知性では剣を振るえない
悲鳴が落ち着いてきた頃、図書館に響いたのは俺への罵声だった。
人質に取られた職員を助けたことなんて、一部の人しか気づかない。
館長室の向こうから現れた男達が、神聖な知性の場で暴力を奮っている。
それは事実で、彼らにとってそれが全てだった。
「何だ、あの男は。人間……、いや有殻族か?」
「有瘤族のような腕力だったぞ! しかし、あの紋様は私達のものに似ているな……」
「人型のモンスターだわっ! 教会の人と揉めていたのを見たの! きっとこの街を襲いにきたのよ!!」
近づいてくるわけではなく、遠巻きに非難をされると弁解しづらい。
誰に何といって誤解を解けばいいんだ。
そもそも、俺が何をしたって言うんだ。
「聞いてくれ、俺は──っ!」
心臓が大きく跳ね上がると、頭の血管が破れたかのような痛みに襲われる。
思わず膝をついてしまうが、その挙動すらも警戒され、甲高い声が耳を突いた。
獣のような唸り声が、喉を鳴らしてしまう。
「み、見ろ! 今にもこっちに襲いかかってきそうだ!」
「拘束系の魔法を使えるやつはいないか!?」
敵意が、流れ込んでくる。
みんなからの不信感が胸を締め付け、黒い感情が流れ込んできた。
(この力があれば……、こんなやつらなんて……!)
奥歯がギリギリと鳴り、鉄の味がする涎が口の端で泡を作る。
抑えきれない……。力に……飲み込まれる……。
「ネモッ!! しっかりして!!」
扉の向こうからルナリスが駆け寄ってきた。
ローブの襟や袖に血がついているが、彼女自身に怪我はなさそうだ。
髪を額に貼り付け、袖を捲りながら俺の身体に纏まる魔力を抑え込んでくれた。
「館長さんは大丈夫。応急処置だけになったけど、命に別状はないはず。それより、この魔力をどうにかしないと……」
ルナリスの手のひらは、不安から冷たくなっている。
ただ、俺の手を握る力には信頼が込められていた。
いつの間にか、周りからの声に心が波立たなくなっていく。
「おい、あれルザークのところの……」
「やっぱり南部からの移民は信用できないな」
「純血の有紋族だけなら、こんなことにはならなかったはず」
聞こえてくるのは疑念と偏見。
だけど、不思議と血の気が引くように黒い感情は洗い流されていく。
筋肉の強張りがとけ、身体を包んでいた琥珀色の魔力は皮膚に馴染んでいった。
「ありがとう、ルナリス。もう……大丈夫そうだ」
「よかった……。魔力が左目に集中していったけど、変わらず見えてる?」
不安そうに覗き込む赤い瞳が潤んでいる。
痛みもないし、ひとまずは大丈夫そうだ。
それよりも今はこの状況をどうにかしないと……。
俺の身体から魔力が引いていったことに安心したのか、図書館にいる人々は様変わりしていた。
怖がる市民は避難を終え、武装した自警団が刃を向けている。
何か策を考えたいが、全身が鉛のように重く背中に汗が伝った。
「ネモ、大丈夫……。私が守るから」
取り囲む刃に歩み寄り、ルナリスは深く息を吐く。
白い肌の兵士達の中で、彼女の茶褐色の手足が一際目立った。
だが、その言葉に少しの迷いも滲ませない。
「武器を下ろしてください! 彼は私達を……、この街の霊樹を守ってくれたんです!」
不信感が、図書館を揺らした。
音ではなく、振動として腹にまで響いてくる。
集団のにじり寄る敵意が、ルナリスの鼻先まで届く。
「私が敵に見えるんですか!? 肌や髪の色が違うから? ここにある先人達の知恵はそんなことを言ってはいないはずです!」
ルナリスに向き合う兵士の顔に、躊躇いの色が滲み出す。
しかし、それは一滴の絵の具でしかなく。
図書館を満たす過剰な防衛意識を塗り替えることは出来なかった。
「どうして……、どうして聞いてくれないの!」
集団の熱はさらに高まっていく。
後方から聞こえてくる煽りに、躊躇っていた兵士は剣を握り直した。
俺は……何も出来ないのか……。
足りないと思っていた武力を手に入れ、それが全てだと勘違いをして……。
拳を床に叩きつけたその時、敵意とは違う色が図書館にじわりと滲み出した。
「落ち着きなさい! 非力な小娘に何人の兵士を使っているのですか!」
荒々しく波立っていた空間が、しんと静まりかえる。
それは、まるで穏やかな水面のように。
森の中に佇む泉のように。
「……セレナ。どうして……」
「あら、ルナリスじゃない。久しぶりね」
波打つ金色の髪を優雅に揺らしながら、兵士達の間を堂々と進んできた。
彼女の背中に隠れるように、怯えた女性の影が一つ。
それは、グスタフに人質に取られていた職員だった。




