず。私が“名前”を呼び掛けられないと話す事が出来ない。
……使用人の名前すら覚えていなかった私は主人失格ね。
ちなみに、使用人の名前を聞いた中で彼の名前も聞いた。
日常会話程度なら流暢に話せる様になったので、昨日から執務室の本棚にある“口語”が使われた軽い読み物を使って文字を教えている。
……そうね。
私はふと思い浮かんだ言葉を口にする。
「ねぇ、シュバイン。私の事は今度から“お嬢様”と言うのはどうかしら?」
「……? それにどの様な意味がある?」
私の声に気付いたシュバインは本から顔を上げると首を傾げる。
「貴方。毎回、私の事を呼び捨てにしてミシェルに怒られているでしょう?」
「……なるほど。」
彼は何度か頷くと私と目を合わせる。
「しかし、私にとっては“エレオノール”は“エレオノール”なのだ。“お嬢様”はしっくりと来ない。」
「そっ、そうなの。なら、貴方の好きにしなさい。」
真剣な目でそんな事を言うものだから動揺して目を逸らす。
……そう言えば、未来の陛下は私の事を名前で呼ばれた事は無かったわね。
“お前”だの“女”だのと呼び掛けられた記憶しかない。
そう言う方だと思っていたのだけど、あの伯爵令嬢の名前を親しげに呼ばれていたのはショックだった。
……嫌な事を思い出したわ。
心なしか顔が歪む。
すると、前から声が聞こえてくる。
「ただ、ミシェ……マダムの前ではその様に呼ぶのは問題ない。エレオノール、お嬢様。」
目を前に向けるとじっと私を見るシュバインが目に映る。
……少し、心配させたのかしら?
私は顔に笑みを浮かべる。
「それが一番ね。……続きを早く読みなさい。」
「了解した。」
彼は軽く頷くと本に目を落とす。
目を窓に向ける。
お昼過ぎ。まだ日は高い。
……そろそろ聞くべきかも知れないわね。
ミシェルが帰ってきたら彼に奴隷になった経緯を尋ねようと決めた私は手元の本に目を落とした。
§8
窓の外が夕日に染まる頃、ミシェルが帰ってきた。
「……只今戻りました。お嬢様。」
シュバインと一緒に本を広げているテーブルまでやって来たミシェルは軽く礼をする。
「お帰り。ミシェル。……早速で悪いのだけど。シュバインに例の事を聞いてみようと思ったのよ。どうかしら?」
「ああ、なるほど。……では私も失礼します。」
ミシェルは私達が座っているテーブルの椅子を引くと腰かける。
シュバインはその様子を見ると私に目で問いかける。
……ふぅ。
私はシュバインと目を合わせる。
「シュバイン。貴方が“奴隷”になった経緯を聞きたいのよ。」
すると、彼はゆっくりと口を開く。
「……なるほど。私が“奴隷”と言う身分なのは分かる。しかし、“奴隷”が何なのかを教えて欲しい。」
……そうね。
色々と聞きたい事はあるのだけど、今はとりあえず彼に“奴隷”の説明をする。
「売り買いされる“人”の事よ。その中でも貴方は“主人”に生殺与奪の権利を握られている物になるわ。……その首輪がそれの証よ。」
彼は私の目の先にある首輪に手を触れる。
「…………了解した。」
彼は深く息を吐くと目線を下げる。
……どうしたら良いのかしら。
私はミシェルと目を合わせ、小声で話す。
「……どうしたら良いと思う? ミシェル。」
「そうでございますね。……彼の扱いをそのまま語ればよろしいのでは?」
「……分かったわ。」
私はミシェルから目を離すと彼に声を掛ける。
「……ええと、貴方の主人は私なのだけど話し相手になってくれたら良いのよ。それに時期を見て、貴方の事は解放する気よ。“首輪”の“魔術”を使って痛めつける気も無いわ。」
私は貴族。
戯れに買ったとは言え、最初から彼の事は恩賞として解放する気だった。
ただ今の彼では解放しても街では生きていけないでしょうし、女ばかりのこの屋敷では“奴隷”以外の男は置けない。
暫くすると、彼は目線を上げて私を見ながら呟く。
「……“魔術”とは?」
……説明が難しいわね。
私はミシェルに目を向ける。
「……ミシェル。」
「畏まりました。……シュバイン。“これ”が魔術です。」
ミシェルは“無詠唱”で“光の球”を作り上げると天井に打ち上げる。
すると、光の球に照らされ薄暗くなり始めた室内が一気に明るくなる。
……相変わらず、上手いわね。
発動自体は簡単なのだけど、光量の調整が難しい。
しかも、“形”を変えるとなると難易度が更に上がる。
天井に目を向けると光の球が楕円状に広がっている。
「これだけではありません。“水を出す”、“火を灯す”、“風を起こす”、“土を動かす”等も魔術によって起こすことが出来ます。」
それを聞いて暫く静かだったシュバインはゆっくりと口を開く。
「……使用人の娘達が“使って”いた?」
「ええ。そうです。彼女達も簡単な魔術なら使えます。」
……そう言えば、使っていたわね。
地下室では、使用人の娘達が竈に火をくべる際や食器を洗う際と言った“細々”とした事に魔術を使っていて驚いた。
魔術学校ではそんな魔術の使い方はしない。基本は戦闘を想定した大規模なものになる。
彼は眉間に皺を寄せるとゆっくりと私とミシェルに目を向ける。
「……私が居た“所”では、その魔術と言うものはなかった。『概念としては存在したが。』」
……えっ。
私とミシェルは余りの事に固まってしまう。
……魔術が存在しない場所なんて信じられないわ。しかも、最後の聞きなれない“音の並び”はもしかして言葉かしら?
ただ、私は周辺国の言葉は大抵喋れるのだけど分からなかった。
私とミシェルは顔を見合わせる。
すると彼の声が聞こえてくる。
「……では、順を追って説明しよう。」
私は前に向き直るとゆっくりと頷く。
「お願いするわ。」
彼は私に頷き返し、語り始める。
「……ここに来る一か月ほど前、私は“家”の近くの森を歩いていた。しかし、いつもの道を辿るも帰る事が出来ずに数日、森を彷徨った。その時に男……、貴女達も会った奴隷商の男に捕まり、ここに居る。」
……あの森かしら?
奴隷と言う“商品”を運んでいた以上、街道が通っている場所。
しかも、あの商人の訛りや扱っていた奴隷の人種を考えるとここから南の王都方面から来た可能性が高い。恐らく、私とミシェルが王都から来た途中で野宿をした、あの森。
私は彼に尋ねる。
「街道沿いだったかしら?」
彼はこくりと頷く。
「方角は?」
「……南から北に移動しているようだった。」
「そう。」
やはり、あの森で合っているわね。
……でも、あの森の周りに人の住む場所なんてあったかしら?
私はミシェルに顔を向ける。
「どう思う? ミシェル。」
「……あの森に人が住んでいるとは聞いた事がございません。もう少し話を聞くべきかと存じます。」
「そう。……シュバイン。貴方の住んでいた場所について教えて貰えないかしら?」
私は顔を戻すとシュバインに目を向ける。
「確か……ここの街並み良く似た“数万人”程度の“小さな”街だった。奴隷は……昔は居たが今は居ない。」
……なるほど。“神隠し”ね。
あの森周辺にはそんな規模の街はない。
数万で小さいと言うのが気にはなるけど。
シュバインが数の単位を間違えるとは思えないので、言葉が通じない何処か別の場所から飛ばされたと考えた方が良い。
……一応、それも聞きましょう。
「……シュバインは、貴方の居た場所の言葉は喋れるのよね?」
「ああ。『これが私の国の言葉だ。』他にも、十つの外国語と二つの古語を扱える。」
先程、聞こえた不思議な言葉が聞こえてくる。
……やっぱり、これは言葉だったのね。
ただ、十の言葉を扱えるなんて普通の貴族でもあり得ない。
私は少し緊張しながら、言葉を紡ぐ。
「貴方はその土地では“貴人”だったのかしら?」
彼はしばらく逡巡すると私と目を合わせ、首を横に振る。
「……いや。そうでは無かった。『先祖がそうだったのは昔の話だ。』そうでは有ったとしても、今の私は君の奴隷と言う“身分”だ。そうでなければ、“庇護”は無いのだろう?」
「……そうね。」
少し悲しそうな笑顔を見せる彼に私はゆっくりと頷いて目を逸らす。
すると、ミシェルの声が聞こえてくる。
「……お嬢様。私も彼に質問してもよろしいですか?」
「構わないわ。」
私がそう答えると、ミシェルはシュバインに顔を向ける。
「シュバイン。あの礼儀作法は貴方の土地のものなのですか?」
「その通り。……ペンと紙はあるか?」
彼は軽く頷くと私達に尋ねる。
……何に使うのかしら? 別に良いのだけど。
私はミシェルに目線を送る。
「ミシェル。」
「はい。お嬢様。……シュバイン。これを使いなさい。」
「有り難い。」
シュバインの手元を見ていると幾つもの“文字”が綴られる。
……達筆ね。
知らない文字なのだけど、美しさは伝わってくる。
「これは『ドイツ語』、『英語』、『フランス語』、『スペイン語』、『ポルトガル語』、『ロシア語』……これは『ラテン語』、『古ギリシャ語』、……『マンダリン』、『アラビア語』、『日本語』、『ヘブライ語』、……『エスペラント語』、……どれか見た事があるものは?」
彼の言葉に私は首を横に振る。
ミシェルに目を向けると彼女も首を横に振る。
……ミシェルも知らないとはお手上げね。
私に言葉を教えてくれたのがミシェルなので、少なくとも私が知っている言葉は全て喋れる。
……礼儀作法は同じなのに言葉が別物なんて、訳が分からないわね。
しばらくの間、様々な文字が書かれている紙を眺めながら首を傾げているとミシェルの声が聞こえてくる。
「……図書館では何か手掛かりがあるかも知れません。あそこは千年近い歴史がございます。“神隠し”も“言葉”も調べるには良い場所かと。」
図書館。
たしか、閉鎖中の建物の中にあったはず。
……それに、彼には良い場所かも知れないわ。
見るとシュバインの目には好奇心の火が灯っている。
私はミシェルに顔を向ける。
「お願いしても良いかしら?」
「畏まりました。」
窓に目を向けると完全に外が見えなくなっている。
……少し楽しみね。
彼と本を読む新たな週が始まろうとしていた。
§9
「……以上が報告でございます。奥様。」
薄暗い中、光を放つ水晶玉の前で傅いたミシェルは深く頭を下げる。
すると、水晶玉の中から声が聞こえてくる。
「ミシェル。顔を上げなさい。」
「はい。奥様。」
「……しかし、その奴隷には感謝しないといけませんね。この様に多彩な報告を受けたのは初めてですから。」
「奥様。申し訳ございません。」
「……はぁ。別に貴女を責めている訳ではありません。ミシェル。あの子にも時間は必要だったはずですよ?」
「はい。奥様。」
「ええ。……ただ、その奴隷の素性については私の方でも探ってみましょう。」
「……では、後ほど幾つかの“資料”を“念写”でお送りいたします。」
「…………この距離で念写を行うなど、つくづく規格外ですね。貴女は。……来週の報告を楽しみにしていますよ。」
その言葉を聞いたミシェルは再度、深く頭を下げる。
すると、水晶玉の光が消え室内は真っ暗になった。
次回は、一週間ほど空くと思います。