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「そうですぞ。ここから我らが力を合わせればよいのです」

男たちはそう言うと、よくやく長老は顔を上げた。

「少し、奴らをみくびっていたようだな」

そう言って、長老はけわしい顔で虚空を見つめた。

刺すようなひかりが宿っていた。 見る者を諫せるような凄みがある。これが月霧の里を代々と守り生きてきた長老のもうひとつの顔であった。




全身が火のように熱かった。まるで太鼓でも叩いているように体中で叫び声を上げている。その痛みに頼邑は意識を取り戻した。

どのくらい時がたったのか分からない。頼邑は必死に身を起こそうとしたが、体が鉛のように重く、起き上がることができない。

熊にやられた傷口を手で確認すると肉が深くえぐりとられていることにようやく気付いた。出血が激しく、着物が赤く染まっている。




稲穂の金の色をした髪が風を運ぶ。

「風の匂いが変わった」

森の木々を軽々と飛び越える貫頭衣を身にまとう少女の姿がある。少女は、森の中に消えた。


太陽が木々の葉の間からまぶしく降り注ぐ。そのひかりは、頼邑の顔を照らす。

そっと瞼を開けると、うっすらとその景色が見えた。頼邑は、ぼんやりとした意識のなかで蠢くような黒い影が見えた。その影は囲むように様子を見ている。それは熊であった。

木々の枝葉が大きく揺れる音に熊は視線を上げた。その熊は頼邑を襲ったものより小さかった。

そこに九本の尾をもった大きな狐が現れる。青白い毛をし、神秘的であった。

「玉藻か」

熊が、九尾の玉藻に近づいた。

狐は、熊に気をとめることなく、悠然と進んでいく。迎え入れるかのように熊たちは道を開けた。その後ろには侍従のようにピタリと寄り添う二匹の九尾が勇状にそびえている。

「愚かな人間め。この地を去れば助かったものを」

と、玉藻は低い声で言った。

「食い殺すか」

つづけて、二匹の九尾が言うと、よこせ人間よこせ、と言い始める。

頼邑は、熊の言葉を遠くから聞こえている感じがした。

そのとき、熊たちがハッとしたように頼邑から視線を外すと一歩下がっていく。

ヒタヒタと足音が横たわる頼邑の前でとまった。頼邑は首をまわすと、そこに立っていたのは少女だった。

歳の頃は、十五・六のように見える。整った綺麗な顔立ちをしていた。だが、少女の髪と眼は金である。

…………こんな山中に美しい女。だが、黄金色の髪と瞳。

その瞳は、獣のような形をしていたが、息をのむほど美しかった。

「おまえ、なぜこの地に来た。行き倒れなら余所で死ね」

刺すような声で言った。

ウッ、喉のつまったような呻き声を洩らして頼邑は声を出そうとしたが、焼けるような痛みで話すことはできない。必死に何かを言おうとしている頼邑を見て、

「人間にやられたな。つまらぬ同士の種をここへもってくるとは」

そう言って、玉藻の方に顔をむけた。

「おまえたち、この人間は嫌なものを持ってきた」

と、強い口調で言った。

「この人間は嫌な匂いがする。殺すか追い出すか早くした方がいい……」

玉藻の言葉に少女が無言でうなずいた。

「みな、もうお行き。この人間はどの道助からない。土に帰るだけだ」

そう言って、横たわっている頼邑を一瞥すると、少女は、熊を連れて森の奥に去っていった。

ただ、ひとり残された頼邑は里の者から聞いた覡のことを思い出していた。頭の中でさっきの少女と覡が重なる。

…………あの少女が覡ではないか。

と、頼邑は思った。

その少女の存在が、闇の中の清澄な月明かりのように頼邑の胸に淡いひかりを投げかけていた。

…………もう一度、会わねば 。

頼邑は、何度も胸のうちでつぶやいた。




切り立った崖にずらりと並ぶように立っている人間を見て、

「なぜ、人間ここに……」

玉藻の顔に怪訝そうな表情がよぎったが無言だった。

少女は、玉藻の青白い毛を優しく撫で、ひらりとまたがる。

化け狐だ!という声に全員が森に目をやったときに、上空に飛翔する青白い狐が人間の目に映った。

…………覡だ!

射手たちは、筒先から火薬を入れ、素早く入れ、一斉に引き金をひいた。

森の静寂を破る発砲音がひびきわたる。だが、どの弾も少女に当たることはない。まるで、弾丸に意思があるかのように少女の周りをすり抜けていく。

「失せろ」

崖にクナイを投げつけると霊力で崖が無惨に崩壊していく。足場を失った人間は叫び声をあげながら、吸い込まれるように転落していく。

「下は川だ。死にはしない」

落ちていく人間の姿を見て少女はつぶやいた。

…………あの人間ども何かをしていた。

少女の胸に強い不安が衝き上げてきた。

「あの若僧なら、何か知っているかもしれないな」

玉藻は、少女の不安な思いを読み取ったかのように言った。

少女は上空を見ると厚い雲におおわれ、森は闇に包まれていた。何か怒りそうな重苦しい静けさである。




「おい、死んだのか」

その声に、目をつむっていた頼邑はゆっくりと目をひらいた。

見るとさっきの少女がこちらを覗き込むように見ている。少女は、人間が森で何かしていたことをかいつまんで話した。話を聞いて、おそらく殺生石が関わっていることに頼邑は直感した。

だが、そのことを伝えたくても声の出ない口は、頼邑の心を蝕む。喉が裂けるような痛みで体力も限界であった。

…………みなに汚れを近づけたくはないが。

この人間をこのまま見捨てるつもりだったが、使いようによってな役に立つかもしれないと思った。

何か言おうとして口をひらいたが、喉のつまったような呻き声が洩れただけで何を言っているのか聞き取れない。

「口が聞けるようになったら全てを話せ。それまでおまえを治す」

少女が語気を強くてして言うと、頼邑はかすかに口を動かした。




「その人間、どうする気だ」

玉藻が目をひからせて訊いた。

少女が別の九尾に頼邑を運んできたのを食い入るように見ていた。

「食うのか」

玉藻は冗談まじりに言った。

少女は何も答えない。採ってきた薬草を霊水に混ぜた。

「人間を助けるのか?」

玉藻は、驚いたような目で剥いた。

少女は、人間をひどく毛嫌いし、憎んでいる上に森中の者が人間を受け入れることなど許さないはずだ。そうなれば、少女の立場だけでなく狐の神としても悪くなる。

「やめろ、さっさと捨ててこい」

「助ける。でも生かすとは言っていない」

そう言って少女は、玉藻の方に目をやった。

「どういうことだ?」

玉藻は怪訝な顔をした。

「用が済んだら生かしはしない」

頼邑を横にさせると、裂けた着物を持ち上げ、腹部を覗いた。臓腑が覗いていた。

深い傷である。

…………よく、この傷でまだ生きているとは。

少女の胸に驚きの念が湧いた。

まず、傷口を霊水で洗い、すりつぶした薬草を傷の中まで押し込む。

頼邑が顔を一瞬、ゆがめた。

そして、少女は傷口に手をかざすと、ゆっくりと何かを吸い込んでいくと、傷口が消えていく。最後に頼邑の頭を少し持ち上げ、さっき作った薬草水をゆっくりと口に飲ませた。ピリピリとする痛みが喉を通っていく。

頼邑はうす目をあけて、少女に目をやると、また目を閉じ、安心したような安らかな寝息がもれた。

「らしくないことを」

「この人間を見ていて」

この人間には、何か特別な事情がある。その事情を知ってから判断した方がいい、と少女は言った。

「まさか人間の子守りをするとは」

と、玉藻が不満そうにうなずく。

少女は、玉藻をなだめるように頭をなでた。

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