婚約者はクリックと共に。
「婚約が成立しました! ただちに結納金を振り込んでください」
突如としてパソコンの画面に現れたその文字を、女は呆然として見つめていた。
女は、中古マンションでの一人暮らし。短大を卒業してすぐに入社した中小企業での勤続年数は早十余年。同期の女子社員たちは皆寿退社し、今では立派なお局様となっていた。合コンの誘いも途絶えて久しく、面食いが災いして、見合いも尽く失敗した。趣味と言えば、ジャンクフードをつまみながらだらだらとインターネットを眺めることくらいである。
今日も出来心で覗いていた大人向けサイトで、かわいいイラストが描かれたバナー広告に釣られてクリックした結果が、そのメッセージであった。
昨今、世間を騒がせている、いわゆる『ワンクリック婚約』
無料結婚相談サービスなどの誘い文句や形だけの年齢認証のリンクをクリックしていくと、突然に現れる「登録完了」のメッセージ。その画面には、プロバイダ情報やIPアドレス、使っているインターネットブラウザーなどの、いわゆる「個人情報」が列記されている。そして
「入金確認ができない場合は、プロバイダー情報をもとにお客様を特定し、ご自宅や勤務先に結納金の回収に伺います」
などという、脅しまがいの文句。請求画面は自動起動プログラムとしてパソコンのオペレーティングシステムに勝手に組み込まれてしまっており、消しても消しても再び現れ、料金の振り込みを求めてくる。
このようなワンクリック婚約に対する対処法は一つ。徹底的な「無視」である。請求画面はシステムの復元機能で消せることが多く、IPアドレスやプロバイダで個人を特定することは事実上不可能なので、気にする必要は無い。間違っても――
女は、携帯電話を手にすると、あたふたと、画面に書かれた番号に電話を掛けた。
「あ、あの……そのつもりは無かったんですが、婚約しちゃったみたいで……」
『ご連絡ありがとうございます。婚約は既に成立しております。取り消しは効きません』
「あうぅ……」
『お電話番号をナンバーディスプレイで確認しました。手続き上必要なので、お名前とご住所をお願いします』
「は、はい。――と申します。住所は……」
――間違っても、相手先に連絡して、住所氏名などの個人情報をこちらから明かすようなことはしてはいけない……。
*
「ちょろいもんだわ」
某所にある詐欺グループの事務所。男は、パソコンのネットバンキングで自らの口座に振り込まれた金額を確認し、ほくそ笑んだ。
一週間ほど前、男が仕掛けたワンクリック婚約に見事に引っかかり、電話してきた女。こちらが問うままに、ほいほいと住所氏名年齢まで答えてきた。その年齢は、男より二回りほど上。
本来、結納金は新郎側から新婦側に贈られるものである。ワンクリックのメッセージは、男向けのものだ。それに気付きもせず、金を振り込んできた女は、よほどの世間知らずだと見える。
その後にも、男は記念品代、準備金などと適当な口実をつけては金の要求を繰り返した。女に振り込ませた総額は既に百万円を超えている。女は電話をするたびに婚約解消をしてくれと泣きついてきたが、男の方には、搾れるだけ搾り取るまでは、解消する気などさらさら無かった。婚約解消の要求があまりにしつこいときには、慰謝料として一千万円ほどふっかける。そうすると、女は諦めて要求に従うのだった。
今日は、予め買わせておいた婚約指輪を受け取りに行く日である。女の給料三ヶ月分を、こちらの息のかかった宝石屋で買わせた。受け取った指輪は、後にその宝石屋に売りつけて再利用する。まさに錬金術だ。もちろん、こちらから女に渡すようなものは何も無い。そのあたりも、小さな、本当に小さな文字で、ワンクリックの画面に書いてあるのだ。
「結納金」で購入したスーツをぱりっと着込み、知らされた女の住所へ向かう。そこは閑静な住宅街の一角、小洒落た中古マンションだった。男はやや色あせた外壁を眺めながら、女の貯金が尽きたら部屋を売らせるのもアリだな、などと悪辣なことを考える。
女の部屋番号の玄関の前に立ち、呼び鈴を鳴らすと、住人が現れた。事前に知らされた個人情報のとおり、一見して四十代、背が低く、地味な容姿の女。流石にスリーサイズまでは知らされていなかったが、見た感じではボン、ボボボン、ボボン、だ。このアレな女が俺の「婚約者」か。思わず吹き出しそうになりながら、自己紹介をする。
「はじめまして。あなたの婚約者です」
「え、ええ……いらっしゃいませ」
へどもどと応対する、ドン臭い女。それを鼻で笑いつつ、案内されるままに部屋に入る。地味な壁紙のリビングに置かれた地味な色のソファに座っていると、女が茶と茶菓子を持って現れ、向いのソファに座った。もじもじとしながら、上目遣いにこちらを見る様子は、年頃の美少女ならさまになるだろうが、目の前の巨体にそれをされてもうざったいだけである。男はさっさと要件を終わらせてこの場を立ち去ることに決めた。
「ええと、あの」
「余計なことはいいから。さっさと婚約指輪ちょうだい」
女は、何かを言いたそうにしていたが、やがて観念したように一旦立ち上がり、サイドボードの引き出しから指輪ケースを取り出して来ると、テーブルに乗せた。男はそれを無造作に引き寄せ、中身を改める。これまで何度か同じ手口で手にしてきたものと同じ指輪だった。左手の薬指につけると、サイズもぴったりである。思わず、皮肉の笑みがこぼれた。今日の要件は、これで終了。
「確かに。んじゃ」
湯呑みに口も付けずに立ち上がった。こんな辛気臭い部屋に長居する気はない。さっさと事務所に戻って、今日の笑い話をグループの仲間に披露しよう。
居間を出ようとしたところで、女にスーツの裾を掴まれ、引き止められた。
「……待って」
「え?」
怪訝に思い振り返った男の目に映ったのは、いやにギラついた目をした女の顔だった。
*
「はじめまして。あなたの婚約者です」
(うっわすげえ若いじゃん!)
女が男を一目見た時の印象はそれだった。
初めて生で聞いたその声も、とても心地よく耳に響いた。お洒落なスーツに身を包み、髪型もビシッと決まっている。ほっそりした体型も自分好みだ。綺麗に掃除しておいた部屋に招き入れ、リビングで待たせる。茶と茶菓子を用意して、リビングのソファで自分も向かい合わせに座ると、女は改めて婚約者の顔を検分した。
(なかなかのイケメンじゃん!)
インターネットで突然婚約が決まってしまったときは大いに焦った。その後、電話で何度かやり取りし、何かの間違いだ、自分と婚約などしてもいいことはない、と主張してきた。しかし、相手はどうしても自分のことを諦められないようで、婚約を解消したければ慰謝料をよこせとまで言ってきた。
これまで貯めこんできた貯蓄で払えない金額ではない。しかし女は、そんな無理を口にしてまで、自分と別れたくないというまだ見ぬ婚約者に対して、徐々に心がほだされていくのを自覚していた。
極度の面食いであった女は、婚約相手が醜男だったらどうしよう、とずっと悩んできた。しかし、今目の前にいる男は、やや悪ぶった雰囲気こそあるが、切れ長の目に鼻筋も通り、そこそこの美形である。十分ではないが、妥協できる範囲だ。
女がそんなことを考えながら顔を見ていると、男は挨拶もなしに、指輪を出すように要求してきた。その性急さにちょっと驚きつつ、言われるままに指輪ケースを差し出す。男はケースから指輪を取り出し、左手の薬指につけた。その一分のためらいもない行動に、女は確信する。
間違いない。
この男が運命の相手だ。
男は、女と二人きりの空気に耐えられなくなったのか、指輪を受け取るなり、急に立ち上がった。
「んじゃ、今日はこれで」
意外にシャイな様子を見せられ、心ときめいた。ここは、年上のこちらからアクションを起こしてやる必要があるようだ。間髪を入れずに自分も立ち上がり、出ていこうとする男の裾をむんずと掴んで、引き止めた。
「えっ?」
戸惑うような顔で見返してきた男に、念のため質問する。
「……あの、婚約って簡単に解消できないんですよね?」
「ああ。またですか。どうしてもと言うなら、慰謝料一千万って言ったでしょ?」
私と別れたくないあまり、そんな無理を言っているのだ。そう考えると、そのちょっと軽薄そうな笑顔も魅力的と思える。多少根性を叩き直してやれば、私の相手にふさわしい男になるだろう。女はスーツの裾を掴んでいた右手を離すと、相手の奥襟に握り替えた。左手は右袖をしっかりと掴む。
「なに? ここでダンスでもしようっての?」
ダンスも悪くないけど、今は別のスポーツだ。そんなことを考えながら、男が笑い混じりに発した台詞に応えるように、ニヤリと凄絶な笑みを返した。そしてゆっくりと男を抱き寄せ
「だりゃあああああ!!!!」
「どわーっ!?」
渾身の跳ね腰。男を先ほどまで座っていたソファーに投げ飛ばす。横向きに、ソファの背に打ち付けられる男。惜しい! やや浅い。技あり。
女はすかさず男にのしかかり、縦四方固めに移行する。
「ちょっ! おい、何しやがる放せ!」
男は暴れようとするが、女子高、短大の柔道部で鍛えた柔道三段の筋肉に加え、連日連夜のポテチとフライドチキンで増強された肉体はビクともしない。
「私たち、婚約、してるんですよね?」
間近で見る美形の歪んだ表情に鼻息を荒くしつつ、女は最後の確認をする。
「も、もちろん。簡単に逃しは……」
「分かりました。末永くよろしくお願いします」
女は更に体重をかけた。ソファのスプリングがギシギシと軋み、悲鳴を上げる。
「ぐぇっ……ちょっ、あんた」
「さっそく明日、両親に会ってくださいね」
「え!?」
「そのとき反対されてもいいように、今から既成事実を作りましょう!」
「えええ!?」
男の高そうなスーツは、既にくしゃくしゃに歪み、片袖が外れてしまっていた。まあ、もう一着くらい買ってやってもいい。何しろこれから家族になるのだ。そう考えると腹の底から熱い欲望がこみ上げてくる。女は我慢ならず、目の前にある男の真っ白な首筋にべろんと舌を這わせた。
「ひぃっ! お、お助けっ……」
「何も取って食おうってわけじゃないわよ。私も初めてなんだから。優しくしてね」
「い、いやだっ! お、俺、実は付き合ってる娘が……」
「そんなの気にしないから大丈夫。私が忘れさせてあげる!」
男の血走った目に、女は相手もこの展開を期待していたことを確信した。嫌よ嫌よも好きのうちとはよく言ったものである。古人の知恵に感心しつつ、男の両腕を片手でやすやすと頭の上に固定し、開いた側の手で男の服をむしり始めた。経験は無いが、長年にわたりインターネットから吸収した知識は十分。それを今からこの婚約者と行うのだと思うと、興奮で胸が熱くなる。舌なめずりを一回。男の顔に、よだれが落ちる。
ベルトを引きちぎり、ズボンを下着ごとずり下ろした。
「いただきまぁーす」
「い、いやだぁぁぁーーーっ!!!」
*
しばらくの間、女のマンションの室内から途切れ途切れの悲鳴が響き、ドタンバタンと激しい物音がしていたが、人気のない廊下にはそれを聞く者はいなかった。
やがてそれも収まると、辺りはいつもどおりの静寂に包まれた。
ワンクリックは無視が原則! さもないと……。
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