高平 薫
白い怪物から放たれる異様なまでのプレッシャーに当てられ、薫は吐き気を耐えきった幸恵《幸恵の目の前で上半身を折り曲げ、嘔吐する。しかし、それは仕方のないことであろう。と、この怪物を見たものならば口をそろえて言うだろう。文章で言うのであれば、人間くらいの大きさで、リトルグレイ脳頭部を持ち、ナメクジのような風貌の怪物。その程度かもしれない。しかし、今ここにいる怪物は、それ以上の気持ち悪さを放っている。それは、感じるとしか言えない気分の悪さであり、恐らく、共感できるのはその怪物を見た人のみであろう。
「おえぇえぇ。」
その場にうずくまる形で薫は嘔吐する。本来であれば朝食のときに取った炊き込みご飯が出てくるところであろう。しかし、薫の口の中から出てきたのは、白っぽい何かであった。人間の体内からは出てくることは想像できないほどの大きさの何かは、まるでカエルが自身の胃を掃除するかのような気持ち悪さで薫の口の中から出てくる。その白い何かは、ヒトの頭部くらいの大きさになると薫の口から離れ、床にボトリと、落ちる。
「薫さん!大丈夫ですか!?」
白いものを吐き出した薫は、力が抜けたようにその場に膝から崩れそうになるところを幸恵に支えられることでなんとか意識を保つ。
「ほう。これは思わぬ収穫。女。その男を殺せ。そうすればお前の願いそして、この世界からの脱出を叶えてやろう。わが主はその力を持っている。」
白い怪物は、小さな口を動かし、倒れそうになっている薫を支える幸恵にささやきかける。
この世界からの脱出。それはつまり、この館から出ることが出来るのだろう。そして、それ以外に望みをかなえてくれる。今、自身の腕の中で虫の息になっている薫の手からポケットナイフを奪い取り突き立てれば簡単に殺せるだろう。
心臓は、ダメだ。簡素なポケットナイフを使って男性の胸に即死の傷をつけることは女性の腕力では難しいだろう。
首が一番楽かもしれない。抵抗できない今の薫のであれば、どこでもいいかもしれないが、首に走っている頸動脈を傷つけるのであれば、最悪爪でも出来るのだから、ポケットナイフならもっと簡単に出来るだろう。
幸恵の手が薫の持つポケットナイフに伸びて行く。白い怪物はわずかにその頬を緩ませる。そして、ポケットナイフを手にした幸恵は、そのナイフを白い怪物の方に向け言い放つ。
「ち、近づかないで下さい!」
そういうと、自身よりも体格的には大きい薫を引きずるようにその部屋の中から脱出を試みる。幸い、薫が男性にしては細身であった事、放心状態とは言え、まだ意識が残っていたことで、何とか幸恵の力でも薫の体を動かすことが出来た。
「・・・。」
その間、白い怪物は何もアクションを起こすことは無く、幸恵のことをその光のない大きな瞳で見つめ続ける。その視線に気づきながらも目線を合わせないように注意しつつ、何とか無事に部屋の中から出ると、その扉を閉め、鍵を使い施錠する。
そこで安心したようで幸恵は、その場に座り込む。一方、部屋にいる間は放心状態で全く役に立たなかった薫は、部屋から出たとたん、体の中にあった重さが抜け、部屋に入る前と何ら変わりのない元気が出てくる。
「ありがとうございます。新妻さん。助かりました。」
「い、いえ。わたしも何度も助けられてますし、お互い様ですよ。それより、何があったんですか?」
薫の中から出て来た異常な大きさの白い何か。白い怪物もかなり気になるが、それ以上にあの白い塊が幸恵の中に引っかかる。
「・・・。」
話したくない事なのか、思い出したくもないのか、薫は、顔を伏せて黙り込む。少しの間、二人は何も話すことなく沈黙の時間があり、何かを決心したように薫が口を開く。
「新妻さん。これからいう話は、誰にも言わないことを約束してください。」
「え?わ、わかりました。」
いくつかの懸案があったものの幸恵は、薫の提案に承諾する。
「ありがとうございます。じゃあ、話します。俺が最初の扉をくぐったとき、何を経験したのかを・・・。」
高平 薫
扉をくぐるとそこには、一つの部屋が広がっていた。
1Kの賃貸物件のような雰囲気の部屋には、小さな机に対面の椅子が二脚置かれている。その片方に薫が腰かけると、その白い机の上になんのとも無く文字が刻まれる。
「『あなたは、選ばれた。そして、選ばなくてはならないモノ。』」
「・・・何を・・。」
なんとなく呟いた薫の声に反応したかのように机の上に刻まれた文字が消え、新しく文字が刻み込まれる。
「『罪は罪で拭わなくてはならない。あなたの罪は虚栄。多くの心にありもしない幻想を与えたこと。代償は記憶。その贖罪を選ばなくてはならない。』」
「俺の罪・・・。」
そこで薫は、この部屋に入る前にあった会話を思い出す。それは、一人の中年男性に言われた話で、自身が有名な詐欺師であるとの内容だったことだ。多くの人を騙し、人生を蝕んだ罪。それを薫は、背負わなくてはならないのだろう。
「『あなたに与える力は、作る力。理を捻じ曲げ、あらたな理を生み出す力。その力を持って贖罪を果たす。それが、あなたの役割。』」
「具体的には何をすればいいのですか?」
もう薫の中には、机に文字がひとりでに刻まれることに関する疑念は存在しない。それほどまでに彼の中身は真っ白になっているのだ。
「『役割はこなすものではない。与えられるものではない。自らの意志を示せ。その為の力。』」
すると、薫の頭に情報としか言えない記憶が流れ込む。それは、自身が使うことのできる力。物の形を変える力。その使用方法に関する知識が頭の中に流れ込んでくる。
「『神の産物をあなたに』」
机の上の何刻まれた文字が消え、机の上には一つのインゴットが出現する。大きさは20センチほど、持ってみても殆ど重さを感じない。質感はツルっとしていて奇妙な光沢を帯びている。そのインゴットを手に取り、手始めに金槌を作ってみる。すると、インゴットは一瞬にして形状を変え、|薫が想像した金属製の金槌に形を変える。
「『その力は、禁忌の力。欲するものは多い。奪おうとするものも』」
机に再び文字が刻まれる。薫の持つ力は、確かにかなり強力だ。その力を欲するものが、先程の広間にいた者たちかどうかは分からないが、あまり見せびらかしてはいけないモノである事は何となく理解することが出来る。
「『残る椅子は一つ。選び、見定めよ。』」
その文字を最後に机の上に文字は刻まれなくなる。
「何を見定めろと・・。」
当然、返答は帰ってくることは無い。奇妙な力。奇妙な空間。奇妙な金槌とインゴット。そして、ドアの外には自身の知らない人たち。その中で何を見定め、最後の椅子に座るものを選ばなくてはならない。唯一のヒントは、『罪は罪でしかぬぐえない』という言葉だ。そのままの意味で捉えるのであれば、罪を持っている者を選べばいいのだろうか?それとも、あらたに罪を起こせばいいのだろうか?
そんな風に問倲していると、薫の前に一枚の扉が出現する。恐らくだが、この扉をくぐれば再びあの広間に出ることが出来るのだろう。
「分からないがやるしかないだろう。」
薫は、ドアノブを捻る。




