強くなる為の第一歩
海に潜っている時を思い出す。
海水の透明度が高いと、そこに水があることを忘れてしまう。
洞の中はがらんとしているはずなのに、何かに満たされている気がした。
「これが……霊樹の蜜?」
部屋の中央には琥珀色の塊が浮いている。
目を凝らすと壁や床へ粘性の糸を伸ばしたそれは。
繭のようにも、ララの星環機構のようにも見えた。
『何年ぶりかしら。ここに客人が訪れるのは』
それは音として聞こえず、頭に直接語りかけられる。
まるで、まだ身体を持たない時のララとの会話のようだった。
だが、その声は聞き覚えのある彼女のもので間違いない。
「カタリナさん……なんですね? あなたは有花族だったんですね」
『久しぶりね、ネモ。面接をした時は、こうして話すことになるとは思ってもいなかったわ』
人を見る目があるのかしら、と笑っている姿が目に浮かぶ。
魔王城で話した時、包帯で表情が分からなかったはずなのにカタリナの感情を読めたことを思い出した。
充満した魔力によって調子が悪いのか、ルナリスが鼻をスンスンと鳴らす。
『ルナリスも……。あの時、精霊の加護を受けたのは必然だったのかもしれないわね』
「カタリナさん、魔王城で出会ったあなたの身体は魔導人形だったんですか?」
『正確に言うと、私達の種子を真似たのが魔導人形だけど。同じだと思ってもらっていいわよ』
洞から聞こえる声は、魔王城にいたカタリナを種子と呼んだ。
有花族は長い年月をかけて植物になり、その種子を新しい身体として生き長らえていく……らしい。
同じ意識が身体を乗り継いでいると考えれば、ララの魔導人形に近いとも言えるのか……。
話の規模に圧倒されてしまうが、知りたいことはそんなことじゃない。
「教会のやつらが霊樹の……、カタリナのこの蜜を狙ってるんだ。俺としては強大な力が教会に渡るぐらいなら破壊したいんだが……」
その提案が、カタリナにとってどんな意味を持つのか。
もし心臓のような役割なのだとしたら──。
しかし、彼女は平然とした声で俺の心配を笑った。
『じゃあ、あなたが飲めばいいじゃない。私が言うのもなんだけど、破壊するなんて勿体無いわよ』
「……俺はそんな力を持てる器じゃない」
例え、遠い世界の精霊が見守ってくれているとして。
魔王になる、ルナリスの魂に価値があると証明してみせると誓ったとしても。
身の丈に合わない力は、身近な人を不幸にしてしまうんじゃないか?
情けないと思われてもしょうがない。
しかし、軽はずみに受け取れる力ではない、と考えを伝えると──。
「ネモッ! そんなくだらないこと考えてたの!?」
カツカツと靴底を鳴らし、ルナリスが詰め寄ってきた。
眉間に皺を寄せ、赤い瞳は炎のように燃えている。
泣きそうな顔で、怒りを隠そうともしない。
「私は一度死んでるのよ! それなのにこうして魂を繋いで貰えた。こんな奇跡があってこの先不幸だなんて思うわけない!」
長い睫毛が、涙を掬う。
震えた声が、喉を締め付けた。
「ネモは……、もっと自分のことを信じてよ……」
『私もルナリスに賛成よ。あなたはせっかくネモという名前を授かっているんだから、もっと精霊の加護を信じなさい』
二人の信頼を無碍にできるほど、馬鹿じゃない。
中央で怪しく輝く蜜を口にする意志を整えていく。
ふと、カタリナの言葉に引っかかってしまった。
「カタリナ、愛の精霊の加護って何なんですか?」
祝名典に載っていた俺の名前。
それは愛の精霊の加護を得られるとのことだったが……。
それを告げるカタリナの声は、ダルマとの会話を思い出させた。
『性愛、友愛、慈愛、博愛、自己愛……、愛の形は色々あるけれど、全ては想い信じるということ』
信じる……。それは今まさにルナリスから感じているこの温もりこそ……。
『ネモ。あなたは相手を信じ、自分を信じることで強くなる。それが愛の精霊の加護なのよ』
──冒険者として芽が出なかった過去を思い出す。
あの頃、俺は誰かを信じていたか?
いつから、自分を信じられなくなっていた?
ギュッと握られた手の先に、涙を浮かべたルナリスがいた。
そうだ。俺はあの時。
ダンジョンのボス募集中という紙切れを見つけた時に。
もう一度自分を、この少女を信じてみようと行動に移したことで変われたんだ。
『あなたは十分に強くなってるわ。経験を力に変えていないだけ。この蜜は確かに強力だけどキッカケでしかないわ』
「ネモ。私はネモなら魔王にでも何でもなれるって信じてる。だって、あなたは私のボスなんだから!」
ルナリスの手を固く握った後、足取りは不思議と軽くなった。
その琥珀色の蜜を目の前にすると、覗く自分が映し出される。
思わず可笑しくなってしまった。
「随分と顔つきが変わったな、俺は」
記憶の中の自分より、凛々しく覚悟を決めた男の顔つきをしている。
自分を信じることが、強さになる。
ダルマの言葉を受け入れ、ジークやギルフォードの強さに納得をした。
手をそっと蜜に入れるとドロリと形を変えるものの、手に粘りつくことはなく丸い飴玉のように姿を変えていく。
ルナリスに目をやると、優しく微笑んでいた。
信じてる、と聞こえた気がする。
「ありがとう。俺を信じてくれて。俺も俺を信じてみるよ」
口に入れた蜜の飴玉は、喉を突き刺すように熱く。
心臓が潰れたように痛みだす。
視界が真っ白に染まり、俺は床に倒れ込んだ。




