この星に欠けるもの
薄暗い魔王城の廊下を一人歩いていると、扉が開く音が響く。
カタリナが変わらず全身を包帯で巻かれた姿で、小さく手を振っていた。
「久しぶり……と思ったけど、貴方はノルディアで霊樹に会っているのよね」
俺の左目を覗くその顔に、相変わらず一切の表情を見ることはできないが、薄く微笑んでくれている気がした。
だからこそ、目を逸らしてしまう。
きっと、酷い顔をしていたから──。
◇
『お前の魂の価値を示して見せろ』
魔王の言葉は俺の魂に爪を立てるかのように、心の奥に食い込んできた。
覚悟をしていたとはいえ、いざ魔王を目の前にすると喉に言葉が引っ掛かる。
「俺は……人間も魔族も関係なく、全員が手を取り合って暮らせるような世界を作るつもりだ」
「ほぅ。私の代わりに魔王になると宣言したのを忘れたのか?」
口角を上げてグラスにワインを注ぐ姿は、祝いの席のように上機嫌だった。
しかし、その言葉の一つ一つは鋭く俺を突き立てる。
気を抜くと、風船のように割れてしまいそうな、危うさを感じながら慎重に答えていた。
「……母なる石を知ってるよな?」
「マーテルのことだろう? 懐かしい呼び名だ。私が魔王になる際に親しくさせてもらった」
やはりノルディアで読んだ『マーテル説話集』のマーテルとは母なら石のことだったのか……。
有殻族の洞穴で、母なる石とダルマの話を聞いた時、ノスフェリウスが魔王になったという時代を共にしているようだった。
彼らがどれほど親密だったのかまではわからないが、マーテルが俺にだけ話しているとも考えにくい。
「彼女はこの星をダンジョンだと言っていた。スケールが大きすぎるが、膨大な魔力があれば不可能ではないんだろうな」
ララは魔力を吸収していく内に、ダンジョン生成の規模や出来ることを増やしていった。
母なる石なんて呼ばれる何千年も昔から存在する魔石生命体にとっては、時間さえあれば難しいことじゃないのかもしれない。
「この星がダンジョンなんだとしたら……、ボスが必要になるはずなんだ」
心臓の鼓動が激しくなるにつれて、口が渇きワインを流し込む。
魔王の眼差しは、期待をするように輝いていた。
お互いに掲げたワイングラスを、割れないようにそっと近づける。
「ノスフェリウス。俺は人間も、魔族も、神も魔王もまとめて。この星のボスになってやる!」
◇
「勇ましいことを言っていたのに、随分と顔色が悪いじゃない。あれは虚言だったのかしら?」
「まさか……。でも、頭の中にあることと言葉にすることの違いを感じています……」
その場の勢いが、無かったとは言わない。
しかし、いつからかずっと心の奥底にあった願いなんだ。
人間も魔族も、みんな手を取り合って生きていけたら。
それをまとめる存在がいてくれたら、と。
「カタリナさんに……霊樹に魔力を授かったことで、自分にも出来るかもしれないって思えるようになりました」
自分の力じゃないのでズルいですが、と自嘲してしまう。
カタリナはそっと俺の左頬に触れると、目の奥でドロリと魔力が溶けた気がした。
「有花族は魔力を蓄える性質のせいで、昔から命を狙われてきたの。でも、ネモみたいな人に魔力を授けられたなら、こうして姿を隠してきたかいがあったわね」
身体の中を滴る魔力に暖かさを感じる。
カタリナからの信頼が、血と混ざり力となっていく。
左目の視界が、うっすらと涙でぼやけてきた。
「まだ泣くのは早いんじゃない? あの有鱗族の彼のこともあるし……、何も策がないなんて言わないでよ?」
揶揄うような彼女の声が、くすぐるように揺れている。
胸がむず痒くなり、自然と笑みが溢れた。
左目は、しっかりとカタリナの笑顔を捉えている。
「ネモッ! ここにいたのか、頼まれていた通り連れてきたぞ」
俺とカタリナの姿に気づいたソルドが、廊下の奥から歩み寄ってきた。
転移魔法で送ってもらった時、ソルドにもう一組魔王城に転移してもらえないかお願いをしていたのだ。
続く緊張感が解け、膝から崩れ落ちそうになる今、最も会いたい仲間達を──。
「ネモッ!!」
駆け寄ってきたルナリスを受け止める。
さっきまでぐらついていた身体も自信も、不思議と芯が通った気がした。
かっこ悪い顔を見せずに済んだな、とカタリナの顔を見やると優しく微笑んでくれている。
「ルナリスとソルドから聞いたよ、大変だったみたいだね。まぁ、ネモが大変なのはいたものことだけど」
「おいおい……、魔王城なんてワシみてぇのが来ていいのかよ……。魔王様への手土産なんて用意してねぇぞ……」
「コノシロのオクカラ、キレイなオトがスルケド……、キイテイルとサミシクナル……」
ララとレンゾーとボルネの顔を見て、暖かい血が身体を巡るのがわかる。
信頼している仲間は、冷えていた血にゆっくりと熱を加えてくれるんだ。
「みんな、聞いて欲しいことがある。これが……、俺の最後の作戦だ」
この城でルナリスが甦った時、うっすらと頭の片隅に浮かんだ。
まだ、言葉に出来るほどではなかったが、漠然と絵画のように思い描いたイメージが。
出会ってきた仲間達の力を借りることで、実現できるかもしれない。
そう思うと、不安や恐怖は影に隠れてしまい、自信と期待が世界を照らしているようだった。
「ネモ、左目……だけじゃなくて身体中から魅力の欠片が溢れてるよ!?」
ルナリスが胸元で水を掬うようにすると、手の中に輝く光の粒が舞っている。
遠く見守る精霊にも、俺の声が届いているのかもしれない。
煌めきの一つ一つが勇気をくれる。
小さな星と想いが、俺の背中を押してくれた。




