消えぬ記憶の闇
少女は、
『死んでくれてありがたい』
という言葉を思い出していた。
記憶の闇の中にその言葉がはっきりと聞こえてくる。騒然とした蠢くような黒い人影が、その声の主なのだろうか。それは分からない。
少女の脳裏に稲妻のようなひかりが疾り、ふいに記憶の闇が晴れた。
いつの間にか遠ざかっていた月明かりが膝先まで伸びている。ここにいてから、だいぶときが過ぎたらしい。
夜は深々と更けていき、闇と静寂が少女の身をおしつつんでいる。ふと、少女は看病をした男を思い浮かんだ。
…………まだ、あの人間は起きれないのか。
と、つい口に洩らした。
「いや、もう大丈夫だ」
突然、横から声がしたので少女は、ギョッとしたように身をかたくして振り返ったが、頼邑であることに気付くと、ほっとしたように、もう平気なのか、と訊いた。
「そなたのおかげだ。ありがとう」
そう言った頼邑の顔は生気を取り戻していた。
「そうか」
そう言って少女は笑みをした。
頼邑は初めて少女の優しい笑みを見たのである。
「そなたが覡なのか」
頼邑の心にずっと気になっていたので、そのことを確かめようと言った。
一瞬にして少女の表情が一変した。
「その名を呼ぶな。汚らわしき人間につけた名などいらぬ」
と、強い口調で言った。
わすがばかり、憎悪がまじっている。
「では、そなたの名は」
頼邑は、そう質すと、少女の顔が困惑したようにゆがんた。
「私に名はない」
と、答えた。
「…………!」
頼邑は我が耳を疑った。
自分の名がないという。嘘を言っているとは思えなかった。頼邑は、皆から何と呼ばれているか訊いた。
「ない」
少女の声に苛立ったひびきがくわわった。
頼邑の執拗な問いに辟易したようだ。これ以上、訊くことは、あまり良くないと思い、別の話をした。
というのも、少女の方から頼邑の生まれや、旅の訳などを聞いてきたからだ。
旅の訳には関心はもたず、アオには興味があるらしく、その話をしているとき、いつの間に少女の顔は穏やかになっていた。




