信頼は得難く、失いやすい
目の前が真っ白になり、何も見えなくなっていた。
瞼を開いているはずなのに、浮かぶのは頭の中の記憶や想像。
言葉を発しようと考えると、文字がバラバラと解けてしまう。
自分が、何者なのか分からなくなっていく──。
「ネモッ! 聞こえる!? しっかりして!」
ルナリスの、声が。
答えたい。息はしている?
頭が割れた。吐いた。何を?
『ゆっくり息をして。愛の精霊と、ルナリスを甦らせた精霊、そして霊樹の蜜と三つの魔力が混ざりあっているの。自分を保つのよ、ネモ!』
三つの……何だ?
どうして。こんなに苦しい。
床が傾いてるのに。落ちていかない。
「ネモッ! 目を覚まして! ネモッ!!」
握られてる。手を。
気持ち悪い。でも……少しずつ。
ゆっくりと、視界が開けて──。
「ネモさん、ルナリスさん、逃げてください!」
突然、耳をつんざく館長の悲鳴。
霞む視界が、聖騎士団の鎧を捉えた。
床から起き上がれず、喉からは獣のような唸り声しか出せない。
「大丈夫だよ、ネモ。私が守るから……」
ルナリスの声が聞こえ、うっすらと視界が陰る。
遠くでグリモルドの声がくぐもって聞こえた。
これは俺には扱えない力だったのか……。
張り裂けそうな腕を伸ばすと、琥珀色の光が身体から溢れてくる。
「霊樹の蜜を手に入れて帰るぞ。グスタフ、そいつらも始末しておけ」
グリモルドの言葉で、グスタフの剣が振り下ろされた。
その瞬間、眩い光が俺の身体を包み──、
伸ばした右腕が刃を受け止める。
「……何だ、その腕は……。貴様、有殻族だったのか?」
グスタフの問いに、俺は答えることが出来なかった。
琥珀色の光で出来た殻が、まるで鎧のように剣を受け止めいる。
まるで、ボルネやベルドンのような……。
「何をしている、グスタフ。さっさと斬り伏せてしまいなさい」
対峙するグスタフの顔に汗が滲んだ。
先日相対した時は、あれだけ力の差を感じたはずなのに……。
魔力が身体中を巡り、鼓動が早くなっていく。
不思議と、勝てるという自信が胸に満ちてきた。
「ネモッ!? 身体に私達の紋様が──」
肌に有紋族のような紋様が琥珀色に浮かんでいく。
筋肉が鋼鉄のように密度を増し、有瘤族のように硬くなっていた。
『それはあなたが手に入れた愛。他人を受け入れ信じた絆の力。おめでとう、ネモ』
カタリナの声が、胸に響く。
湧き立つ魔力が、身体を熱く滾らせた。
「化け物め……。貴様、人間でありながら魔族に堕ちたか!」
「魔族は人間の敵じゃない。だが……、俺はお前の敵として戦おう!」
振りかぶった拳が、グスタフを吹き飛ばす。
グリモルドや他の聖騎士団ともども、館長室までの階段を転げ落ちていった。
「力が……漲ってくる……! これが、俺の求めていた力……」
これだけの強さがあれば、ギルフォードやジークにだって勝てる!
神や魔王にだって遅れを取らない!
俺は何にだってなれるんだ!!
「ルナリス、待っててくれ。あいつらをこの街からすぐに追い出してみせるさ」
「ち、ちょっと、ネモ!? 何だか変だよ、本当に大丈夫!?」
心配症なルナリスが、俺の安全を気遣ってくれていた。
その優しさを思うと、彼女に刃を向けたことへの怒りが込み上げてくる。
グスタフを殴った拳が、より一層固く握られた。
随伴する騎士の中に神官が混じっていたのか、グリモルドとグスタフの怪我を治療していた。
階段を降りてくる俺に気付くと、杖を揺らしながらグリモルドは俺を非難した。
「力に溺れているようだな……。同じ人間として忠告してやる。これは教会への敵対と見做すぞ!」
「構わないさ。俺にとって人間か魔族かなんて関係ないんだ」
舌打ちをすると、グリモルドは杖先に魔力をこめた。
館長室の壁に火球を飛ばし、グスタフ一人を置いて逃げていく。
「蜜を持って帰れ。失敗は許されぬぞ」
去っていくグリモルドに深く下げたグスタフの兜は、その大きな羽飾りは頑として曲がらなかった。
顔を上げたグスタフは、大きく息を吐くと剣先を向けながら、こちらの隙を探している。
しかし、その刃はもう恐ろしくはなかった。
「この殻があればその剣は通らない。お前の負けだ、グスタフ」
「……そうかもしれないな。だが、お前に剣を通す必要はない」
口角を上げ、抜き身の剣を片手に館長室から出て行ってしまう。
まさか、と思い後を追いかけると図書館が悲鳴に包まれた。
扉の近くにいた女性職員を捕まえ、首筋に刃を立てている。
「おとなしく霊樹の蜜を寄越せ! 貴様程度の人間がそれだけの力を得るんだ。それがあれば教会の勝利は約束される!」
怯えた職員と目が合った。
助けて、と揺れる瞳が懇願している。
この距離では、近づく最中に人質を斬られてしまう。
グスタフを煽り、気を逸らさせるしかなかった。
「教会の勝利? 何と戦ってるんだ?」
「貴様には関係ない! この女の首を飛ばされたくなければ、早く蜜を取ってこい!」
頭に血が昇り、肩で息をし始めている。
身体の揺れに合わせて、隙が徐々に大きくなって見えた。
グスタフに気付かれないよう、後ろ手に一冊の本を取って身体で隠す。
「ここは図書館だぞ。静かに……本でも読んでろ!」
腕を弓のようにしならせ、刀身に目掛けて本を投げつけた。
鋼鉄のような筋肉が風を切り、矢のように放たれた本は剣を弾く。
同じく強化された足があれば、その一瞬でグスタフへの距離を縮めるなど造作もなかった。
「聖騎士が……女性を盾にするんじゃねぇぇ!!!」
振りかぶった拳が、再びグスタフの鎧を吹き飛ばす。
強靭な鎧に亀裂が入り、図書館の壁に叩きつけられたグスタフは白目を剥いて意識を失っていた。
これが……俺の力……。
この力を、俺は求めていたんだ……。
新しく手に入れた強大な力は、疲れを飛ばし高揚感を得られたが、それと同時に冷静さを失わせた。
助けた女性に駆け寄ると、悲鳴を上げられてしまう。
気付けば、図書館にいた人々の全てが俺に視線を送っていた。
それは必ずしも好意的な視線ではなく。
まるで、新たな脅威が現れたのかのように、俺の一挙手一投足を固唾を飲んで見守っていた。




