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ナツ×ハナビ

 セミの大合唱は室内にいる僕の耳にまで届くほど大きくなっていた。夏真っ盛りだというのに僕はむんむんとした熱気がこもる講堂で講義を受けていた。とはいっても意識がその内容に向くことはなく、唾を飛ばしながらも淡々と抑揚のない声で話す声内容は右から左へと垂れ流されている。欠伸を噛み殺しながら、右手に持ったシャーペンをくるくると回す。指の間を右から左へ、そして左から右へと行ったり来たりするシャーペンを眺めながらやはり思い浮かぶのはあのいつもの光景だ。

 突然で本当に申し訳ないのだが、皆さんは前世というものを信じているだろうか。別に宗教の話をしようというわけではない。ただ僕には前世の記憶が、僕には体験した覚えのない記憶が残っているのだ。脳裏に浮かぶそのイメージは単純ではあるが、あまりにぼんやりとしすぎていてそれがなんなのか、いや誰なのかは全く分からない。そのイメージとは一人の少女の後ろ姿だ。僕にはその背中しか見ることが出来ず、絵画のように固まってしまっている。僕にはその背中を眺めることしかできず、着ている服もぼんやりとしか思い浮かばない。霧がかかったようなそのイメージで唯一はっきりしているのが少女の後ろ姿である、という事実だけだった。とにかく僕にはそんな前世の記憶としか思えないようなイメージが残っている。

 考え事をしている間にも、無意識のうちにシャーペンをくるくると回していたらしい。しかしそううまくいくはずもなく、手から滑るようにはシャーペンは離れていった。回転しながらきれいな放物線を描きながらそれは僕の前の席の方に飛んでいく。そしてそれはコトンという小さな音だけを立てて着地した。

 その時だ。僕は放物線を描くシャーペンを目で追いかけていた時、まともに前すら向いていなかったので気が付いていなかったが、前の席に座っている人がいることの気が付いた。思わずえっ、と口に出してしまう。暑さのせいでぼーっとしていたのかと思い目をこすってからもう一度確認する。前の席に座っている人は僕がシャーペンを落としたことに気が付いたらしくさっと拾って僕の机に置いた。そして再び何事もなかったかのように話に耳を傾けながら一生懸命に板書を取り出した。

 見間違いでなければ、いやそんなはずもなく、前の席に座る人のその後ろ姿は僕のイメージの中に登場する少女と瓜二つなのだ。僕は言葉を失いお礼の言葉をかけるのも忘れてしまう。そこからは本当に覚えていない。話はおろかその時何を思い、何を考えていたのか、でさえ思い出せない。ただいえることは時間が過ぎ去るのを今か今かと待ちわびていたということだろう。そんな時に限って時計の針が進むのは遅く、永遠とも思える長い時間を僕はうずうずしながら過ごしていた。

 チャイムが鳴ると早々に帰ろうとする者もいれば仲間と談笑する者もいた。僕の前に座っていた彼女はひとりで来ていたらしく筆記用具をかたずけて早々に帰ろうとしている。声をかけるならば今しかないと思いきって声をかける。

 「あの………さっきはどうもありがとうございます。」

「さっき?ああシャーペンのこと?別にいいよそんなこと。」

「あの~それとなんですけどね。」

「その話って長くなる?だったら食堂にでもいかない。私おなか空いちゃって。」

彼女は笑いながらお腹をさするジェスチャーをする。初めて会った異性をいきなり食事に誘うとはなかなかの猛者かもしれない。何気なくかわした会話だが僕はそこで初めて彼女を正面から見たのだ。後ろ姿しかイメージに残されていなかったが僕は確証をもって彼女であると言い切ることが出来るだろう。霧が少しだけ晴れたような気がした。



 私学には少なくとも一つは魅力がなければならない。食堂で本気で作ったコーヒーがおかわりし放題の300円という、まるでファミレスみたいなことを宣伝しているのが僕の通う私学だ。Aセット(生姜焼き定食)400円とコーヒーを注文した僕に対し彼女は洋食セット500円と同じくコーヒーを注文していた。お昼時ということもあり楽しげに談笑する学生たちの間をかき分けながら10分ほどA定食ののったトレーを持ちながらうろうろすること5分弱。ようやくならんで座れる席を見つけた。

 彼女は先程の宣言通りよっぽどお腹が空いていたのか席に着くや否やすぐに食べ始める。そんな状態で声をかけるわけにもいかないので僕もうすい生姜焼きを口に入れる。墓の学校がおいしいかどうかは知らないがここは食堂に全力を注いでいるらしい。食生活がちゃんとしていないで学業に取り組めるわけがないと常日頃から言われている。美味しいに越したことはないのだがそのせいで無駄な争いが起きていることは否定できない。今日は補講ということもあり人が少ないのだがそれでも席は8割程度埋まっている。考え事をしているうちに自分の前に置かれた皿は空っぽになっていた。

 彼女も食事を終えるとコーヒーを飲みながら彼女の質問タイムが始まる。

 「で?話って何。お金なら貸すほど余裕はないけど。」

「いや、そういうのではないんだけどさ。あのいきなりですけど前世って信じますか?」

「前世?……昔占いで私の前世はネコだったってのなら聞いたことあるけど。そういうこと?」

「そうじゃなくて、何ていえばいいだろう。……イメージかな?」

語り始めるとあっという間だった。僕が持つイメージを出来る限り詳しく彼女に伝えていく。今までこんな馬鹿げた話を他の人にしたことがなかった分流れるように話し続けた。彼女は僕の話を最初から最後まで真剣な表情で聞き続けてくれた。僕が話し終えると彼女はふ―んと、言ってから少し考えて感想をいう。

「前世の記憶ね。面白いねそういうの。実は私さ心理学勉強してるんだよね。だからそういうことすごく興味があるんだ。ってそういえば私あなたの名前聞いてなかった。」

 僕は自分の名と一応学部を伝えた。その時一瞬だけ彼女の表情が変化した。しかしそれはあまりに些細でその意味を理解することはできなかった。彼女はすぐに表情を戻したが作ったようでぎこちない。

 「あ、あのどうかした?」

「………大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから。ねえお願いがあるんだけどいいかな。」

「お願い?」

「今度花火大会があるんだけど一緒に行ってくれないかな。毎年行こうと思ってたんだけど行けなくてね。」

「花火大会?ああ、あれですね。来週あるやつ。」

「そうそれ。じゃあ花火大会が始まる7時頃に○○海岸の近くの駅で。」

「いいけど、僕でいいの?」

「………大丈夫。じゃあまた今度。私きょうバイトがあるから。」

そう言い残して彼女は足早に去って行った。突然取り付けられた約束に戸惑いながらも、その約束が嬉しく彼女の表情の変化なんてどこかに吹き飛んでしまっていた。

 


 そしてあっという間にその日はやってきた。




 彼女が選んだのは地元の人しか知らないような穴場スポットだった。駅の近くにある海水浴場から見ればちょうど花火が真正面に来て綺麗に見えるということで評判なのだ。僕は待ち合わせの時間より30分早く着いてしまったがそれでもすでに浴衣姿の人たちが海水浴場に向かって歩き出しているのを見送った。ちらちらと何度も時計を見る。せわしなく動いているその様は周りから見ればさぞ面白かっただろう。いくら大学生といっても緊張するものは緊張するものなのだ。

 秒針はくるくると回り、長針は着実に文字盤の頂点へと近づいていく。だがいくらたっても彼女はやってこない。電車から降りてくる人も時間が近づくにつれて多くなるが一向に彼女の姿は見えない。おかしいと思った時にはすでに時刻は約束の時間に達していた。それでも僕は彼女を待ち続けた。時計の針はくるくると回る。規則正しい感覚で電車はやってくるがそこに彼女の姿はやはり見つからなかった。

 時計の針が1周した時だ。


ひゅ――――――――――――――――――           ば―――ん。



 音を立てて花火が上がる。打ち上げ場所が近いせいか体の芯にまで響く大きな音が鳴り、一瞬あたりが明るくなってまた暗くなる。

『ゴメン』

『ゴメンって急に何さ。どうかしたのか?』

『……は悪くないから。ただ……』

『ただなんだよ。』

『ゴメン』



 声が聞こえた。あんなにうるさかった花火の音がフェードアウトし二人の会話だけが僕の耳に入ってくる。あたりには誰もいない。いや、いた。


 『ゴメン』

そういって『彼女』は走り出した。『僕』はそれを追いかけて走り出した。そして僕もそれを追いかけて走り出す。誰もいないはずなのにはっきりと二人の姿が映し出される。b区は彼女の背中を見ながら走り続ける。彼女の目に伝う涙も今の僕には見ることが出来る。花火であたりは明るくなったり暗くなったりを繰り返す。僕は海岸沿いのまっすぐな道を走り続ける。運動部だった彼女の足は速く僕は付いていくことがやっとだった。しばらく走って行って小さな交差点に差し掛かる。彼女はそのまま交差点へと突っ込んでいく。向こうから花火と違うもう一つの光源がやってくる。『僕』は最後の力を振り絞って彼女を突き飛ばした。

 まるで人形のように軽々と『僕』の身体は飛ばされ地面にたたきつけられた。頭を強く打ったらしく赤い血が広がっていく。そのもとに『彼女』が駆け寄った。




ば――――――ん。




 花火の音で僕は現実の世界に引き戻された。僕が立つのは例の交差点だ。ここで僕はようやくすべてを取り戻した。僕が持っていたのは前世の記憶ではなく僕自身の記憶。

 「いかなくちゃ。」

僕はそうつぶやくと全力で走りだす。あの時から何年か経ち足はいくらか早くなっていた。体力もあの時よりかはいくらか増えているはずだ。今日彼女はとてつもない決断をして僕をここへ呼んだのだ。自分のせいでこうなってしまったことをきっと悔やんでいたはずだ。それでも彼女は僕をここへ呼んだ。僕は彼女に助けられた。今度は僕の番だ。


 ば――――――――ん


 花火を背に僕は走りした。


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