そして少女は聖女に変わる
閃光のように眩しく焚かれた複数の照明が、舞台の人影を囲むように照らし出す。
荘厳な大聖堂から一転、地の底に落ちた錯覚に陥った人々が口をつぐんだ。
突然反響する音声に、何人かが小さな悲鳴をあげる。
「カリデアのみなさん、落ち着いてください。私は……地母神マーテルの巫女、ルナリスと申します」
有殻族の魔法を利用した拡声装置が、ダンジョン内にルナリスの言葉を響かせた。
図書館で読んだ『マーテル説話集』を参考に、似た衣装を用意したことで雰囲気を出したつもりだ。
冷静さを欠いているのも手伝い、どよめくもののルナリスの言葉を遮るまでには至らなかった。
「教会では治癒魔法を用いるのに多額の金銭を要求すると聞きました。こんなにも苦しんでいる人達を前にして……。地母神マーテルは嘆き悲しんでおります」
カリデアの人々は、マーテルの名前に聞き馴染みがないだろう。
だからこそ、文脈で判断する。
そもそも大聖堂の地下にダンジョンがあったという事実が、自分達の常識を崩し始めていた。
地母神という名前に、畏怖を覚えてくれれば十分だ。
「で、でたらめだ! 耳を貸してはいけない! 教典に記されるのは聖イグナシア神のみだ。騙されてはいけない!!」
神官の上擦った声が、焦りの色に染まっている。
普段であれば耳を貸して貰えたかもしれない言葉も、不満が爆発した後の異常事態ともなれば。
辛酸を舐めさせられてきたという過去が、油のように表層に浮かぶ。
「う、うるせぇぞ! その神が俺達を救ったことがあるのかよ!?」
「教典には賄賂を取れって書いてあるのか、クソ野郎!!」
「マーテルって昔話に出てこなかったか? 何か聞いたことあるかも……」
自分達を救おうとしない神官よりも、得体のしれないルナリスの言葉を聞いてみたい。
追い詰められた人々の縋るような気持ちが、張り詰めた空気を伝い、広がっていく。
群衆はルナリスの言葉を待っていた。自分達を救う希望を見せてくれと願うように。
「治癒魔法そのものを悪く言うつもりはありません。ただし、素晴らしい知識や力を独占してはいけません。これから希望者にはノルディアに伝わる秘薬や医術を提供します」
ルナリスの音声を合図に、ノルディアの図書館館長や数人の職員が薬を用意してみせた。
人混みに紛れて、そっと耳打ちをされる。
「これで良いのでしょう? あの時の貸しは返したわよ」
「ああ、助かったよ。セレナ」
突然現れた薬師達に、カリデアの人々も動揺と警戒が伝播していた。
無理もない。こんな状況でなければ怪しさで相手にしてもらえないだろうな。
だが、これもキッカケがあれば──。
「この際、誰でもいい! 頼む、痛みを和らげる薬はないか!? 右腕の傷が疼くんだ」
「火傷に効く薬もあるのー? これなら治癒魔法なんていらないじゃないー」
ギルフォードとカタリナが、人混みを掻き分けるように館長達の元へ駆け寄る。
それでも、警戒をする人達がまだ多かった。
だけど、子供を抱えた母親の声が、その沈黙を破る。
「こ、この子を診てもらえますか!? 銀貨一枚しか無いんですが……。ずっと熱が引かないし、満足いく食事も取らせて上がれなくて……」
「大丈夫ですよ、お金はいただきません。お母さんも頑張りましたね。お子さんはきっと良くなりますから、一緒にこちらで休みましょう」
溢れる母親の涙と感謝。
俺達の仕込みにはない苦悩と安心が、この場に信用を一滴加えてくれた。
その一滴が、ゆっくりとカリデアの人々の足を動かしていく。
「みなさん、慌てなくて大丈夫ですよ。怪我や病気の症状に応じて対応します。お金は必要ありません」
ルナリスの声が拡声装置を通して、ダンジョン内を柔らかく包んだ。
ステージの上で光を浴びるその姿は、まるで救世主のように見えた。
貧困と苦痛から救い出してくれる聖女。
手を合わせ、啜り泣く声があちこちから聞こえ始めた。
「み、巫女様! カリデアに有尾族が攻めて来ているんです! 助けてください!」
膝をつき祈る女性が、ステージに向かって助けを乞う。
神秘的な力で敵を倒せると思っているのか、奇跡を待ち望んでいるのか。
しかし、ルナリスの声はそれすらも受け入れるように微笑んでみせる。
「大丈夫ですよ。彼らは敵ではありません。人間と魔族は分かり合えるのです。種族ではなく行為によって助け合いましょう」
聖なる力で勝利をもたらしてくれることを期待していたのか、和解の言葉にザラついた声も聞こえてきた。
その時、ローブに身を隠したソルドに背後から声をかけられる。
微かに、香ばしい匂いがダンジョン内に漂い始めた。
「ネモ、頼まれていた食糧を運んできたぞ。ただ、有尾族の傷はまだ癒えていない……。悪いが別室で待機させてもらう」
「はい、無理を通してくださってありがとうございます。俺もそろそろ準備をするので、引き続きお願いします」
再び人混みに溶けていくソルドの背中を見送り、俺も自分の出番の為に物陰に隠れる。
治療の為に金銭の工面を強いられていた怪我人や病人は、絶えず飢えに悩まされていた。
グラディアから来たのが兵士ではなく食糧だったことがわかると、カリデアの人々の不安は熱狂に変わっていく。
「マーテル様! ルナリス様! ありがとうございます!!」
「こんなお恵みを……。教会のやつらは奪うだけで何もしてくれなかったのに……」
懐疑的な人もいるはずだが、差し伸べられた救いの手を払い除ける人はいなかった。
それだけ余裕が無くなっているんだ。
俺には冒険者を辞める機会があったが、漠然と続けることが出来た人や、市民としてカリデアで生活をしている人は搾取されることが当然になってしまう。
「き、貴様ら、相手は魔族だぞ! 神の御前である大聖堂で何をしているんだ!!」
震える声で神官が叫ぶが、誰の耳にも届いていなかった。
不慣れな手つきで剣を握るも、鈍く光る刃の重みに息が乱れる。
誰よりも篤い信仰心が、治癒魔法という加護をもたらすからこそ。
神官達に剣を振る時間なんてなかったのだから。
「おい、大丈夫か。ひどい汗じゃないか。ここは俺が代わるから、お前は司祭に報告をしてくれ」
包帯を外し用意しておいた神官のローブに着替え、気が動転している神官に耳打ちをした。
眩い光がステージに集まる中、ダンジョン内は隣人の顔も目を凝らさないと判別できない。
もっとも、いつ自分に復讐の矛先が向くかと恐怖してしまうと、人の顔など見る余裕は無くなるかもしれないが。
「司祭……? いや、司祭も聖騎士団は魔王城に遠征に出てしまっている。……いや、確か″薬箱″だけは大聖堂に……」
その言葉を聞いて、心臓が跳ね上がる。
まるで、この時の為の因縁じゃないか。
「……彼ならこの騒ぎを収められるはずだ。その脇道の影に地上への階段があったぞ。この剣は俺が預かっておくから。早く!!」
話している内に冷静さを取り戻されないよう、大声をあげ萎縮させる。
思考を停止した神官は、逃げるように脇道へ駆けていった。
そして、俺は舞台へ上がる。
神官のローブを身に纏い、教会の剣を右手に握り締めて。
俺の姿を見て、誰かが悲鳴をあげた。
拡声装置が接続を切られ、照明が印象的に明滅し。
俺は聖女に向かって刃を振った。
不思議とその瞬間は誰も音を立てず。
ステージ上で倒れる鈍い音が、不気味と耳にこびりついた。




