最後の怪物
三階へと通じる廊下を挟むように存在する二つの扉に対して、二本の鍵を使用した薫と幸恵の二回探索班は、片方の扉、幸恵の方の扉が、乾いた解錠音が二階の廊下に響いた。一方、月の紋様の書かれた鍵を使用した薫の方の扉は、鍵は回るもののどこまでも回り続けるように鉤が何かに引っかかる感触は存在せず、解錠音も聞こえなかった。
「か、薫さん。こちらの扉は開きました。」
「こちらは無理の様ですね。開く気配は全くないです。」
と、言うと薫は、空を切る鍵を鍵穴から抜くと幸恵のいる扉の方へ向かう。
今までと同様の特に大きな特徴も無い木の扉。幸恵は、ポケットの内から館の見取り図を取り出す。そこは、先程、確認して様に『血』と書かれた部屋であった。
「じゃあ、開けましょうか?」
「あ、あの。もしもの時のためにこれを!」
そういうと、幸恵もう一方のポケットの中からポケットナイフを一本取りだすと、その貧相なナイフを薫に差し出す。
この二人は、この一行の中で最弱の組み合わせと言っても過言ではない。恐らく、一番ひ弱なのは幸恵で間違いはないだろう。不健康そうなその白い肌も15歳のマリーに負けない体の線の細さからもそれは明白だった。次に薫と沙良。二人は、多角的に差をど差を感じない。それは、薫が男性にしてはせんが細いためであり、沙良の方は一般的な女性と言って相違ない。
「わかりました。でも、あまり期待しないで下さいね。」
はにかみながら薫はは、幸恵からポケットナイフを受け取り、その刃を収納部分から取り出す。
捻るタイプのドアノブを薫が、ナイフを持っていない左手で握る。幸恵も薫の後ろで身構えるようにその扉が開く瞬間を待つ。
薫がゆっくりとドアノブを捻り、ゆっくりドアを押し開く。すると、中から仄かな明かりが零れてくるのが分かる。スタンドライトで照らされている廊下に比べ少し明るい部屋の中からは、奇妙な音などは一切聞こえてこなかった。
「とりあえずは大丈夫そうですね。」
幸恵は、無言度頷くが、その目線は部屋の中から離れない。薫達は、その扉を大きく開き、部屋の全貌を確認する。
「な、なんでしょうこれは?」
部屋の中には、何もなかった。その言葉がしっくりくるほど物のないシンプルな部屋であった。壁紙は無機質な白。床のフローリングには、『血』と書かれた物騒な部屋の名前にしては、今までで一番きれいな木目を残していた。
そんな、買い立ての部屋のように何にもなくキレイな部屋の中で唯一の置物。その異彩を放つ大きなゴブレットが部屋の中央に鎮座していた。
先程までに警戒感を失い薫と幸恵は、部屋の中央にあるゴブレットへと近づいていくと、どこからともなく一つの声が二人の鼓膜を震わす。
「ようやく現れた。長かった。」
その声は、奇妙な音声で機械ではないが、人間の声帯を通していないような響きで伝わってくる。薫達は、声をなくし周りに注意を向けるが、生き物影を捉えることは出来ない。
互いに視線を合わせ、何も見れなかったことを無言で伝え合う。
「これでようやく我が君の復活の時。」
しかし、その声は確実に、この部屋の中から聞こえてくる。何もないからこそ、その部屋に広がる声は不気味なものに感じられた。さらに声は、僅かであるが移動していることも薫達には理解することができ、ドアの近くにいる薫と幸恵に近づいてきている。
「新妻さん。後ろに。」
薫は、新妻からポケットナイフを貰っている使命感からか、男としての責任からかは不明だが、幸恵自身の影の中にいれ、声の主との間に立つ。しかし、声の主の姿が見えない以上は、二人の不安は消えることは無いだろう。黒い怪物やその他の経験したことのない奇怪な現象は、まだ人間の中で最も安心感を与えてくれる視覚で感じれたからこそ精神を保つことができた。しかし、この部屋には、主のない声のみが広がる。二人は、言いようのない不安に襲われる。
「さあ、血をささげるがいい。」
瞬間、
タンッ。
と、何か濡れたものが金属に触れるような音が、反響も無く広がる。そして、その瞬間に今まで何もいなかったはずのゴブレットのたもとに、全身が真っ白い生き物が立っていた。いや、立っていたという表現が適切かは分からない。なぜならそのモノの下半身は、まるでナメクジのような形状をしていたからである。普通の人間とそう変わらない身長に宇宙人を思わせる大きな瞳と大きな頭部。しかし、腕や耳、足は存在せず、蛇が立ち上がった時のように器用に状態を起こしてこちらを向いている。
その怪物を見た二人は、異常なまでの吐き気に襲われる。今までに見て来た異形な生物の中でも別格のヤバさというものに二人は当てられ、有無を言わさずその場に吐瀉物を吐き出してしまいたい気分になる。
寸前でその気分を抑え込んだ幸恵は、薫の服を引っ張り逃げようと暗に意思表示する。しかし、
「おえぇえぇ。」
幸恵は、そこで自身を襲った吐き気が、薫も襲っていたことを理解し、その吐き気に負けてしまった薫は、その場で上半身を折り曲げ、嘔吐する。




