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Bookworm  作者: 十月十日
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000 総記

 ふ、とその男は目を開けた。寝そべっていた革張りの長椅子から体を起こし、整然と立ち並ぶ無数の本棚を眺める。じっくりと視線を走らせるその表情は、どこか空虚なほどに落ち着いている。

 ひとしきり周囲を観察し終えて、それから男は何とも不可思議そうな表情で手元に目を落とした。戸惑うように指を伸ばし、束の間の躊躇をおいて慎重に持ち上げる。

 艶のある深紅の布で装丁が施された、ずっしりと重い書物である。固い表紙をそっと開くと、流麗な文字が鮮やかに躍っていた。


"私の愛する本の虫へ"


 うっすらと黄ばんだ紙を捲るが、そこにはもう文字は書かれていなかった。滑らかな質感の頁をどれだけ繰っても、全て白紙のまま沈黙している。

 一番初めの頁に戻りかけて、男はふと頁の端に目を留めた。"194"と印字されたそこを、ゆっくりと指の腹でなぞる。

 しばらく薄い紙を玩んでいた男は、思い付いたように視線を脇へずらした。

 長椅子の横にある丸いテーブルの上、一本の万年筆がひっそりと置かれている。男は精緻な細工がなされたそれを手に取り、柄に刻まれた優美な花の模様を見つめた。鋭い筆先をほんの僅かに紙面に押し当ててみると、漆黒の染みがじわりと浮かぶ。

 光を反射して黒々と煌くそれをじっと見下ろして、男は小さく息を吐いた。


"此処は何処であるのか、私が誰であるのか、私は何も知らない"


 整った筆跡が、空白を埋めるように紙面を走る。微かなさらさらという音だけが、ひっそりとした空間を満たしていく。


"私にわかることは、どうやら記憶を無くしたらしいということだけだ。此処の本を読めば、私が誰かわかるのだろうか"


 そう綴って、男はふいに動きを止めた。思いつくままに書いた文章を改めて見直すと、頭の中が冴えていく。

「――そうか」

 囁くような低い声が空気を震わせる。それが自分の発したものだと、男はまだ気づかない。


"私は本が読みたい"


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