誇りで救えるものと
「全く……、森の賢者とも言われてきた有紋族ともあろう者達が……。何ですか、この騒ぎは?」
セレナの声は図書館によく響いた。
芯の通った意思が、集団を揺らす。
しかし、その堂々とした振る舞いは、意志の強さだけでは説明がつかない。
目が合った俺を見て、セレナが口角を上げた。
「あら、あなたは前もそうやって這いつくばっていたわね。人間はプライドがないのかしら」
ルナリスが俺を庇おうとしたその時、セレナを止めたのは彼女の背中に隠れていた女性だった。
屈強な兵士の群れを割り、騒ぎの渦中に飛び込んだのも相当な覚悟をしたのだろう。
膝は震え、掴んだセレナのローブには指の跡が深く刻まれていた。
「セ、セレナ様っ! おやめください! いくら人間であろうと、命の恩人に対してそのような……。わ、私は恥知らずにはなりたくありません……!」
「わ、わかってるわよ。ちょっとからかっただけじゃない……」
自分よりいくらか年上の女性に敬意を示されているあたり、セレナの身分の高さが窺えた。
兵士達を前にして、胸を張り鐘のような声でみんなに報せる。
視界の端で、ルナリスがローブの裾を力強く握りしめていた。
「剣を下ろしなさい! この人間は、この図書館で働く私達の同胞の恩人よ! 彼は罵声ではなく、賞賛を浴びるべきだわ!」
動揺が波のように伝わる。
助けた女性は目を合わせると一度逸らしてしまったが、意を決したように震えながら俺の手を握り感謝の言葉を口にした。
その光景が、兵士達に灯った火を小さくさせたのを感じる。
しかし、全ての火種を消すまでには至らなかった。
「その人間が図書館を荒らしたのは間違いない!」
「処罰はあっても剣を抜く必要はないんじゃないかしら? 有紋族としての誇りを知性で見せなさい」
「セレナ嬢! 由緒ある名家の御息女であるあなたのような方が、なぜ肌の違う有紋族や人間を庇うのですか!」
「目を瞑って考えてみなさい。文字から学ぶこの図書館で、肌の違いや紋様の有無は関係ないでしょう」
勘違いしないでほしいのだけど、私は彼らのことは好きではないわ、と余計な付け加えをされる。
思わず笑ってしまったが、セレナの言葉に少し胸が軽くなった。
移住してきたルナリスは、歴史ある家に生まれたセレナとは価値観が合わないこともあったんだろうな。
二人の過去を俺は知らない。
だけど、ルナリスの綻んだ口元は。
セレナの強さを誰よりも疑わない微笑みに見えた。
「そ、それでも教会の聖騎士団に危害を加えているんだ! このままじゃ、私達が教会に目をつけられてしまうぞ!」
萎んでいた不安の空気が、火種の勢いを強くしていく。
収まりかけていた敵意は、数は減ったものの過激な少数が大きくしている。
その時、館長室の扉が開き、全員の視線が集められた。
「そ、そこにいるネモさんとルナリスさんは……、教会からこの街を、霊樹を守ってくれました……。この図書館の館長として……、ここで起きたことは不問とさせていただきます……」
咳き込み倒れかけてしまうが、咄嗟に駆け寄ったルナリスにもたれかかり、館長は再び俺達に頭を下げる。
それ以上、騒ぎ立てる人はいなかった。
ようやく立ち上がることが出来た俺は、改めてセレナと助けた女性、館長に御礼の言葉を伝える。
強さとは何なのかを、改めて学ばせてもらえた気がした。
もっとも、騒ぎが落ち着いてからしばらく恩着せがましいことを言っているセレナについては、感謝の色合いが薄くなってしまったが。
「それよりネモ……、身体や左目は大丈夫?」
「だいぶ身体は重いけど、しっかり休めば大丈夫そうだ。左目も問題なく見えてるが……、何か変わってるのか?」
左目を触るが、痛みがあるわけでもない。
鏡を探すが見つからず、調度品として飾られた銀製の燭台を覗き込む。
そこに写った自分の左目を見て、息を飲んだ。
「左目だけ、琥珀色になってる……」
まるで、霊樹の蜜を固めた飴玉のように。
黒い右目と比べると、義眼かと思うほどの煌めきは、どこか危うくもあり美しかった。
「見えているならいいけど……、霊樹の力は身体への負担が大きそうだね……」
左目を見つめるルナリスは、心配そうに眉を下げる。
しかし、口元は何かを言いたげで煮え切らなかった。
きっと、俺が力に飲まれかけていたことを気にしているんだろうな。
確かに、あの力はまだ俺の扱いきれないものなのかもしれない。
だからこそ、俺はルナリスの瞳を真っ直ぐに見つめる。
この力はきっと──。
「大丈夫。ルナリスが俺を信じてくれれば、きっと暴走はしない。俺は俺が使いこなせるようになると信じてるから」
晴れたように微笑むルナリスを見て、俺は自分を信じられるようになってきたことを誇りに思える。
しかし、その余韻は思いがけないもので掻き消されてしまった。
「ネモッ! 大変だ!!」
駆け寄って来たのはララと、少し後ろにレンゾーとボルネの二人。
レンゾーの修理が終わってララが無事に目を覚ましたようだが……。
その様子を見るに、母なる石の意識ではなく、俺たちと一緒に過ごして来たララの人格が現れているようだ。
「ララ、無事だったのか? てっきり、母なる石の意識のままかと思ったよ」
「そんなこと、どっちでもいいよ! それより大変なんだ──」
ララの言葉を聞いて、俺は左目に触れてしまう。
この力は、果たして抑え込む必要があるのだろうか。
血が冷たく沸騰するように、怒りが全身を巡って来た。
「教会がグラディアの街を陥落したって! ソリシアの時みたいに、きっとグラディアの人達は……」
ポケットに入れたままになっているガラス玉に触れる。
有翼族の少年との出会いを、俺は忘れない。
左目の奥が熱く、燃えているようだった。




