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信頼の形

 雨雲の切れ間が、惨状を彩っていた。

 血はこんなにも赤かったのかと、心臓が痛む。

 泥にまみれるギルフォードの右腕が、皮肉なほど陽の光に照らされていた。


「……焼きが回ったな、俺も……」


 出血を抑えるように肩口を縛り上げる彼の口元は痛みで歪みながらも。

 苦痛から解放されることへの安堵が浮かんだように見える。

 左目の奥が灼けるように熱くなるが、剣を支えにして踏みとどまった。


「ギ、ギルフォード……。お、俺の……勝ちだ……」


 グラディアからここまで雨に濡れて冷えた身体が、蝕まれていたことに気付く。

 疲れが、痛みが、身の丈を超えた力が反動のように頭で爆ぜた。

 勝利したのは俺なのに、腕を失ったギルフォードの方が晴々とした表情で微笑んでいる。


「弱ぇやつは食われるだけだ。どのみち教会に始末される運命だったんだ。それならお前にやられた方がいい」


 その瞳はギョロリと怪しい光を放ってはいたものの、爽やかさを孕んでいた。

 ルナリスやレンゾー、ボルネやソルドから向けられたものとは性質が違うのだけど。

 ギルフォードから向けられているのは、少し黒ずんだ信頼だった。

 悪人から寄せられた友愛。好敵手として認められた証。


「お、俺は……。ぐっ……目が……。あ、あれ? 痛みが……引いてく……」


 灼けるような熱が引いていく。

 俺を見るギルフォードの視線に冷やされるように。

 信頼が暴れる力を押さえ込んでいることを身体が理解した。


「ネモッ! 大丈夫か!?」


 駆け寄るソルドと目が合った時、俺はどんな顔をしていたんだろう。

 ソルドの表情が心配から驚きに変わった。

 そして、ゆっくりと首を振る。

 いくつもの戦場を越えてきたソルドには珍しくないのかもしれない。

 俺は、心のどこかでギルフォードを生かせないかと葛藤し始めていた。


「……ネモ。お前は有尾族を救った英雄だ。だが、グラディアを立て直す為にも、あいつがお咎めなしという訳にはいかないぞ」


 誰に聞かれるわけでもないが、ソルドは俺に耳打ちをする。

 離れたところからギルフォードにトドメを刺すことを期待されている気がしてしまう。

 心臓の鼓動が、鼓膜を震わせた。

 剣を握る手が揺れるのは、疲れのせいなのかそれとも──。


 ネモッ!


 ルナリスの声が聞こえた気がする。

 振り向くと、こちらを見ているルナリスがふらついていた。

 心配そうに見守る彼女が、そんな大きな声を上げられたのか分からない。

 幻聴なのかもしれない。だとしても、彼女はきっとこう言うんだろう。


『私はネモのことを信じてるよ』


 理屈じゃない。

 倫理観なんて捨ててしまえ。

 俺が、俺自身が最適だと思う答えは──。


「……ソルドさん。ギルフォードの処遇に関しては魔王と相談して決めるってのはどうですか? それじゃあ有尾族の溜飲を下げられませんか?」


 縋るような目をしていたのかもしれない。

 ソルドは、目を逸らし逡巡する。

 大きな溜息をついて、同胞の不安を晴らすように手を高く突き上げ、通る声で吠えた。


「我らの勝利だ! グラディアは守られた!! このネモが、敵を魔王様の下へ連れて行く!!」


 戸惑いが、じわりと歓声に変わっていった。

 それぞれ思うところはあるかもしれないが、集団の声に飲まれ、表向きには収まっていく。

 ソルドは吠えながら、肘で俺を突いて忠告をする。


「お前が有尾族を救ったのは間違いない。一人の戦士として、死闘を交えた相手に情が湧いたことを責めるつもりもない。だがな、俺は今すぐあいつの首を落としてやりたいとも思っているんだ」


 有尾族の心を蔑ろにする覚悟があるのか、と低い声でハッキリと釘を刺す。

 ソルドの意見はもっともだ。

 むしろ、この状況でギルフォードの肩を持とうとするなんて、俺の横っ面を殴り飛ばしたっていいはずなのに。

 眼帯に覆われた一つの瞳が、俺を信じて静かに輝いていた。


「……お前のことだ。何かあるんだろ?」


「……はい。でも、確かめないといけないことがあって……。俺とギルフォードを魔王城へ転移してもらえませんか?」


 ソルドはギルフォードを縛り上げながら溜息を吐く。

 乱暴に膝をつかせ、左腕の自由を奪うと、氷のように冷たい言葉を放った。


「ネモに感謝するんだな。本当なら俺の手でその首を落としてやりたいんだがな」


「へっ、手柄を自分のものにしようってのか。犬っコロはプライドがねぇなぁ」


 圧倒的に不利な立場でありながらも、ギルフォードは相変わらずの振る舞いでソルドの神経を逆撫でにする。

 俺のワガママでソルドの心労をこれ以上増やしたくはないな……。

 二人の諍いを止めようとした時──。


「ネモッ!!」


 ふらついた足取りでルナリスが駆け寄ってきた。

 雨と汗でぐっしょりと濡れた髪が、彼女にも限界が訪れていることを示す。

 心配そうな表情を見ると胸が締め付けられるものの、優しく手を握るだけに留めた。


「俺は大丈夫だから。ルナリスはレンゾー達とグラディアで待っていてほしい」


 握り返すルナリスの手は微かに震えている。

 彼女自身、着いていくことが難しいことを分かっていたのか、名残惜しそうに指先をそっと絡めるだけだった。


「行くぞ、ネモ。悪いが俺はグラディアの後始末がある。お前達二人を魔王城へ送ったらすぐに帰るぞ」


「はい、ありがとうございます!」



 久しぶりに訪れた魔王城は、相変わらず静まり返っていたが、心なしか重苦しい空気は感じなくなっていた。

 ルナリスを助ける為に必死だった前回に比べると、今回はまた違った緊張感を覚える。

 薄ら笑いの消えたギルフォードの緊張が伝染してしまったのかもしれない。


 軋む蝶番に迎えられながら、魔王のいる広間への扉を開く。

 魔族の王が、変わらぬ姿でそこにいた。

 歩幅が小さくなるギルフォードを置いて、魔王の前まで足を進める。


「久しいな、ネモ。何のようだ」


 俺の予想がどれだけ正しいのか分からない。

 既に魔王は動いており、俺の提案なんて聞く必要はないのかもしれない。

 しかし、確かめずにはいられない。


「なぁ、魔王。このままだと教会の神に負けるんじゃないのか?」


 ギルフォードの放つ戸惑いには眉一つ動かさないまま。

 魔王は、その白い牙を剥き出しにして不敵に微笑んだ。

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