ゴミはゴミ箱か、持ち帰るようにしましょう。
しばらくの間、おだやかな沈黙が続く。
名古は空を見ながら空想に耽り、時折思いだしたかのようにポッキーを食べる。
それが名古の日常だった。
名古はいつも屋上にいる。僕らが一年生の頃からずっとそうだ。気まぐれな猫のように教室に来ることはあるけれど、基本的には屋上にいる。雨の日は学校を休んでいることが多い。
僕はそんな名古を毎日のように説得している。別に彼女が特別気になるというわけでもない。昔からの付き合いがあるせいで、僕の両親も名古の両親も、さらにはクラスメイトや先生までも僕に名古を託すのだ。
だから、別に、これは、この日常は、僕の意思ではない。名古を説得して屋上から退散させる。この日常を終わらせる。それだけだ。僕の意思が入りこむ隙間なんかどこにもないはずなんだ。
そうだ、今日こそは終止符を打たねばならない。彼女を屋上から引き離し、普通に戻すべきなんだ。いつまでもこんなところで笑いあっていてはいけない。だってそれは規則で禁止された普通ではないことだから。
深呼吸を一つ、腿を軽く叩く。気合いは充分だ。覚悟もできた。そう、これは僕の意思なんだ。矛盾なんかしていない。
「な、名古!」
「そうだ!」
僕と名古の声が重なる。そのことに戸惑う間に、名古が先に言う。
「もう夕陽が沈んじゃうし、帰ろうか」
「え……あ、うん……そうだね」
僕の気合いは砂糖のようだった。自由に笑う水の前では、儚く溶けてしまい流されるだけ。
そして、そんな水を閉じ込めるペットボトルはさしずめ『世界』なのだろう。
「五月うさぎが来ないかなー」
名古が立ちあがり、両手を上にあげて伸びをした。それからまたよく分からないうさぎの歌を歌う。
「ごっがつうさぎー……。夕焼け空の一番星。あまねく世界のかけ橋にぃー!」
どうやら続きがあったようだ。おそらく今考えたものだろう。東の空ではすでに一番星が輝いている。
「私を連れてけ、遥か彼方のそのかなたー!」
スキップするようにゴミをまとめ鞄にしまう。それから彼女は踊る。少し冷めた春風に身を委ね、ステップを踏む。
彼女の歌。風に舞う長い髪。ふわりと舞うスカート。僕を踏んだ上履き。桜の花びら。
僕は風呂敷をたたみながらその様子を眺めていた。夕日が沈むと風が強くなり、たたむのにも一苦労だ。目を逸らしていたら飛んでいってしまいそうだった。
手間取る僕を見て名古が笑う。いつもの笑顔で、僕の名を呼んで、
「――――……――」
ささやくように何かを言った。強い風が耳元でうなるせいでよく聞こえない。
僕が聞き返すと、首を振ってちょっと拗ねた顔をした。また機嫌を損ねたようだ。
その時、一際大きな風が名古を包む。風は名古の拗ねた顔を吹き飛ばし、笑顔に変えてくれた。
「すごい風! すごいすごーい!」
名古が両手を広げて喜ぶ。本当に綺麗だ。
「この風だったら飛べそうだよ!」
名古は笑ったまま、ごく自然に床から足が離れる。そのまま宙へと舞い落ちた。
「え?」――そう言ったのはどっちだっただろう。
ここは屋上で、下は校庭。名古の姿は一瞬で消えた。
動けない。
ほとんど沈んだ夕陽が目に眩しかったのを覚えている。
朱が赤に混じって紅に染まり、まるで血の色、うさぎの目。




