迷いなき道
縁側に虫の音が聞こえる。 夜気が青く澄んで、十六夜の月がかがやいている。宿無しの頼邑に和尚は、快く泊まることをすすめてくれた。ちょうど、弟子たちの使っている部屋の斜向かいの部屋 が空いていたので、そこへ頼邑に好きに使っていいと言ってくれたのだ。
頼邑は、夕餉のときに、和尚が話したことが頭からはなれないでいた。瞼を閉じれば、故郷が脳裏に浮かぶ。もうわずかな食糧さえ残っておらず、餓えに苦しむばかりではなく、挙げ句、里の宝とされてきた子供まで手にかけようとした。
里の皆の痛みがよみがえった同時に、和尚の言葉がまるで交差するかのようによぎった。 頼邑の背後に真夜中の寝室にゆるやかに揺れる庭木の影が落ちている。まるで、気持ちがそこに写り出されているかのようだ。
月は、頼邑の心情を試しているかのように雲に隠れてはまた、光を照らし、隠れてい った。
薄らと夜が明け始めた紺色の空に細かい枝葉が影を落としている。秋らしい清やかな風が吹いている。庭にある柔らかい緑が青白く浮かんでいた。
チュン、チュンと鳥の鳴き声が聞こえる。二羽の鳥が庭先で餌をついばんでいる。
和尚は、頼邑が寝ている部屋に足を進めた。その足は、腰高障子の向こうでとまり 、和尚は障子に手をかけた。しかし一瞬、時がとまったかのように手が動かない。遠 方から聞こえてくる鳥の鳴き声が耳元で聞こえる錯覚がした。
がらり、と障子を開け和尚が見たのは、すでに畳まれていた布団とその上に紅葉が置かれていた。
「行ってしまわれたか」
呟くような声であったが、その声は空へと向かって消えていった。