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天秤では計れない

 重苦しい雨雲が、どこまでも広がっていた。

 ドルバスの突進を受け止めきれず、泥の中で空を仰ぐ。

 魔力で出来た殻が身体を包んでいなければ、今の一撃が危うく致命傷になっていた。


「てめぇを見せしめにして、二度と逃げようなんて気を起こさねぇようにしてやるよ!」


 ルナリスの魔法で有尾族は茂みまで逃げ延びたみたいだが、みんな心の芯を折られてしまっていた。

 ドルバスの殺気に身体を強張らせ、恐怖が足を竦ませている。

 言葉にならない絶望が、湿度のように重たくのしかかってきた。


「……見た目に似合わず素早いな。それだけ強いのに、何で奴隷商売なんてせこい真似をしてるんだ?」


 踏んばりが効かずに吹き飛ばされてしまったが、油断しなければ勝てるはずだ。

 問題はギルフォードの存在。

 ドルバスと同時に迫られると、さすがに対応が出来ない。


「へぇ、あれを食らってまだ余裕ぶれるのか。おい、ギル。こいつも教会に売れねぇのか?」


 他人を商品としてしか見ない下卑た精神に反吐が出るが、それはあくまで俺の価値観だ。

 商人からすれば、冷酷な目こそ立派な商売道具になるのだろう。

 それを咎めるつもりはない。だから、俺も容赦なく斬ろう。


「ったく、勿体ねぇなぁ。俺からすればドルバスもネモも金を作れる優秀な人材なのによぉ……」


 溜息を吐くギルフォードの口元に、チラリと牙が覗く。

 言葉とは裏腹に楽しげに動く舌先が、俺とドルバスの価値を値踏みするように怪しく動いていた。


「こうしよう。ドルバスが勝てば、ネモと嬢ちゃん、有尾族もまとめて教会に売っちまおう。ネモが勝てば、グラディアの再建に手を貸してやる。相場の倍の値段で人手を集めてやるよ」


 どっちが勝っても俺は構わねぇぜ、とギルフォードは楽しげに手を叩く。

 悪知恵がよく働くなと感心したのは俺だけだったみたいで、ドルバスは再び顔を赤く染めてギルフォードを睨みつけた。

 しかし、いつの間にか剣を抜いていたギルフォードは、その刃をドルバスの喉元に添える。


「なぁ、ドルバス……。ここで俺に逆らう価値ってなんだ? 金にならないことは止めようぜ」


 撫でるように剣を引くと、ドルバスの喉に細い血が垂れた。

 顔の赤みが引き、冷静さを取り戻したようだが。

 殺意のこもる眼光が、より凄みを増して俺を睨んでいた。



 降り止まない雨は、俺の味方をしてくれた。

 巨体の割に素早い身のこなしと言っても、その重さはぬかるんだ泥を捉えきれていない。

 ドルバスの最大の武器は力でも俊敏さでもなく耐久力だったが、何度も斬りつけた刀傷が、徐々に力の差を広げていった。


「……ドルバス、何でお前は冒険者として生きることに満足出来なかったんだ……」


 強くなったからこそわかる。

 人柄は置いておくとして、これだけの実力があれば冒険者として飯を食っていくことは出来るはずだ。

 それこそ、モンスターの討伐など腕っぷしを買ってもらう依頼もある。

 人の尊厳を踏みにじることを悦んでいるなら……、次の一太刀で終わらせよう。


「ハァ……、ハァ……。てめぇに冒険者の何がわかる……。命をかけて依頼をこなしても、傷を治す為に教会へ金を支払い続けるんだ! 聖騎士団に加入できねぇなら、怪我をしねぇで金を稼ぐのが賢い生き方だろうがぁ!!」


 ドルバスの叫びは、みっともない言い訳には聞こえなかった。

 仲間達に見捨てられた冒険者としての最後の日。

 俺自身、金が無くて死の淵に足を踏み入れていた。


 そのまま死を受け入れるか、ドルバスのように自分を優先するか。

 あの日、ルナリスに出会わなかったら、ダンジョンのボスを募集していることを知らなかったら──。


「……だから、有尾族を攫うのか! 綺麗事ばかりじゃ生きていけないかもしれないが、罪のない人に危害を加えていいはずがないだろ!」


「教会に言わせれば魔族は罪深いらしいぜぇ? グラディアを滅ぼしたのも、有尾族を買い取ってくれるのも全部教会だ」


 罪ってのは誰が決めて、罰は誰が与えるんだ?

 ドルバスの渇いた笑い声は、雨音に隠れてしまい俺にしか聞こえない。

 熱を奪っていく気温がドルバスから流れる血を止めず、巨体を支えていた膝が崩れ落ちた。


「随分と切り刻んでくれたなぁ……。この傷を治すのに、いくらかかると思ってんだ……」


 この程度の雨では、ドルバスの血も罪も洗い流すことは出来ないだろう。

 だけど、剣を握るのに胸が痛んだ。

 俺にも自覚のない罪があり、この痛みが罰なのかもしれない。


 グチャリ、と泥を踏む音がした。

 ドルバスが倒れ込み、ようやくギルフォードが近づいていることに気がつく。

 音もなく貫かれた巨体から、残っていた血液が溢れ出す。


「安心しな、ドルバス。てめぇは銅貨一枚たりとも教会に払わなくていいんだ」


 勢い良く飛び散った泥が、頬を汚した。

 それだけドルバスの身体が重く大きかったのがわかる。

 彼に銅貨一枚の価値もなかったのか、俺にはわからなかった。


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